第18話 伝説の勇者の資質(3)
「総員、配置完了しました」
「よし」
部下からの報告を受け、新たなる魔王ガンドローグの腹心、《荒地の腕》バルトゥスはうなずいた。空を見れば、もう夕暮れが始まっている。
攻撃の準備は整った。
コンヴリー村は小さな集落だが、懸念事項もある。いまだその力の底知れない勇者ソニアと、かつての勇者《旋風堂》ゾラシュの二人だ。
(相手がゾラシュ・ブレガでまだ良かった)
と、バルトゥスは思う。勇者ども九人のうち、比較的対処しやすい相手だ。
「始めるぞ。くれぐれも油断はするな。そして、殺しすぎるな」
バルトゥスは纏っていた黒衣を脱ぎ捨てる。
その体躯も岩のような大男だったが、その肌の質感まで岩に似ている。鉄の剣すら弾く、
「新魔王陛下は、人間の奴隷をお望みだ。楽しみと恐怖支配のために殺していいのは、今日は二十名まで。厳命せよ」
「は。承知しております」
「ならばよい。ゆくぞ!」
吠えて、バルトゥスは一歩を踏み出す――その行く手に、いきなり立ち塞がった人影がある。
「ふむ――どこへ行くつもりだ、《荒地の腕》バルトゥス?」
長身痩躯に、どこかくたびれた白衣の男。
バルトゥスには見覚えがあった。思わず目を疑いたくなるその姿。かつて、旧魔王軍の幹部時代に遭遇したことがある。
錬金術師、《ざわめきの》ジェリク。
「なぜ」
思わず、バルトゥスは呻いた。周囲の部下にも動揺が走っているのがわかる。
「なぜ、貴様がここに」
「その質問の回答は、実に簡単! この森と村が私の故郷だからだ! つまり、バルトゥスよ」
ジェリクは大げさに両手を広げて見せる。
「お前は、我が敵対者ということだな!」
その頃には、バルトゥスもすでに気づいている。ジェリクの周囲から聞こえる、虫の羽音に似たざわめきの音に。
それこそは、彼の異名の由来でもある。
「では、今度は私から質問だ。最強のゴーレムとは何か、考えたことはあるか?」
黄金色に輝く雲が、ジェリクの周囲に立ち込めた。そんな風に見えた。
「今日はその答えの一端を披露しよう!」
雲はいまや耳を塞ぎたくなるほどの、すさまじい騒音を放っている。バルトゥスはその正体を知っていた――羽音だ。
小さな無数の虫型ゴーレムが、ジェリクの周囲を取り囲んでいた。
これこそ、彼の使役する五種のゴーレムの一つ――《豊穣の子ら》。一つ一つが自立判断し、獲物へと殺到して、食いちぎる。
彼の部下が襲い掛かられ、悲鳴をあげた。黄金の群れに包み込まれると助かる術はない。
バルトゥスは良く知っている。
「散れ!」
バルトゥスは思わず叫んだ。
「各自、散開! 村へ突入次第、人質を確保しろ! 一人でもいい!」
彼の部下は即座に従った。日ごろの訓練の成果か、さすがに素早い。
俊敏な
「あ!」
という、間の抜けた断末魔。
その
(理不尽すぎる)
バルトゥスは身震いを禁じ得ない。これもまた、記憶にある攻撃だった。
「ぼくの弓法、月まで射抜くって噂があるんですけど」
どこまでも穏やかな声。
ジェリクの背後に、微笑むエルフの男が佇んでいる。《月縫い》ニコラ。
「恐らく事実なんですよね」
ニコラは弓を構えるも、そこに矢はつがえられていない。ただ、弦を引く。
「覚悟してくださいね。ぼくは手加減とか、ぜんぜんできませんから」
次の瞬間、稲妻のような光が空間を貫き、何人かの魔族をまとめて葬った。誰の目にも追えない、光の速さの狙撃だった。
これのどこが弓法だ。何度見てもバルトゥスはそう思う。
「なぜだ。勇者どもが、なぜここに……!」
バルトゥスは全身の力が萎えかけるのを感じた。
大柄なトロール・エイプと、それを使役する部下の魔族が、絶叫とともに突撃するのを横目に見る。無理だ、と思う。
そのバルトゥスの見立ては正確だった。
「おおおお――ぉぉうっ!」
彼らの行く手を、地の底から響くような雄叫びと、突如として燃え上がった炎の壁が遮る。村へ向かう者をすべて焼き払う、城壁のような炎だった。
誰も通ることはできない。
そこには巨大な戦斧を旋回させ、炎をまとったドワーフが立ちはだかっているからだ。
「ふむっ。悪くはない!」
そのドワーフ、つまり《旋風堂》ゾラシュは、鼻息荒くうなずく。
「なかなかの火加減だ。即興で作ってみたが、これは傑作だな! また人気が出てしまうな!」
ゾラシュは己の戦斧を眺め、顎鬚を撫でた。
ドワーフの鍛冶屋であり、戦士。これはつまり、その状況に応じた武器を自在に生み出し、また操れることを意味する。
「――どうだ、ハルト。使ってみるか?」
そして、ゾラシュは振り返る。
「やめとくよ」
背後にいた男は、焦れたように首を振った。
「急いでるんだ。遊んでる暇がない」
ジェリク。ニコラ。ゾラシュ。
三人の元・勇者を立て続けに目撃していたバルトゥスの顔が、今度こそ絶望的に引きつった。
(理不尽すぎる!)
声をあげる自分を抑えきれない。
「なぜ、貴様がここにいる! ハルト・リカード!」
「俺の実家だからだよ」
ハルトの答えは簡潔だった。
剣も抜かず、夕陽を背にして、無造作に距離を詰めてきている。
「それより、お前らの方がなんで――いや、そうか。例のガンドローグってやつの手下になったのか? どっちでもいいんだけど、急いでるからどいてくれ」
「なんだと? 貴様はまさか、ガンドローグ様のことまで……!」
「ソニアに持たせた剣から、警報が鳴りっぱなしだ」
ハルトはまるで意味不明なことを口にした。
「魔族が周囲にたくさんいる。こんな状況じゃ召喚機能を使ったとしても、そのまま気絶してまずいことになるんだよ。だから召喚機能はこっちから切ってる。急いで行かないと」
「貴様、さっきからなにを」
「いいから――」
気づけば、ハルトは眼前にいた。
「失せろ!」
恐るべき殺気だった。
バルトゥスは恐怖を押し潰すように咆哮をあげ、ハルトに右拳を叩きつけようとした。
腕を振り上げただけで、手近な木々が粉々になって吹き飛ぶ。
強大な魔力線をまとい、本来なら、周囲を根こそぎ更地にするほどの威力を持つ一撃――それはハルトに届くことさえなかった。
「ソニア」
ハルトはバルトゥスの顔面に手を伸ばした。理解できたのはそれだけだった。バルトゥスは勢いよく吹き飛んでいる自分を発見する。
地面が急速に遠ざかった。
暗転する意識の中で、辛うじてハルトの呟きが聞こえた。
「待ってろ。いまお兄ちゃんが行くからな!」
―――
ナタリーから見て、戦況はどうしようもなく不利だった。
寄せ手の数が多すぎる。
騎士団は善戦し、魔力線技師たちが
「ソニア、王女様をよろしく!」
ナタリーは叫んで、魔力線を編む。
突破してきたトロール・エイプに、爆炎の槍を打ち込み、吹き飛ばす。
魔力線技師たちは、防御壁の維持だけで手一杯になっている。いま、こうして遊撃的に王女を守って動けるのは、ナタリーしかいなかった。
(そういうことなら、得意分野なんだよね。複雑な気分だけど!)
普段からソニアを守るような戦い方をしてきた。その成果だ。
「こっちは大丈夫だから。ソニアは絶対に王女様から離れないで!」
「しかし、ナタリー!」
ソニアはかすれた声で応じた。
「危なくなったら言ってください。私も手伝います……!」
「そういうのいいから! 下手に動かないでね、ホントにね!」
動くな、と言われなくとも、剣を構えるので精一杯だろう。
「ソニアは切り札だから。奥の手は最後まで取っておかないと」
「……うーん。そう言うナタリーちゃんこそ、大丈夫?」
コレッタが魔族を殴り倒しながら、やや心配そうに振り返る。さすがのコレッタも、疲労の色が見え始めていた。
「無理しないでね。もうちょっとだけ頑張れば、ハルトさんが絶対来てくれるし。お姉ちゃんに任せてもいいよ」
「わかってるって、まだいけるから……!」
答えながら、次の
ハルトが駆けつけることを祈るしかない。
「まったく、これでは埒が開きませんわ!」
サンディ王女も声を張り上げ、指示を飛ばしている。彼女もいまや自らの剣でディノウルフを何匹か切り捨て、ドレスは返り血に染まっていた。
「突破しましょう。魔力線技師の皆さんは、
言いかけた、その言葉を遮るように、騎士団の悲鳴があがった。ひときわ大型のトロール・エイプが、防御陣形を崩していた。
『ヒィイィィ――』
甲高い風のような咆哮をあげ、トロール・エイプがサンディ王女を狙う。
「そうはいきませんっ」
ソニアが動き、その行く手を阻もうとする。これはまずい、とナタリーは思う。彼女は本気で王女を守るつもりでいるが、トロール・エイプの攻撃を止められるとは思えない。
その瞬間だった。
ナタリーの目には、ただ黒い風が吹き抜けたようにしか見えなかった。
それも、刃を伴った風だ。
トロール・エイプの胴体をずたずたに引き裂き、勢いのまま旋回しながら着地を果たす。漆黒の鎧を身に纏った、犬耳と尻尾を持つ魔族。
「勘違いするな!」
訳が分からず周囲が硬直する中、その
曲刀を振って、血を払う。
「貴様らを助けるのは、人間の味方をするためではない。この私の未来の夢、偉大なアイドルになるためだ!」
その説明のせいで、誰もがますます状況を理解できなくなった。
ナタリーも混乱したし、コレッタも曖昧な笑顔で首を傾げた。
「わかりました、ヴィアラ」
ただ、ソニアだけが真っ先に対応した。
「ライバル同士の一時的な共闘、というわけですね。望むところです……! この場を切り抜けるなら、包囲を破りましょうっ」
本当に訳が分からない、とナタリーは思った。
もしかすると、これはソニアに備わった特殊な能力なのかもしれない。ハルトの妹なのだから、意味不明な発言を、都合よく解釈することに慣れているのか。
「いいだろう――非常に不本意ではあるが、我らがファンたちの命は守る。よく見ておけ!」
ヴィアラは旋風のように動いた。
鋭利な曲刀を振るい、敵の群れに躍りかかる。刃が閃いて、指揮をとっていた魔族の一人が切り捨てられる。抵抗する暇も与えない。
強い。ナタリーは改めて彼女の実力を思い知った。
「貴様、裏切ったのか!」
魔族の一人が叫んだ。
「なぜだ! ここまで重大な裏切り行為だと退職金は出ないし、魔界に戻った後が気まずいぞ!」
「不要! もはや魔界に戻るつもりはない!」
ヴィアラはその魔族に一瞬で迫り、曲刀での一撃を見舞った。
未練を断ち切るような、鮮やかな太刀筋だった。
「まったく意味がわかりませんが、好機のようですね……!」
サンディ姫は周囲を叱咤する。
「あの
「任せるがいい」
ヴィアラは魔族の指揮官だけを的確に狙い、迅速に混乱をもたらしていく。
「この私のデビュー、誰にも邪魔させはしない。たとえ相手が――ががががんどっ、えぇっ?」
不意に、ヴィアラの動きと台詞が同時に止まった。まるで故障したかのようだった。
赤い瞳が見開かれ、夕暮れの迫る空を仰ぎ見る。
「そんな」
犬耳と尻尾が垂れ下がり、曲刀の切っ先が地面に触れた。
そこに浮かぶ、黒衣の人影を見たせいだ。額に第三の瞳が輝く、骨のように白い肌の魔族。
文献で読んだことがある。かつての魔王ヒズラッドと同じ種族であり、魔界における貴族。豪商にして、領地経営者。
「ガンドローグ様……!」
ヴィアラは苦しげに声を絞り出す。
「自ら、この現場に! なぜ!」
「――失望したぞ、ヴィアラ・ナガル」
宙に浮かぶ男、ガンドローグは言った。底の知れない不吉さを感じさせる声だった。
「よもや私に反逆し、人間どもに味方するとは」
黒衣をなびかせ、夕陽を背負い、ゆっくりと降下してくる。
「何が不満であったか、今後の参考に聞かせてもらおう。給与か? 残業時間か、教育制度か? よもや年に一度の創立記念パーティーが、そこまで苦痛であったか?」
「い……いずれも違います、我が王……いえ、元・我が王!」
ヴィアラは怯えながらも、どうにか声を発した。
「私は夢を見つけたのです。あなたの下では、アイドルになれない……。いくら給与が良くても、残業時間が短くても……!」
「愚かな」
ガンドローグは一言で切り捨てた。
「では望み通り、我が敵として打ち砕いてやろう」
そして彼が左手をかざしたとき、ナタリーには見えた。
莫大な魔力線の奔流が、精緻な
雷光だった。ヴィアラが反応さえできない速度で、宙を貫き、彼女の胸を打つ。
「ふぅ――っ、ぐっ!」
ヴィアラの悲鳴。その体が弾かれ、横倒しになった馬車に叩きつけられる。
「さすがに、しぶといな」
ガンドローグは呆れたように言い、両手を広げるような仕草をした。
「雑兵もろとも吹き飛ばすか」
さらなる魔力線が膨れ上がる。圧倒的なまでの力が、空に満ちていく。
「コレッタ姉、ソニア、王女様も――下がって!」
恐怖を堪え、ナタリーは必死で声をあげる。
「こいつっ、本当にすごいヤバい! 防御してみる!」
言いながら、疑問に思う。
防御の
周囲の魔力線技師たちも防御しようとしているが、果たして彼らと力を合わせたところで、この強大な
「ほう。ソニア。報告にあった、勇者ソニアか?」
ガンドローグの、第三の目が細められた。値踏みするような目つき。
「なんだ――その貧弱な健康状態と、魔力線の量は。どれほど強力な使い手かと思えば、話にならんハムスターではないか」
彼の口元に、酷薄な微笑が浮かぶ。
「なぜ我が前に立つ。意味不明だ。人間は合理的な判断ができないのか?」
「それはもちろん、伝説の勇者になるためです」
ソニアは即答した。
精神力がそうさせているのか、息も切れていないし、声もかすれていない。瞳に炎が燃えているようだ。
「兄上が言っていました。気合いと根性さえあれば、できないことは何もない。私はまだまだ力不足なのはわかっています……! 知恵も工夫も及びません……!」
力不足とかいうレベルではないだろう、と、ナタリーは心の中で突っ込んだ。
「だからこそ、誰よりも気合いと根性を発揮する必要があるのです」
彼女は深呼吸をすると、命を燃やさんばかりの勢いでガンドローグを睨みつける。
「私が伝説の勇者になるには、無茶と思えることこそ成し遂げねば。この程度の奇蹟を起こせずしてどうします! 為せば成る!」
「虫唾の走る精神論……まるで旧・魔王軍を思い出す。不愉快だな。私が築く新たな世界には不要な悪性ハムスターだ!」
ガンドローグは顔をしかめた。
「粉々に砕いてやろう!」
彼が地面に手を差し伸べると、すべてが闇に包まれた。夜が訪れたような錯覚。
騎士団たちも、魔力線技師たちも、どうにもできなかった。妨害する間もなく、ガンドローグの放つ
「消し飛べ」
その短い言葉とともに、周囲の闇が咆哮をあげたように思った。
(無理だ)
黒い嵐のような衝撃の中で、ナタリーはそう直感した。
王女の護衛である、魔力線技師たちの防御の
誰も抵抗もできない。荒れ狂う魔力線がどす黒いエネルギーを生み出し、何もかもを吹き飛ばしていく。
(なんとか、しないと……!)
せめて、コレッタとソニアだけは。そう思って魔力線をかき集め、防御の
破壊の嵐が眼前に迫る――
だが、それは到達する前に、何の前触れもなく掻き消えた。
ロウソクの火を吹き消すような、あまりにも呆気ない消滅だった。
「え?」
ナタリーは思わず目を瞬かせた。
ただ、突風だけが吹き抜けた。予想していた衝撃はない。黒い闇は霧散し、火のように赤い夕焼けの空が戻っている。
(
ナタリーは空を見上げたまま思う。
彼女らに届く寸前で、その魔力線の
こんな無茶なことができる者は一人しかいない。
「む」
背後を振り返り、ガンドローグが眉をひそめた。
「貴様は、まさか――」
「おう」
まるで当然のように、そこにはハルト・リカードが宙に浮いていた。ガンドローグよりも高く、すでに剣を抜いていた。青白く輝く刃。
その一撃で、ガンドローグの
「俺の妹に何しようとしてやがった、このクソ野郎」
彼の目は、サンディ王女の隣で倒れ伏すソニアを見ていた。
もちろん、彼女は余波の突風で転倒しただけにすぎない。とはいえ彼女の虚弱な体にとっては、それさえ重大なダメージだった――目を回している。
(ヤバい)
と、ナタリーは思う。
(ハル兄が怒ってる)
彼女はその意味を知っている。
【俺の妹のための、伝説へのわかりやすいロードマップ・第1章】
☆はじめての冒険をする(完了!)
☆ライバルと出会う(完了!)
☆女神に祝福される(完了!)
☆伝説の武器を手に入れる(完了!)
☆中ボス(できればデーモン)を倒す(完了!)
☆王族から激励される(完了!)
★邪悪な魔王を討伐し、伝説を打ち立てる(進行中!)
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