第19話 伝説の勇者の資質(4)
ガンドローグは突如として現れた、銀髪の男を見た。
「ハルト・リカード」
よく知っている顔だ。七年前の資料で、何度も見かけた。
「その銀髪。そうか。ソニアは貴様の妹か! わかったぞ!」
思わず、笑いだしてしまう。
「伝説の勇者め。いまさら出てきて、何のつもりだ!」
「……まったくですわ」
思いがけず、地上から同意があった。
サンディ王女は金髪をかきあげ、おおげさなため息をつく。
「登場するのが遅すぎます、ハルト・リカード! 今回もひどい目に遭いました。あなたに関わると、徹底的にことごとく冗談ではないくらいトラブルに巻き込まれるんですから」
安心した、というよりも怒ったように、空中のハルトを睨む。
「もう、今回で本当に最後にしてほしいのですけれど!」
「悪かったよ、姫」
ハルトは気まずそうに頭をかきむしった。
「俺もちょっと反省してる。ガンドローグだったか――お前を甘く見すぎた。意外にでかい勢力だったんだな」
くすんだ色の銀髪が、ざわざわと揺れていた。魔力線が過剰に充溢しているせいか、その髪が黒く変色し始めている。
「いまなら手加減してやるけど、どうしてほしい?」
「馬鹿め。余裕を見せるのも大概にせよ」
ガンドローグは黒衣を翻した。
「ヒズラッドの敗北から学ばせてもらった。《不可知なる》ハルト。貴様はここで死ぬがいい」
ガンドローグには自信がある。
ハルト・リカードは九人の勇者の中でもっとも謎の多い男だが、この方法で倒せないはずがない。
「我が力、見せてやろう」
魔力線を編み、切り札の
「仕方ねえやつだな」
ハルトはガンドローグの方を見ようともせず、地上に向かって怒鳴る。
「コレッタ、ナタリー! ソニアを頼む!」
二人の少女は、言われるまでもなくソニアの体を抱え上げている。ソニアは不明瞭なうめき声をあげ、空中の兄へ手を伸ばそうとしていた。
「兄上……」
聞き取れたのは、そんな呟きだった。
ガンドローグはそれらを意に介さない。不必要だからだ。いま、唯一彼の敵となり得るのは、《不可知なる》ハルト・リカードのみ。
かつての魔王ヒズラッドが、単独で後れを取った唯一の相手。
千を超える破壊の
想像を絶する怪物だ。
なんらかの特異体質の持ち主かもしれない、と予想をつけていた。
(だが、油断しているな、ハルト・リカード)
ガンドローグは切り札を切る。
どれだけ頑丈な盾も鎧も、どれだけ強力な防御の
(お前は自らの敗北を知ることさえない。伝説の勇者の時代は終わる)
ガンドローグを、魔界における最強の一角たらしめるもの。
それは二つの
「なんだ?」
ハルトは目を見開いた。
「こいつは――」
防御しようとしたのか、それとも先手を打った攻撃を考えたのか。いずれにせよ、もう遅かった。
ガンドローグは、静かに
「これが伝説の終焉だ、ハルト・リカード」
赤い瞳が輝き、そして、周囲の時間が停止した。
風も、それにそよぐ木々も、騎士団も王女も、ハルト・リカードですら。
――――
コンヴリー村の外れの森に、魔族の巨漢が一人、倒れている。ガンドローグの右腕、
その姿を見下ろすのは、長身痩躯に白衣の男。
こちらは《ざわめきの》ジェリクである。
「ここまでだな。お前の部下はすべて魔界に強制送還させてもらった」
白衣の裾が、吹き始めた冷たい風に揺れている。
「何か言い残すことはあるか? 負け惜しみぐらいなら聞いてやろう!」
「愚かな連中……だ」
バルトゥスはかろうじて声をあげることができた。
せめて一矢報いておきたい。自分は負けたが、主は負けていない。そのことを主張しておきたかった。
「ガンドローグ様がいらっしゃる」
笑ったつもりが、それは咳き込むような呟きになった。
「ガンドローグ様こそは、頂点を極めるべきお方。あの方の大いなる
息を吸い、今度ははっきりと、喉を鳴らして笑う。
「貴様ら人間どもは、すべて我ら魔族に従う奴隷となる運命なのだ。ハムスターのごとく滑車を回す、我らの社会の礎となるがいい!」
「なるほど? よほど自信があるらしいが、教えておいてやろう!」
ジェリクはどこか尊大に、大きく首を振った。
「ハルト・リカードを倒すことは不可能だ。やつの能力を勘違いしている。私やゾラシュやユーロンで、ハルトに関するいくつかの人体実験を試してみたことがあるのだが――」
ぞっとするような台詞を言いながら、ジェリクは懐かしむように夕焼けの空を仰ぐ。
「魔力線の最大値を測るテストでは、ことごとく観測可能値以上を記録。魔剣が吸い取る体力にも際限がなかった」
「なにを……言っている?」
「石化の呪いを受けたときなどは、解呪を待たず自力で復活してきた。いまだにどういう原理かわからないが、私やユーロンはこのように解釈している」
勿体ぶるでもなく、ジェリクは告げた。
「適応変化だ! それがハルト・リカードの特性なのだろう。とある目的のために、果てしなく都合よく自身を変化させるのだ。そう! とある目的――」
まくしたてながら、ゆっくりとバルトゥスに人差し指を伸ばす。
その指先に、虫型ゴーレムが浮かんでいる。
「七年前は『世界を救う』目的のために出現した、一個の特異点だろうと思った。いまは少し違う見解がある。もしかすると、やつの目的は『ソニア・リカードを守る』こと、ただそれだけなのかも知れない」
そしてジェリクが皮肉っぽく笑った瞬間に、びすっ、という鋭い音が響いた。
虫型のゴーレムが自分の頭を打ち抜くのを、バルトゥスは他人ごとのように感じていた。
――――
時を止める
あまり効率は良くない。
膨大な魔力線を必要とする
だが、いまがそのときだ。
止められるのは一呼吸の間ほど。
その間に、ハルト・リカードを仕留める。
(時間を止めて、空間ごと切り裂く。我が究極の一撃)
ガンドローグは指先を動かす。
停止した時間の中を、空間の裂け目が走る。
ありとあらゆる物体を切断する攻撃――そのはずだった。
ハルトが無造作に動かした右手に、受け止められるまでは。
「――馬鹿な」
ガンドローグは信じられないものを見ていた。
止まった時間の中を、ハルトが動いている。しかも空間の切断を片手で受け止め、そのまま握りつぶすようにしてかき消した。
「手加減はいらないんだよな、ガンドローグ?」
ハルトは確かにそう言った。
幻聴ではない。彼はまったく無造作に、青白い剣を振るった。
「落ちろ」
その瞬間に、理解しがたいほどの魔力線の奔流と、衝撃とがガンドローグの体を襲った。視界が回転し、ぐちゃぐちゃになり、地面に叩きつけられる。
激痛と虚脱感。
「なんだそれは」
ガンドローグは衝動的に言葉を発していた。
「ハルト・リカード、なんなんだお前は! 馬鹿げている! こんなことがあっていいものか! 私が七年がかりで考えた、人間総支配プロジェクトが!」
「だよな。おれもそう思う」
意外にも、ハルトは深くうなずいた。
「七年前にな。やっぱり俺たちみたいな、いい加減なやつらが世界を救っちゃいけなかったんだ。すごく安易だったと思う。ぜんぜんドラマチックじゃないし、感動とか無かったし」
ガンドローグには、ハルトの言うことが一割も理解できなかった。
ただ、本気でそう思っていることだけはよくわかった。
「強いやつが強いまま、成長もなしに魔王を倒すとか興ざめだよな」
「何を言っている……」
「やっぱりちゃんとした、伝説の勇者志望の誰かがやるべきだと思うんだよ」
「何を言っている!」
「弱いやつが成長して強いやつを倒す。伝説の勇者ってものに資質があるとするなら、そういうことだろう。俺はそう思う」
そこでハルトは急に笑った。
「だから、これはお前たちでやるべきだ。任せたぜ、諸君! 今シーズン最後のハンドアウトだ!」
意味はわからなかったが、とにかく危険なことは理解した。
ハルトという脅威から身を守るべく、ガンドローグはせめて腰に吊った剣を引き抜く。
だが、手に力が入らない。魔力線もほとんど残っておらず、体力も限界に近かった。足がふらつく。
「いいか、諸君! 目的は、その魔王を討伐すること。それから概要! きみたちは長い冒険の末に、ついに魔王ガンドローグと遭遇した――」
ハルトの口上の間にも動きがある。
コレッタが戦鎚を構え、すでに突撃を開始していた。
「そー、れっ!」
「むうっ」
気の抜けるような掛け声。だが重い。こちらの剣が容易く刃こぼれして、後退させられる。すさまじい武器と腕力だ。
「いいぞコレッタ! この戦いの決着は、新たなる勇者パーティーに託された。いまこそサンディ王女を守り、魔王を倒すのだ! きみたちは決意を新たにした!」
「決意を新たにするのは確定事項なわけね!」
ナタリーが不満そうに叫ぶ。
すでに彼女は魔力線による攻撃の
「別に、いい――けどっ」
炎の槍が一斉に射出される――ガンドローグはどうにか魔力線をかき集め、防御の
土煙があがり、咳き込んでしまう。
(この程度)
慌てて体勢を立て直しながら、ガンドローグは思う。
(まだやり直せる。撤退あるのみだ)
ハルトが手出しをしないのなら、逃げる方法はある。空間転移の
(諦めるな! これまでの苦労を想え!)
歯を食いしばり、ガンドローグがありったけの魔力線をかき集めようとしたときだ。
彼は額の目で見た。土煙を突き抜けて、銀髪の少女が突っ込んでくる姿を。
両手で剣を構えている。
(ソニア・リカード?)
あまりにも貧弱で、剣を持ち上げて突撃できるかも怪しく思われたため、まったく注意を払っていなかった。
万が一近づかれても、簡単に対処できると思っていた。
だが、この速さはどうか。
「おのれ……貴様、何をしている!」
ソニアの顔色は蒼白で、いまにも倒れそうな足取りだが、剣速は驚異的だった。
「参ります!」
斬撃。
「ぐ」
辛うじて弾きながら、ガンドローグは気づいた。体内を流れる魔力線でわかった。
これは、身体能力の強化だ。『敏速の奇蹟』に、『剛腕の奇蹟』。おそらくは『技巧の奇蹟』まで。そうした奇蹟の
(これは、意外と)
ガンドローグは冷や汗が浮くのを感じた。
(まずいのではないか?)
ここまで接近を許してしまった。完全にこのソニア・リカードという存在に油断していた。
「ふっ」
再びの斬撃。受け損ねて、ガンドローグの体勢が崩れる。
それから、ソニアは刺突の構えをとった。刃の切っ先に炎が生まれる。なんらかの武器強化の
「待て」
ガンドローグは慌てた。
「どうかしている。こんな馬鹿げたことが――なぜこの私が。よりによって貴様のようなハムスターに負けるのだ!」
「無論、決め手は気合いと根性。そしてっ」
ソニアの放った刺突は、まっすぐガンドローグの胸を貫いた。一瞬のうちに黒衣が燃え上がる。
「溢れんばかりの兄妹愛! です!」
馬鹿げている、とガンドローグは思った。
彼の体は燃え上がり、塵も残さず魔力線に還った。
―――
魔族たちは、ガンドローグの敗北を知って散り散りになった。
ハルトや騎士団が追い払うまでもなく、継戦意志のある者は誰もいなかった。
王女サンディの号令の下、いまは負傷者の治療が始まっている。
「まあ、ね……ソニアは切り札には違いないんだよね」
ナタリーは木にもたれかかり、ずるずると座り込んだ。魔力線の消耗が激しく、全身がだるい。
「本人の弱さを見せつけて、油断したところで全力で突っ込む作戦。初めてだけど、うまくいった……よね」
コレッタによる身体増強と、ナタリーの攻撃支援。
後遺症が残るぎりぎりの見極めが必要になる、正真正銘の切り札だ。この二つで徹底的に強化されたソニアは、人並み程度には強くなる。ほんの数十秒ほどではあるが。
ただし、代償は大きい。
それを知っているナタリーは、黒髪をかきあげ、顔をあげる。
そこにはぐったりと寝転がるソニアと、彼女の上半身を抱えるハルトがいた。
「ソニア! しっかりしろ……! お兄ちゃんがついてる!」
「ああ、兄上……ソニアは幸せ者です。兄上の声を聞きながら、眠ることができるのですから……」
「いかん、ソニア! 言い回しが感動的になってきている! よくない兆候だぞ!」
「兄上の手が温かい……幼い頃を思い出しますね。覚えていますか? 体調を崩したソニアを、いつもこうやって部屋に運んで……」
「うわああああ! 走馬灯みたいな感じになってる! ダメだソニア、戻ってこい! 感動的なエピソードを思い出すんじゃない!」
「兄上……!」
「ソニア!」
応酬は際限なく続きそうだった。
ナタリーは、ここ数週間でもっとも大きなため息をついた。
「リカード家のシスコン劇場を、こんなに大量摂取させられるのはね。ホント、まさに最後の手段って感じだよね……」
「仕方ないんじゃないかなあ」
コレッタの声が、頭上から降ってきた。いつもどおりの能天気な笑顔。やや疲れてはいるが、その表情に曇りは無い。
「今日はソニアちゃんも頑張ったし。コレッタお姉ちゃんも嬉しいよ!」
「そうだけどね……これで自立に一歩近づいてくれるといいんだけど」
無理かもしれない。いま目の前で繰り広げられているソニアとハルトの光景を見る限り、まだまだその日は遠そうだ。
「ってか、我ながら信じられないんだけど、一応は魔王も倒したわけだよね? これで伝説の勇者っていう目的も達成ってことにならないかな……? これで終わり、みたいな……」
「あー、うん。それねー」
コレッタの明るい相槌には、どこか諦めと達観の混じったものがある。
「そう簡単にいくなら、そもそも私たち苦労してないよねえ」
「……そうね。ホントにね」
ナタリーは西の空を見上げる。真っ赤な夕陽が、新たにできた山の向こうに沈みかけている。
【俺の妹のための、伝説へのわかりやすいロードマップ・第1章】
☆はじめての冒険をする(完了!)
☆ライバルと出会う(完了!)
☆女神に祝福される(完了!)
☆伝説の武器を手に入れる(完了!)
☆中ボス(できればデーモン)を倒す(完了!)
☆王族から激励される(完了!)
☆邪悪な魔王を討伐し、伝説を打ち立てる(完了!)
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