第16話 伝説の勇者の資質(1)


 コンヴリー村を囲む、広大なる始祖の森。

 その深い木々の奥で、新たなる魔王ガンドローグは黒い外套を翻した。


「――バルトゥス。いまの報告は、真実か?」

 低く、威圧するような声で問う。

 身に纏うのは、いつもの旅装の黒いマントではない。魔族の権威ある者が軍事に用いる、緋色の刺繍で彩られた黒衣である。


「は。我が王」

 バルトゥスは跪き、王に答える。

「斥候が捕捉しました。王女、サンディ・リフサルが騎士団を引き連れ、街道を西進。この森に接近しています」

 岩のような大男は、深く頭を下げた。声に焦燥が滲んでいる。

「その目的は、いまだ不明……!」


「おのれ、一手遅れたか。諜報部隊を完成させ、王都へ送り込むことができていれば……!」

 ガンドローグはぎりぎりと歯を軋らせた。

 こちらを討伐しようとしているのかもしれない――というより、その仮定の下に動くべきだ。常に最悪の事態を考えることこそ、リスクヘッジの要である。


「だが、私はこのリスクを好機に変えて見せよう。騎士団を返り討ちとし、王女を捕らえ、同時にコンヴリー村を落とす。これが逆転のソリューションだ!」

 手元にある石板タブレットを操作し、膨大な報告資料に高速で目を通す。


「バルトゥス! 接近している騎士団の規模は?」

「最初に補足した数は五百ほど。再び斥候を放ち、調査中です」

「それは――」

 ガンドローグの額にある、真紅の瞳が見開かれた。

「少なすぎる。まるで護衛のレベルではないか。王族の遠征ならば、一万は必要だろう」


 だが、絶好の機会だ。こちらを討伐するのが目的の出兵ではないのかもしれない。王女が個人的に、なんらかの用事のために向かっている可能性もある。

 ガンドローグはこれを逃すつもりはない。


「では、コンヴリー村の戦力予測は。以前と変わりないな?」

「は。小規模な自警団がある程度で、大したものではありません。所詮は田舎、ハムスターの群れも同然です」

 七年前の制圧戦争においても、始祖の森の一帯は戦火を免れている。

 王都からも遠く離れ、価値は薄い。必ずや防備は薄いであろうと確信していた。ここから侵略を始めることにした理由でもある。


「ただし数名の若者が集まり、冒険者を名乗っているようで、勇者ソニアはその一人と思われます。そして例の山には、かつての勇者《旋風堂》ゾラシュが潜伏しているそうです」

「警戒すべきは、勇者ソニアと《旋風堂》ゾラシュのみか。万が一にも村に居合わせた場合、やれるな、バルトゥス?」

「は」

 バルトゥスはうなずいた。

「精神的な面で、《旋風堂》ゾラシュにはつけ入る隙があります。時間を稼いでみせます」


「それでいい――王女を捕虜とした後、私自らが当たる」

 かつての勇者が相手でも、勝算はある。

 当時の魔王軍は混乱の極みにあったが、敗北の記録は集められるだけ集めた。若干名の不明戦力を除き、どの勇者が相手でも勝てる。そう確信できるだけのことはしてきた。


「思えば、長い道のりであった」

 ガンドローグは三つの目を閉じ、過去を想う。

 数々の苦難――資金繰りに苦しんだ経営初期から、旧・魔王軍の幹部のヘッドハンティング、地道な組織改善。そして、勇者対策となる切り札の術式プロトコル開発。

 そうした努力をテーマにした彼の著作、『ヒズラッドに学ぶ敗北の原因――黒き旗が折れた日』は、いまや魔界でベストセラーとなっている。


「では、行くとしよう」

 ガンドローグの頬に、酷薄な笑みが浮かんだ。

 そして黒衣を翻し、振り返る。


「全軍! 作戦目標を追加する!」

 ガンドローグは、森の木々の間に見る。

 そこに潜み、一斉に跪く自らの軍勢を。

「主軍のコンヴリー村制圧に加え、第一・第二予備隊によるサンディ・リフサルの捕縛。こちらは私自らが率いる!」

 軍勢の数は、魔族とモンスターを交えて数千に及ぶだろうか――この前の天変地異のごとき山の出現にも負けず、軍備を整えた成果だ。


「この一戦を、我らの偉大なる征服プロジェクトの始まりとする! 業務開始だ!」


―――


 ハルト・リカードの酒場――兼、冒険者ギルドには、今日も客の姿はない。

 代わりにいるのは、ハルトと三人の少女だ。


「よくぞ第一層を突破したな、諸君!」

 ハルトはテーブルに両手をついて、いつものように声を張り上げた。

「素晴らしい進捗だ。ソニアも日々成長している! すごいぞ! 《闇の鉤爪》ヴィアラをまたしても撃退するとは!」


「はいっ、兄上……!」

 今朝のソニアは、比較的元気だ。顔色もいい。

 勝利の手応えが、いまだ彼女を興奮させているのかもしれない。

「ソニアもがんばりました! ヴィアラも相当な手練れでしたが、前回のようにただ逃がしただけではありません。その差は縮まっていますっ」

 ソニアはぐっと拳を固め、うなずいた。

「やつは我々を宿敵と呼びました。旧・魔王軍再建のために、乗り越えるべき試練だと……! 次こそは決着をつけてみせます!」


「そ、そうか。やったな! あいつもソニアの成長を認めたんだろう……!」

 褒めながら、ハルトは思った。

 ヴィアラはかなり演技が上手くなっているようだ。しかも、だいぶノリがいい。


「これも全て兄上のご指導あってのこと。ソニアは感謝の気持ちでいっぱいです……。兄上が私を温かく見守ってくれているのを、いつもソニアは感じておりますっ」

「ああ! お兄ちゃんはいつもソニアを見守ってるし、無事を祈ってるぞ」

 しかも物理的な事実だ。

 それを知らないソニアは、潤んだ目で兄を見つめる。

「兄上! ソニアも……ソニアも、兄上のことを忘れることなど一瞬もありませんっ! 見ていてください、ソニアはすぐに――」


「はい、もう面倒くさい! いつもよりスムーズにシスコン劇場に入るから見逃すところだったわ。その辺にしといてね!」

 見つめ合うリカード兄妹の間に、ナタリーが杖を振って割り込んだ。

「今日も三人集まってるんだし、そんなのに付き合ってられないから!」


 ナタリーが口を尖らせれば、コレッタも手をあげて発言する。

「ハルトさん、今日はハンドアウトありますか?」

 彼女は期待に満ちた目で、身を乗り出してくる。

「収穫祭も近いし、なんかハルトさんが色々考えてる空気出してました。私、絶対に収穫祭絡みのハンドアウトだと思うんですよね!」


「いい読みをしているな、コレッタ。徐々にわかってきたじゃないか」

 コレッタは呑み込みが早い。冒険者として重要な、展開をメタ読みするセンスに長けている。

「その通りだ! 今年のコンヴリー村の収穫祭は、女神顕現記念の大規模な野外フェスとなるだろう!」

「ハル兄、フェスって何よ?」

「あ、そうか。業界用語で祭典のことな――で、それに伴って女神も祝福ライブするし、近隣からも人を集めるし。とても村に入りきらないんで、例の山の麓で祭りをやることになった! しかも!」


 ハルトの手が、流れるように三枚のハンドアウトを引っ張り出した。

「なんと、あの王室で大人気! サンディ・リフサル姫も出席するらしい! そこで諸君に与えるハンドアウトは、これだ!」


【目的】サンディ姫を村まで案内しよう!

【概要】ダンジョンの第一層を突破し、意気揚がる諸君。そんなきみたちを祝福するように、コンヴリー村では収穫祭が開かれる。しかもその収穫祭にはリフサル王位継承権第三位、サンディ・リフサル姫も出席すべく、王都から向かっているという。きみたちはサンディ姫へ歓迎の意を示し、村まで案内しようと思い立つ――

【攻略のコツ】姫は騎士団に守られているが、現場では何が起きるかわからない。気を付けてエスコートしよう!


「はい。また来た。思い立つ系のやつ! 別にいいけど! 思い立ってあげるけど!」

 ナタリーはもはや呆れたようにがっくりと肩を落とした。

「しかも王女来るの? ホントに? 今回もなんかすごく大がかりなことしてない?」


「わー。すごく楽しみですねえ」

 ナタリーとは正反対に、コレッタは小さく拍手をしてみせる。

「王族の人をご案内なんて、すっごく大役です。私、なんかワクワクしてきました!」

 どちらの反応も当然だが、サンディ姫の歓迎は、もともと村長の娘であるコレッタとナタリーが担うべきだ。

 この点、村長のヨセフとも会話して決めたことだった。


 その一方で、ソニアの顔がやや青白くなり始めている。

「ど、どうしましょう、兄上……!」

 彼女は控えめにハルトの袖を引いた。

「王族の方とお話することなど、初めてのことで……失礼があったら、兄上に申し訳が立ちません……!」

「あんまり堅苦しく考えなくてもいい」

 安心させるように、ハルトはソニアの背中を軽く叩く。

「もともとソニアは礼儀正しいんだ。それに世界一可愛いし。自然体でいこう。な!」


「は、はいっ……兄上!」

 ソニアはびし、と音がしそうなほど背筋を伸ばし、そしてよろめいた。

 顔色がいよいよ青くなってきている。

「ああっ、ソニア!」

「だ、大丈夫ですっ」

 ハルトが手を貸そうとしたが、ソニアはテーブルに手をついて耐え抜いた。

「緊張のあまり、目まいがしてきました……が、この程度で倒れてはいられません……! 姫君にお会いするのですから! 兄上の名に恥じぬ妹であることを示すため、ソニアは身支度を整えて参ります!」

 そうして、ふらふらと階段を上がっていく。

 ソニアの背中を見守り、ハルトは涙ぐみながら何度もうなずいた。


「ソニア……また一つ成長したな……! お兄ちゃんは嬉しいぞ!」

「事前の打ち合わせの段階で倒れそうになるのは、依然としてホントやばいと思うんだけどね」

「俺が感動しているときは静かに! ――だが、いまは話を進めよう」

 ハルトは軽く指を鳴らした。

「裏ハンドアウト公開の時間だ」

「わー! やったー、久しぶりの裏ハンドアウトですね!」

「コレッタ姉、裏ハンドアウト好きだよね……なんか私、今回は裏返さなくても想像できるわ……」


【真相(ソニアには絶対に内緒!)】サンディ王女の一行は、とある残忍な魔族によって襲撃されることになっている。諸君はこれをいち早く察知することで、サンディ王女から大いに感謝されることだろう。


「……はい、きた! わかってた!」

 裏ハンドアウトを一読するなり、ナタリーは杖でテーブルを叩いた。

「絶対そうだろうなって思ってたし、この『とある残忍な魔族』の正体も見当つくもん!」

「はーい、私もわかります! ハルトさん、これってヴィアラさんですよね?」

「そういうこと。上達してきたな、二人とも」

 ハルトは嬉しそうに腕を組んだ。


「そこに地図が書いてあって、ヴィアラの襲撃方向と地点も示してある。お前たちはそれとなくソニアにも警戒を促し、サンディ王女に敵襲を知らせるのだ」

 ハルトの指が裏ハンドアウトの上を辿る。詳細に書き込まれた地図だ。

「いいけど! やるけど! これってヴィアラ――さんは、どうなるの? 王女様なんだから、護衛とか引き連れてるよね?」


「ヴィアラは自力でどうにか逃げるだろ。本来、あいつは一人で砦を落とすくらいには実力がある」

「そうだよ、戦場では中途半端な優しさが己を滅ぼすんだよ。戦うなら思いっきりやらないと!」

「それってコレッタ姉がただ好戦的なだけで――」

「ナタリーちゃん、ハルトさんの前でそういうこと言わないでー」

「――なんでもない」

 コレッタに笑顔のまま窘められて、ナタリーはすぐに黙り込んだ。

 だから姉妹の間で話はついたのだろう、とハルトは判断する。


「では、諸君!」

 ちょうど、二階からソニアが下りてくる足音も聞こえてきた。

「これは王女と栄光ある出会いを果たすという、冒険者にとって重要なイベントだ。いつも以上に心して挑んでくれ! 俺は収穫祭の準備をしつつ、みんなの帰りを待ってるぞ!」


――――


 夕暮れの迫る森の中、小さな街道を馬車と騎士の群れが行く。

 最も豪華な馬車には、王族であることを示す『太陽と五つの剣』の旗が翻っている。

 それに乗るのは、サンディ・リフサル。コンヴリー村の収穫祭への参加を余儀なくされた、この国の王女である。


 この旅をする羽目になった腹いせに、ユーロンには山ほどの仕事を押し付けてやってきた。

 それでも気分は晴れない。


「姫様、浮かないご様子ですね」

 隣の席に座る侍従の女は、窺うようにサンディの横顔を見つめた。

「新たな女神様の顕現、私は喜ばしいことなのだと思っておりました」

「ああ、女神。それ自体は確かにそうでしょうね。ですが、私は九人の勇者たちに関わるのがたまらなく憂鬱なのです。特に、ハルト・リカードには……!」


「そんな。魔剣士ハルト様といえば、紛れもない大英雄ではありませんか? 大導師ユーロン様や俗悪変態下衆エルフと違って、高潔なお人だと伺っております」

 侍従の女は、夢見るような表情で後を続ける。

「私ども侍従の間では、ハルト様の話題で持ち切りです。陽光に輝く銀の髪、神秘なる孤高の瞳――吟遊詩人の歌でよく耳にしております。一目お会いしたいと思っておりました」


 弾んだ声で語る侍従の女に辟易し、サンディは頬杖をついて、馬車の窓の外に目を向けた。

「想像しているうちが花ですわ」

 皆、かつての勇者たちのことを知らないのだ。

 王室を代表する折衝役として、彼らと一時期でも旅をしたサンディにはよくわかる。

 彼らを要職につけようとする動きはいまだにあるが、サンディ自身にもう少し政治的な力があれば、何が何でも止めているところだ。


「あなたもご存知でしょう――ハルト・リカードと、城塞都市アルスベル攻防戦の一件」

「ええ。アルスベルを魔王軍が襲ったときの一件でしょう? ハルト様の最初の伝説ですね!」

 侍従は目を輝かせた。

「人々を守るため、ハルト様はまず住民を逃がし、たった一人で迎え撃ったのですよね。相手は魔王の盟友たるドラゴンと、一万の軍勢。城塞都市が壊滅するほどの激戦の末、見事に魔王軍の撃退に成功したと……」

「そんな高尚なものではありません!」


 思わず声を荒げて、サンディは顔をしかめた。

 よく誤解される話だ。あのとき王族として城塞都市に留まり、ハルトの戦闘を見ていた彼女は、真相を知っている。

「ハルト・リカードが暴れすぎた結果、都市も魔王軍も粉砕されただけの話です」

 ただ単に住民の安全を守るため逃がしたのではない。細かい被害を考えるのが面倒だから、そうしただけだ。


 あのときはハルト・リカードも本気だったと思う。

 なにしろアルスベルを突破されたら、コンヴリー村を含む地域が戦火に巻き込まれる可能性があった。リフサル王国もぎりぎりまで追い詰められていた時期だ。

「彼が現れたときは、まさに英雄のような気がしなくもなかったのですけれど」

 ハルトがドラゴンの灼熱の息吹を生身で耐え抜き、沸騰する尖塔から跳び出して、牙をへし折る姿を見た。

 理不尽極まりない、めちゃくちゃな戦い方だった。


 その一件があってから、ハルトの下に様々な奇人・変人――のちの勇者たちが集まりはじめた。

「いいですか。九人の勇者たちの中で、もっとも厄介なのは実のところユーロンではありません。とにかく周りを巻き込む、あのハルトという――」

 サンディの台詞は、途中で止まった。

 その目が険しく細められている。


「姫様?」

「静かに。これは――」

 サンディの耳は、確かに聞く。車輪の音。馬の蹄の音。木々のざわめき――それらとは一線を画す、鋭い叫びと角笛の音。

 騎士団の男が、青い旗を振って叫んでいるのが見えた。

 サンディはその意味を知っている。侍従の女も息を呑んだ。


「敵襲……! 魔族! こんなところで!」

 呻いて、サンディは窓枠を強く握りしめる。

「だから関わりたくなかったのです。ろくな目に遭わないのですから、いつもいつも! 最悪ですわ――ハルト・リカード!」


 サンディの碧眼が、森から湧き出るように現れる狼のようなモンスターと、それを御する魔族たちを捉えた。

 絶望的なまでの数だった。



【俺の妹のための、伝説へのわかりやすいロードマップ・第1章】

 ☆はじめての冒険をする(完了!)

 ☆ライバルと出会う(完了!)

 ☆女神に祝福される(完了!)

 ☆伝説の武器を手に入れる(完了!)

 ☆中ボス(できればデーモン)を倒す(完了!)

 ★王族から激励される(進行中!)

 ★邪悪な魔王を討伐し、伝説を打ち立てる(進行中!)

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