大好きだよ、佐東さん 下
傷が増えていく。腕を掻きむしり、暴れ周り、最愛の人の名前を呼ぶ。一通り暴れ周ったら、疲れたように眠る。最近はそれの繰り返しだ。医師によると一種のうつ病らしい。怪我も治ってきましたし、落ち着いた時に警察の方とお話をしましょう、と言われた。
肩甲骨の下の浅い刺し傷は、 佐東さんの血に染まったサバイバルナイフによってつけられた。
佐東さんを殺したあの女は、佐東さんのストーカーだ。あの猟奇的なストーカーから離れるために引っ越してきたのだが、意味がなかったらしい。もしかしたら、引っ越してきたからこんなことになってしまったのではないかと、悔しさがこみ上げてくる。
僕は無意識的に爪を腕に食い込ませた。
コンコン
「失礼します」
強面の中年男性が病室に入ってきた。少し着崩したスーツを纏っている。今日やってくる予定だった、警察の方だろう。ゆっくりとベッドに近づき、僕の隣の丸椅子に腰掛けた。
少し遅れてやってきた若い刑事が、事件の全貌を説明し、僕にもいくつかの質問をした。僕は正直に全ての質問に答え、こちらからもひとつ質問をした。
「あの、佐東さんのストーカー……あいつは……死刑になりますか」
虚空に語りかけるような僕の声に、若い刑事は真剣に答えてくれた。
「殺人罪を犯してはいますが、精神鑑定の結果次第で刑は軽くなります。今のところ、精神疾患を患っている可能性が高いです。お気持ちは分かりますが……死刑には……」
もういい、と中年の刑事が手を出した。
「っ……。今回は以上です。何かありましたらご連絡ください。失礼します」
音がしない病室のドアが閉じきった時、抑えていた激情が解き放たれた。
「ああぁぁぁ……」
気が付けば、彼の葬式にいた。
佐東さんの両親に嫌われている僕は、来るなと言われている。彼らにとって、僕は可愛い息子を誑かしたゲイらしい。
「何しに来よった! お前は拓夜に関係ないやろ! 消えて! あたしらの前から消えて!」
泣き出した母親は佐東さんが収まった棺桶に駆け寄り叫んだ。今にも吐いてしまいそうな顔をした父親は、僕の病衣の襟を掴み、唾を飛ばす。
「お前がいなければ! 拓夜は死なんかった! お前のせいで殺されたんや! 人殺し!」
刑事達からは、佐東さんの両親の家を訪れたストーカーが佐東さんの恋人を偽り、引っ越し先の住所を聞き出した、と聞かされている。悪いのは犯人だと分かってはいるものの、そんな暴言を吐かれると、両親にも憎しみが湧いてくる。けれど、あなた達に用は無い。
止めに入る参列者、泣き崩れる母親、怒り狂う父親、呆然とする葬儀屋。混沌とする式場の中で、僕はまっすぐ祭壇へ向かう。
そこには佐東さん好きだった花が咲き乱れている。その花畑の中に、彼は横たわっていた。
「佐東さん、佐東さん。僕、佐東さんを愛してます」
棺桶の小さな窓から覗く佐東さん顔は、最後に喋った佐東さんと全く違う。美しく整った顔立ちは変わらないが、口角が上がっていない。いつも僕に笑顔を向けていた佐東さんは、今棺桶の中で花に囲まれて眠っている。今まで流れることのなかった涙が、何粒も頬をつたった。
「すぐ、会いにいきます。僕、映画の予習で、原作を読んだんですよ。たくさんの人から愛されている主人公は幸せ者ですね。僕は佐東さんに愛されていれば幸せです。佐東さんと一緒にいられれば幸せなんです」
僕はポケットからカッターを取り出した。いつもこのカッターで身体を傷つけていた。僕以外誰もいない病室で、佐東さんが息を引き取った病室で。人は、手首を切っただけでは死なないことが分かった。
切り傷だらけの左腕を佐東さんの頬に添え、冷たい唇にキスをした。いつも佐東さんの手を絡めていた右手には、いつものカッターを握っている。
もう僕には、制止する声も、自分の呻き声も、式場に響く叫び声も聞こえない。感じるのは、カッターの冷たさと愛しさだけだ。
人生最期に聞いたのは、最愛の人への、
「大好きだよ、佐東さん」
了
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