第22話 新たな伝説の台頭(2)
森の奥。
コンヴリー村を一望する、小さな山の中腹で。
金槌の音がリズムよく響いていた。
金槌を振るうのは、ハルト・リカードと一人のドワーフ。
筋肉質な肉体を黒いシャツに包み、頭には白い手ぬぐいの存在感。すなわち、彼こそは伝説のドワーフ。かつての勇者、《旋風堂》ゾラシュ・ブレガである。
「いいかハルト! 鋼の加工は、温度と速度が鍵だ!」
怒鳴るゾラシュの金槌が、熱された鋼の塊を叩きのばす。赤い火花が散った。
「激しく! 均一に熱して、冷めないうちに打つ! いいか! 低温の金属を打ち延ばすのはヒビや歪みの原因だ!」
ゾラシュの動きは素早い。金槌が踊るように動き、見事な正確さで鋼を打つ。
その手が鍛えているのは、どうやら盾のようだ。
「こらっ、もっとしっかりと支えろ! ハルト、腰を落とせ!」
「はいよ。了解!」
応じるハルトもただ見ているだけではない。
ゾラシュの金槌の打撃に合わせて、盾をしっかりと保持する。しかも素手で。ゾラシュが叩く動きを見極め、盾の位置を微調整する——これも簡単なことではなかった。
ゾラシュに怒られつつ、みっちり七日間。
徹底的に叩き込まれて、ようやくこの相方の立場を務められるようになった。
「でも、さすがゾラシュだぜ。この調子なら、明日には完成しそうだな」
ハルトは額の汗を拭い、満足そうにうなずく。
「この盾——名付けて、『絶対安全シールド』が!」
「いや待て、前々から思っていたがハルト。お前の命名はいい加減すぎる。おれの盾にそんな身も蓋もない名前をつけるな」
ゾラシュがぎろりとハルトを睨む。
「そうだな……この盾の銘は『旋風堂・極上しろがね手打ち平盾』で決まりだ。ふふん! いかにも頑固な職人らしい名前だろう!」
「お、おう。いいけどさ。ドワーフのセンスって、なんかすげえラーメン屋っぽいよな」
「相変わらずラーメン屋が何かさっぱりわからん——と、よし! ここで一度、鋼を休ませる。小休止だ!」
「あいよ」
ハルトは盾から手を放す。赤くなった手のひらに、白い息を吐きかける——そしていまさらのように寒さに気づいて首をすくめた。
もう風がずいぶん冷たい。このコンヴリー村周辺にも、冬が近づきつつあった。
「うむ——いまのところ、悪くない。いい出来だ」
ゾラシュは厳しい職人の目つきで、銀色の輝きを放つ盾を見つめる。
「これなら魔竜デナリウスによる猛攻だろうと、十分に防ぐことができるはずだ! ふふん! これが鍛冶屋番付チャンピオンの実力というものよ!」
「あー……確かに、こいつは凄いよ。いやマジで」
ハルトも盾の表面を、指先でなぞってみた。
この盾こそが、ソニアたちに用意するデナリウスの息吹対策。ゾラシュの鍛えた、特別製の盾だ。山の鉱脈から掘り出した金属を使い、ドワーフの特別な鍛造の
これが完成した暁には、いつも通り。
何食わぬ顔でダンジョンに隠し、妹たちに発見させる予定である。
「ふんっ、もう一仕事で鋼としては完成するだろうな。あとはドラゴンの息吹を無力化する
ゾラシュが言うのは、以前、ソニアのための剣を打ったときのことだ。簡単な召喚の
今度はそのようなことがないよう、
「しかし——バッテリーの作製など、おれは得手ではない。こういうことはジェリクの専門だ。手伝わせるつもりだったのだが、やつはどこだ?」
「あ、そうそう。あいつな。いまニコラを探しに行ってるよ」
「ニコラ? あの軟弱変態クソ馬鹿エルフ男を? なぜそんな必要がある」
「なんか、三日前くらいから姿が見えないんだよな。洞窟の植物の管理を頼んでたんだけど。これじゃ俺の仕事がまた増えちまいそうだ」
「ふーむ。あのエルフ男がふらりと姿を消すのは、昔からのことだが」
ゾラシュは難しい顔を作り、腕を組む。
「いきなりとは珍しいな。森の奥で野営していたのだろう?」
「きれいさっぱりテントまで無くなってたよ」
二コラが本気で足取りをくらませたなら、彼を追跡できる者などこの大陸にはまずいない——特に森の中では。ハルトも数えるほどしか知らなかった。
「まあ、そんなわけで。ジェリクが捜索から帰ってくるまで盾の仕上げは後回しかな」
「うーむ、残念だ。というよりも、思い出したぞ——ドラゴンの息吹を防ぐ盾なら、以前におれが作ってやったことがあるだろう。あれはどうした?」
「あれな。作ってもらって気づいたんだけど、ほら、俺って根本的にドラゴンのブレスとか効かないじゃん?」
「うむ。非常識にも程があると思うが、それで?」
「持ってても仕方ないんで、王室に寄付した……はずだったんだけど。この前、サンディ王女に聞いたら、盗賊に盗まれたんだってよ」
「盗まれた、だと?」
ゾラシュがさらに顔をしかめた。
「まさか、その盗賊というのは」
「たぶんあの女、ってか絶対あの女だな」
ハルトは一人の女の顔を思い浮かべる。
かつての勇者仲間にして、世界最高・最悪の盗賊。《千変万化》アレア。
「あいつの他に、王城の宝物庫に忍び込めるやつなんていねえだろうし。確かにあの盾があれば作る必要なかったけど、盗まれたものは仕方がない」
「ぐぐ……! このおれの芸術品を盗むとは」
恐らく、ハルトと同じ顔を思い浮かべているのだろう。ゾラシュは顔を真っ赤にして、金槌を握りしめた。
「次に会ったら容赦せん——思い出したら腹が立ってきた。ハルト、再開するぞ! 怒りの力は、この盾の鋼に込めてやる!」
より力強くなった金槌の音は、その日、夕暮れまで続いた。
————
魔王軍を退職し、アイドルになることを決めてから、ヴィアラ・ナガルには日課ができた。
女神であるミドリの指導による、ダンスと歌の訓練。
そしてコンヴリー村と、その近隣への巡業——主に顔見せや、ライブ予定のチラシ配りである。
その日も隣村まで巡業に出ており、コンヴリー村へ帰る頃にはもう夕暮れ時だった。
「ね。やっぱり私たちって、適度に身近な存在としてやっていくべきだと思うんだよね」
と、ミドリは言う。
「だからこうやって定期的に挨拶回りをして、まずはアイドル活動を認知してもらわないと。がんばろうねっ、ヴィアラちゃん!」
「うむ。ミドリちゃんの方針に異論はない。そう。ない、のだが——」
ヴィアラは巨大な荷車を引きながら、ミドリの後ろを歩く。
荷車にはライブ告知のチラシや、応援グッズ——色とりどりに光る木の枝や、似顔絵入りのウチワなど——が満載されている。
ミドリよりはるかに腕力のある、魔族のヴィアラが荷車を引くことにも異論はない。
彼女が浮かない顔をしているのは、別の理由だ。
「——やはり、ミドリちゃんのグッズの方が多く捌けているようだな」
ヴィアラは荷車を振り返り、やや力なく尻尾を振る。
ウチワやスカーフ、帽子などのグッズにおける話だ。ミドリの名前のロゴや、似顔絵の入ったものの方が手に取られる率が高い。
ヴィアラのおよそ四割増しといったところだ。
「うーん。それは仕方ないと思うなー。ほら、私ってキュート系だし? クール系のヴィアラちゃんの方が近寄りづらいっていうか、そういうのあると思うよ」
「くっ。なるほど、私は近寄りづらいのか……!」
心当たりはある。
魔王ガンドローグと交戦した一件で、地上人類の味方であると王室からも認定を受けたヴィアラだが、いまだそれは浸透しきっていない。魔族に対する人の目は厳しく、女神の隣にいてもまだ恐怖の目を向けてくる者もいる。
「なんとか打開策を考えねば! トップ・アイドルになるために、ミドリちゃんに負けてはいられん!」
「そうそう! その意気だよ。次のライブですごいパフォーマンス見せてびっくりさせようね!」
「うむっ! ポジティヴ・シンキングというやつだな!」
魔界に伝わる古代語を引用して、ヴィアラは拳を握り、空を見上げた。
「む?」
その赤い瞳が、怪訝そうに細められた。
夕暮れの空をかすめて悠然と飛翔する、奇妙な影を見たからだ。
明らかに鳥ではない。小型の船に、鋼のヒレが生えたような見た目をしている。ヴィアラには、その形状に見覚えがあった。
「あれは……
確か、そう呼ばれていたものだ。
魔界との大戦期に、人間が持ち出してきた空飛ぶ船。いまだに再現できない古代の技術を転用して作られており、操縦には強力で熟達した魔力線技師を必要とする。
リフサル王室も数えるほどしか保有していないはずだが——
「あ。あの船、コンヴリー村に向かってるね」
ミドリが指さす。確かにその船は、コンヴリー村を目指して降下しつつあるようだ。
ヴィアラは犬耳をぴんと立て、むう、と唸った。
「あんな貴重な船の乗り手が、村に用事とは。例のドラゴン騒ぎ……王室が何者か派遣したのだろうか?」
「へー。あの空飛ぶ船って貴重なんだ? じゃあ、乗ってるのは騎士団の偉い人とか?」
「どうかな。あの船は大量輸送のできない貴重品で、使うとしたら勇者どもぐらいのものだった。騎士団の連中も扱いに困っていた代物だ」
とすれば、いったい何者が乗っているのだろう。
ヴィアラの顔が曇った。
「面倒なことにならなければいいが……」
————
その夕刻、『リカードの店』には、ハルトの姿はなかった。
こういう日は、代わりに三人の少女がダンジョンの地図を広げ、攻略の談議をしているのが常である。
「次は……次こそは、私に前衛を任せてください!」
と、力強く地図を指さすのは、ソニア・リカード。
彼女はドラゴンとの戦いの疲労から立ち直り、いまはもう儚げな瞳の奥に闘志の炎を燃やしている。
「あの黒竜デナリウスと戦うためには、この私のレベルアップが必要不可欠だと思うのです。少しでも経験を積まねば……!」
「うん。まあ、ね。その意気込みはいいんだけど」
ナタリーは言葉選びに苦労しつつ、目を閉じる。
「二階層に入ってからモンスターも強くなった感じあるし……凶暴なモグラみたいなやつとか。もう少し様子見しないと危ないと思う。ソニアの場合、あれね。せめてちゃんと盾を構えられるようになってからね」
「うっ……!」
ソニアは呻いた。これは彼女にとっても痛いところだろう。
あまりにも体力がないために、盾をずっと構えていられないという弱点がある。敵の攻撃を防ぐどころではない。
ナタリーは軽くため息をついた。
「ドラゴン討伐の前に、やること山ほどあるから。とりあえずソニアはもうちょい体力つけて。あたしはあたしで、ちゃんと防御の
「ねー。ドラゴン対策、考えなきゃだよねー」
その傍ら、コレッタはいつになく難しい顔で、何度かうなずいてみせた。
「ハルトさんが色々手配してるらしいけど、どうなるのかなあ。っていうかハルトさん、早く帰ってこないかなあ。お腹すいたし、次のハンドアウトも早く欲しいし」
「次のハンドアウトって……」
ナタリーは信じられない、という目でコレッタを見た。
「コレッタ姉、やっぱりあの……アレを楽しんでるよね。心から羨ましいわ、ホントに……」
「またまたー。ナタリーちゃんだって実は楽しんでるくせにー。コレッタお姉ちゃんにはわかっちゃうんだからね!」
「いやっ、違うって! あたしは——」
そうして、ナタリーが反論を試みようとしたとき。
がこん、と建付けの悪そうな音をたてて、入り口のドアが開いた。
「あっ! ハルトさん、帰ってきたかなあ?」
顔を輝かせたコレッタの横で、ソニアは首を振る。
「いえ、足音が違います。兄上の足音はもっと誇り高く厳かなので。とすれば、これは——」
「え、じゃあお客さん? 嘘でしょ、ハル兄のお店にっ?」
ナタリーが驚きを隠せず、入り口を注視する。
そこにはさらに驚くべきことに、三人の少女の姿があった。
(誰だろう?)
ナタリーは目を瞬かせる。
三人とも、見たことのない顔だ。
純白の鎧を纏った、黒髪の少女。その背後の耳の尖った小柄な少女は、エルフだろうか。さらにその後方には、魔力線技師らしき《一角魚》のブローチをつけた少女もいる。
(まさか、冒険者)
そうナタリーは推測する。武装しているところを見ると、そうとしか思えない。
少なくともコンヴリー村の住人ではない。
「——失礼する」
よく通る声で、先頭の少女が口を開いた。
「こちらは、偉大なるハルト・リカード様が長を務めるギルドと聞いた。間違いないだろうか?」
朗々とした問いかけに、爽やかな笑顔——これに対して、ソニアが少し警戒したように身を固めた。
「……はい。ここは偉大なる兄上、ハルト・リカードの冒険者ギルドですが」
立ち上がり、応じるソニアの声には、少し尖った部分があったかもしれない。なんとなく、ナタリーはそう感じた。
「あなたは何者で、どのような御用でしょうか?」
「なるほど! あなたがハルト様の妹君か。お話はかねがね伺っている、お会いできて嬉しい!」
黒髪の少女は、ソニアの言葉の棘にまったく気づいた様子もない。
代わりに、握手を求めるように手を差し出した。
「名乗りが遅れて失礼した。私の名はミアン・グローラス! 非才の身ながらリフサル王室より選抜勇者として任命された者——そして」
ひどく嬉しそうに、ミアンは宣言する。
「いずれ必ず、ハルト様の後を継ぐ者だ」
「むっ」
差し出された手を握り返すこともなく、ソニアが呻いた。
見るまでもなく、不機嫌そうな顔をしているだろう——ナタリーにはそれがわかる。ロクなことにならない予感がした。
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