第12話 ソニア・リカードの朝は早い


 ソニア・リカードの朝は早い。

 夜明け前に出かける兄をこっそりと見送り、早朝の郵便配達員が訪れてから、彼女の一日は始まる。

 最初にやるべきことは、神殿が管轄する定期郵便物の確認だ。

 簡素なポストを開き、中身を確認する。


「兄上は偉大なので、世界各地から手紙が届きます」

 今朝も手紙は十通を超えていた。

「例えば、こちらです。王都の騎士団から」

 ソニアは『三日月と大鷲』の封蝋で閉じられた手紙を、太陽に透かして見る。

 その瞳が、憂いを帯びて細められた。


「兄上に、名誉顧問に就任してほしいという要請ですね」

 ため息をついて、振り返る。

「こうした手紙は、定期的に届きます。役職の名前は毎回変わりますが、中身はだいたい同じです――コレッタ、ナタリー。どう思いますか?」


「え、いや、どう……って」

 いきなり質問されて、ナタリーは戸惑った。

 今朝は早くから集まって、作戦会議をしてからダンジョンへ潜る予定だった。

 が、家のポストを探っているソニアに声をかけたら、そのままの流れで話を振られた形になる。


「その手紙だけど」

 少し考えて、結局ナタリーは最も気になることを尋ねることにした。

「ハル兄は、なんて言ってるの? 王都の騎士団の名誉顧問とか、もう……なんか……ヤバいくらい偉い役職なんでしょ?」


「ハルトさん、ものすごく強いからねー」

 ナタリーとは対照的に、コレッタは能天気に笑った。

「それに有名だし、魔王を倒した実績あるし。神殿の方からも、列聖認定の打診が来たこともあるんだよ。ハルトさん断わってたけど」

「え? そ、そうなの? 知らなかった……!」

 コレッタの笑顔があまりにも余裕で、ナタリーは動揺を自覚した。


 ハルト・リカードが王都に行ってしまう、ということは、ナタリーにとって非常に不安なことだ。

 七年前、魔王を倒すために旅立った時もそうだった。

 そのまま戻ってこないかもしれないと思ったし、だからこそ魔力線技師の資格を取った。ハルトがそのまま王都に住み着いた場合を考えたからだ。

 もしも許されるなら、ハルトの旅に同行したいとも思った。


 恐らく、コレッタも同じことを考えていたはずだ――姉もまた、同時期に神官としての試験に合格している。

 治癒の奇蹟を使える神官はそこそこに貴重で、相応の才能と努力が必要だと言われている。


「でも大丈夫。ハルトさんが、ソニアちゃんを置いて王都に行くはずないよ!」

 コレッタは励ますようにソニアの肩を叩いた。

「ハルトさん、超がつくほどシスコンだから! 名誉顧問とか面倒くさがりそうだし、シスコンだし、王都は空気が悪いって言ってたし、シスコンだし!」

「コレッタ姉、シスコンが三回も入ってるよ」

 だが、本当のことではある。


(そう――あり得ない)

 ナタリーは心の中で深くうなずく。

 いきなり手紙を見て動揺してしまったが、確かにそうだ。ハルトが騎士団の名誉顧問だろうが団長だろうが総帥だろうが、それを受けて村を離れるとは思えない。


「……いえ。兄上が私のことを気遣ってくださっているのはわかります。が、それが問題なのです」

 ソニアは悲しげに目を伏せた。

「私は、兄上に申し訳なく思います……! 私の貧弱さのせいで、兄上は輝かしい役職につけていません。私の体を思って、空気の澄んだこの村で住むことを選んだのですから」

「いやだから、聞いてた? 本人は輝かしい役職とか興味ないと思うんだけど」

「そうはいきませんっ。偉大な兄上には、栄誉ある立場が相応しいはずです……! 名誉顧問に請われるのも、列聖されるのも当然。私の貧弱さのせいで、兄上にご迷惑をおかけしているのも事実……!」


 ナタリーは何も言えなかった。

 前半はともかく、後半に関してはその通りだからだ。

 具体的に言うと、村の近くにダンジョンを作ることになったし、それからも色々と騒動の種をばら撒いている。


「一刻も早く一人前の冒険者になり、兄上を安心させて差し上げなくては……!」

 ソニアは拳を握り、蒼白な顔に決意を漲らせる。

 その横顔を見ながら、ナタリーは思う。


 そういうことなら、全力で支援しよう。

 ソニアが一人前となって自立しなければ、ハルト・リカードが結婚やその他諸々の私事など考えるはずもない。

 おそらく、というか間違いなく、姉も似たようなことを思っているだろう。


「そして、ゆくゆくは実力をつけ――」

 ナタリーの考えをよそに、ソニアの台詞は続いている。

「――兄上に近づく悪い虫を一掃します!」

 かっ、と目が見開かれた。

 力強い宣言とともに、ソニアは数枚の手紙を抜き取り、握りつぶす。

 それは見るからに上等な紙に包まれて、様々に豪華な封蝋がなされた手紙だった。間違いなく、差出人は貴族の類だろう。


 ナタリーは思わず眉をひそめた。

「えーと……それ、なに? いま思いっきり握りつぶしたやつ」

「たいしたものではありません。呪いの手紙のようなものです」

 ソニアは握りつぶした手紙の束を、さらに細かく千切っていく。

「どこの馬の骨とも知らぬ貴族の子女からの、縁談の申し込みでした。しかも複数名。こうした不必要な手紙を、兄上の手に渡る前にあらかじめ破棄しておくのが私の役目です。うりゃ! とうっ! せいや!」


「さすがソニアちゃん!」

 次々に手紙を破り捨てるソニアを、コレッタは能天気に称賛した。

「丁寧な仕事だねー。コレッタお姉ちゃんも誇らしいよ!」

「コレッタはお姉ちゃんではありませんが、妹にとって欠かせない仕事ですから。誠意をもってがんばります……!」


「え、ええー……?」

 盛り上がる二人をよそに、ナタリーはどのように突っ込みを入れるべきか迷った。

 というより、そうした縁談の話がどのくらいの頻度で来ているのか気になったし、それ以上にソニアが言う『兄上に近づく悪い虫』の範疇がどのくらいなのかも気になった。


(まさか、自分やコレッタも含まれているのでは……?)

 それはあまりに恐ろしい疑問のため、とても聞く気にはなれなかった。


――――


 コンヴリー村を囲む始祖の森には、いま、二つのダンジョンがある。

 片方はハルト・リカードが手掛けるもの。

 もう一方は、そこからさらに遠く離れた、未開の森の闇の中にある。


 いまだ人類が足を踏み入れていない、魔界に近い領域――そのダンジョンの深奥で、黒いマントの男は玉座に腰をかけていた。

 その玉座に付随するのは、豪華な執務用のデスク。

『魔王グループ・最高経営責任者』の魔族文字が刻まれ、雑然と書類が積み上げられて、魔力線によって動く石板タブレットさえ備わっていた。


「では――《鮮血の翼》ゼリュオンよ」

 黒いマントの男は、悠然と問う。

 彼の眼前で跪く、コウモリの翼を持った夜魔ガフの男に対して。

「お前は、その小娘に敗北したというのだな?」


「はい、我が王」

 夜魔ガフのゼリュオンは、緊迫感を漲らせて応じる。

 ソニアたちと対峙したときの軽薄さは欠片もない。

「実際には、あの娘が用いた剣の力かもしれませんが。どんな術式プロトコルが込められていたにせよ、あれだけ莫大な力を引き出せるというのは、尋常ではありません」

 ゼリュオンは身震いしそうになる肩に力を込めた。

「あの小娘、驚くべき魔力線量を秘めているものと思われます」


「どのような術式プロトコルだったか、わからないのか?」

「俺には理解もできないほど大きく、素早い術式でした。まばゆい光が放たれたとき、人影が見えたような気もしましたが、あまりにも一瞬のことで――」

 ゼリュオンは深く頭を下げ、床に額を押し付けた。

「申し訳ございません。この失態、どのような処罰も受けます」

「いや。お前は我が業務命令に従い、現場の調査を遂行したまでだ。何も問題はない」


「我が王……!」

 ゼリュオンは声を詰まらせた。

「寛大な御心、感謝の言葉もありません」

「少し休め。体調不良のときは迷わず休む。上の者がその姿勢を示すことで、下の者が倣いやすい空気を作るのだ。よいな?」


 喋りながらも、黒いマントの主の手は止まっていない。

 次から次へと書類へ判を押し、石板タブレットを用いて連絡事項を送信していく。

 ここ最近、懸念事項は続々と湧いてくるようだ。

 人間奴隷牧場とラボラトリーの再建案。魔界の有力諸侯への根回し。突如として姿を現したという新たな女神に関する情報収集――これは本当だろうか。

 どれ一つとして、おろそかにはできない。


「して、ゼリュオンよ。その小娘どもに武器を手渡していた者――あの勇者どもの一味だったらしいな?」

「は。間違いなく。現役は退いた様子でしたが、鍛冶の腕前はまだ衰えていないかと」

「ではその小娘が次代の勇者というわけか。かつての勇者どもが育てている、新たなる人類の希望……ふふ、面白い」

 黒いマントの男は笑う。額の紅い瞳が、酷薄に細められた。


「我が覇道の前には、そのくらいの障害がなくてはな。小娘の名は、なんといったか――」

「ソニア、と呼ばれていました」

「ソニアか。良いぞ、覚えておこう。相手は単なるハムスターではない」

 黒いマントの男――すなわち新たなる魔王ガンドローグは、石板タブレットの『決定』ボタンをターンッと力強くタップした。


「次代の勇者よ。我がプロジェクトの障害となるなら、消えてもらおう!」


――――


 ダンジョン建築には、不断の努力が欠かせない。

 通路や階段は定期的にメンテナンスする必要があるし、生態系の維持にも気を遣わなければならない。


「――そこで、優れたスタッフである諸君の協力が必要だ」

 ハルト・リカードはスコップを振り、地面を掘削しながら告げた。

「現在、俺たちは第二階層の最奥、大広間を掘削している」

 ハルトの手は止まらない。猛烈な勢いで土を掻きだし、捨てる。

「我が妹パーティーの攻略速度からして、ここに到達するのはまだまだ先だが! 先行して様々なギミックを完成させておきたい! 頼む!」


 答えるのは、三人の仲間。

「ふっ。仕方ない。この天才に任せろ!」

 白衣を翻し、《ざわめきの》ジェリクが高らかに笑う。

「ハルトの妹に最適な、千客万来・安全確実なダンジョン構造を作り上げて見せよう!」

 彼が指を鳴らすと、ハルトの捨てた土がごぼごぼと人型を形成する。そのまま自ら歩き出し、土の廃棄場所へと向かう。


「もちろん、ぼくも喜んで手伝いますよ。しばらく集落に帰れないというか、帰ったら殺されそうなので」

 穏やかにほほ笑み、《月縫い》ニコラは壁面にホタル苔を植えている。

「匿ってくれるなら大歓迎です。ダンジョン建築も楽しくなってきましたし」


「ふん。すべて自業自得だろう。おれはこのエルフ男と一緒に働くのは気に食わん――が」

 苦々しげに呟き、《旋風堂》ゾラシュはスコップを動かす。

「ハルトよ、お前が約束した報酬を支払うというのなら、付き合おう」

 ゾラシュは昔からニコラに対して辛辣な態度をとる。彼にしてみれば、ニコラの軽薄な態度が気に入らないらしい。


「任せとけ。メシと酒はいくらでも用意する」

 ハルトは額の汗を拭い、親指を立てた。

「それに今日の作業が一段落したら、約束通り俺がシナリオ作って来たんでゲームマスターを――あっ、おい。ヴィアラ! 何やってんだ。さっきからサボりすぎだぞ!」


 この地下空間で労働するのは、三人の仲間以外にもう一人。

「ええい、なぜ私がこんなことを……!」

 犬耳と尻尾を土にまみれさせ、ツルハシを構えなおすのは、《闇の鉤爪》ヴィアラである。

「こんなブラックな職場、やっていられん……! 早くなんとかしなければ……!」


「文句言ってないで働けよ。愚痴が多いぞ、ヴィアラ」

 ハルトが咎めると、ヴィアラは泣きそうな目で振り返った。

「愚痴も言いたくなる! 労働環境が悪いぞ、ほとんどタダ働きではないか!」

「酒も食事も出してるだろ。ダンジョンにも住ませてやってるし」

「貴様には最低労働賃金という概念もないのか! 現物じゃなくて現金で支払え! こんな職場は嫌だ! おのれっ!」

 ひとしきり怒鳴って、ヴィアラは怒りをこめてツルハシを振り下ろす。


「勇者ハルトめ……またしても我らの前に立ちふさがるとは……! かくなるうえは、あの妹を人質に――」

「おい、ニコラ」

「あ、ゴーサインですか?」

「はい申し訳ありません私が愚かでした」

 ヴィアラは素早く土下座をする。最近、その挙動も徐々にスムーズになってきた。


「まあ、いいや」

 ハルトはヴィアラを無視して、またスコップを動かし始める。

「そろそろソニアの伝説へのロードマップも、次の段階に進まないとな。中ボスの手配が必要だ」

「と、いうことは――ハルトよ」

 ジェリクが露骨に嫌そうな顔で、ハルトの横顔を見た。

「あの男を呼ぶのか? 天才の私は賛成できんな。関わりたくない」

「ああ。俺だってぜんぜん気が進まないけど、召喚術に関してはあいつ以上の人材はいないからな」

「ぼくの召喚術は、かなり限定的ですからね」

 ニコラは穏やかな微笑みとともに言ったが、ここにいる誰もが知っている。ニコラの召喚術はあくまでも趣味の延長であり、彼の嗜好に基づく魔族しか呼び出せない。

 だからあえて誰も何も言わない。


「おれは昔から、やつの態度がエルフ男並みに気に食わん――しかし」

 ゾラシュもまた、不機嫌そうに唸った。

「あれが来るということは、王室が動くということか」

「ああ。それが必要なんだよ」

 ハルトはその男を思い浮かべる。

「俺だって、本っ――当に呼びたくないんだけどな!」


 かつての旅の仲間の一人。

 ユーロン・キープトン。

 人呼んで《森羅束ねる》ユーロン。現在の首席宮廷魔導士にして、王立民議会顧問。

 この大陸でも最高位に君臨する、召喚術師である。






【俺の妹のための、伝説へのわかりやすいロードマップ・第1章】

 ☆はじめての冒険をする(完了!)

 ☆ライバルと出会う(完了!)

 ☆女神に祝福される(完了!)

 ☆伝説の武器を手に入れる(完了!)

 ★中ボス(できればデーモン)を倒す

 ★王族から激励される

 ★邪悪な魔王を討伐し、伝説を打ち立てる

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