第8話 ホームメイド伝説の武器(1)

  ハルト・リカードが本気で料理の腕をふるう日には、必ず理由がある。

 すなわち、彼の妹に祝福すべきことがあったときだ。


 この夕刻、ハルトの店のテーブルにはたくさんの手の込んだ料理が並び、果物を絞った飲み物がなみなみと注がれていた。

 もちろん、これは村の客を相手にしたものではない。

 店内に集うのは、彼と三人の少女だけだ。


「えー、では改めて」

 エールの注がれた杯を手に、ハルトは宣言する。

「諸君が女神と出会えたことを祝して、今日はささやかな慰労会を用意した。好きなだけ飲み食いしてくれ!」


「ありがとうございますっ、兄上……!」

 着席するソニアは、いまにも感動の涙を流しそうに見えた。

「ソニアも、ついに女神様から祝福してもらいました……! まさか、お名前のサインまでいただけるとは」

 ソニアの目がカウンターの上を見つめる。そこには、一枚の布の切れ端が飾られていた。

 奇妙に弾むような字体で、『《喜びの》女神ミドリ☆ソニアちゃんへ、愛をこめて』と記されている布だった。


「それに、昨夜の宴――えっと、祝福ライブ? では、他にも様々なグッズを配っていただきました。振ると七色に光る木の枝や、お名前を記したウチワまで。次の祝福ライブに持参すると吉だそうです」

 ソニアは光る木の枝を振って見せた。確かに七色に変化する。

「女神を讃える振り付けも教わりましたので、今度練習して兄上にお見せします!」

「お、おう……。女神のやつめ、さては本格的にアイドル活動をおっぱじめるつもりだな……!」

「兄上?」

「いや、なんでもない。気にするな。今日はめでたい日だからな」

 ハルトもおおむね上機嫌だ。ソニアの顔色がいいからだ――彼の気分は、妹の健康状態に大きく左右される。


 そして他の二人も、目の前に料理が並んでいれば機嫌はいい。

「……まあ、だいぶ変なノリの女神様だったけど」

 ナタリーはさっきからチーズ・プディングにスプーンを突き立て、食べることに忙しそうだった。

「ダンジョンの中で休める場所が見つかったし、良かったんじゃない? 探索できる距離がちょっとは伸びると思うし。えーと……女神の控室だっけ?」


「ねー。あれ、すごかったです、ハルトさん」

 コレッタの場合は、ナイフとフォークが止まることを知らない。鴨肉や豚肉を切り裂き、次から次へと口へ運んでいる。

 これでもどこか間延びした口調で喋ることができるのは、一種の特殊能力かもしれない。

「大きい木があって、空気がよくて、ちょっと休んだらソニアちゃんも元気になりました。やっぱり女神様ってすごいんですねえ」


「はっはっ。そうだろう、そうだろう」

 ハルトは得意げに笑った。

「ちなみに俺の経験と綿密な調査によると、あの木は女神の依り代とされている。そして女神の木は、ダンジョン内部の各地に根を伸ばしているから、ああいう休憩所はたくさんあるものと思われる――つまり!」

 大きくエールを呷り、飲み干す。

「ソニアよ。お前のこれからの探索は、女神の控室を見つけながら進めるのだ! ちょっとずつ休憩しながらいけば、ダンジョンも怖くない。これぞ俺の考えた『セーブポイントがめっちゃたくさんある』計画だ!」


「さすが兄上……! セーブポイントが何かわかりませんが、なんという知恵! ソニアは兄上に気遣っていただき、感激に胸が……胸が、ふるえっひゅっ」

「うわソニア落ち着け、ゆっくり呼吸しろ! しゃっくりが過呼吸っぽくなってるから!」

「すみません……! 胸が震えすぎてっ、ひゅっ」

「飲み物! 飲み物とってくれ、ナタリーっ!」


「仕方ないなあ……」

 ナタリーはため息まじりに杯を渡す。

「まあ、ソニアの体力面での探索の不安は、ちょっと解消されたけど」

 喋りながらもスプーンを動かし、咀嚼する動きは滑らかで淀みがない。彼女の眼前にあるチーズ・プディングは、驚くべき勢いで体積を減少させている。

「あとはモンスター対策かなあ。まだまともに戦った相手っていないし」


「そうですね……一度は魔族を撃退したとはいえ、私はコレッタとナタリーに大いに助けられました。自分の未熟が申し訳ないです……」

「ん、あ、うん……そうね……。魔族のヴィアラとは戦ったね……」

 口ごもるナタリーは、それ以上は言及しない。あの戦いの真相はとても言えない。


「あ、じゃあ、そろそろソニアちゃんも筋トレする?」

 コレッタは恐ろしく器用に肉を切り分けつつ、やけに楽しそうに口を挟んだ。

「私のおすすめはね、下半身から鍛えるやつね。大きな岩を担いで、滝壺に向かって――」

「コレッタ。お前の筋トレは本格的をちょっと通り越しているため、ソニアにはまだ早い。何もかもが早すぎる」

 ハルトは丁重に断った。

 もしもコレッタ式のトレーニングをソニアに課した場合、一瞬で潰れてしまうだろう。


「ええー、私、ソニアちゃんと一緒に筋トレしたいです。ね、ソニアちゃん! コレッタお姉ちゃんと筋トレしよう!」

「コレッタはお姉ちゃんではありませんし、私は兄上のお考えに従います」

「そんなあー……!」

「心配してくれてありがたいが、ソニアの言う通り、俺には考えがある」

 ハルトはまた杯にたっぷりとエールを注ぐ。


「大丈夫だ。我が冒険者ギルドが総力をあげて、ソニアのレベルアップ計画を練っている」

「それなんだけど。総力をあげて、ってところが、最近だんだんシャレにならなくなってきてるんだよね!」

 このとき、ナタリーの脳裏には、ハルトの昔の冒険者仲間が思い浮かんでいる。

 誇張ではなく、この世界で最高クラスの技術者たちだ。

「ちなみに、次はどんな計画なの?」

「それはまだ言えない。調査中だから。だが、いまのソニアに必要なものだといっておこう。そう――」


 ハルトは乾杯をするように、頭上に杯をかかげた。

「装備面でのレベルアップだ」


――――


 コンヴリー村の西に、小さな丘がある。

 名もないその丘には、いま、二人の人影があった。


 片方はハルト・リカード。珍しく、今日は腰に剣を吊って武装している。

 もう片方は、小柄だが、がっしりとした体格の男。ビーズの編み込まれた髭と、尖った耳から、彼がドワーフであることは一目瞭然だ。


「久しぶりだな、ゾラシュ」

 ハルトはドワーフの男に声をかける。

「まさかお前が来てくれるとは思わなかったぜ。あれ以来、あちこち放浪してたんだろ?」

「……うむ」

 ドワーフの男、ゾラシュは重々しくうなずく。

「帝国から南部諸島まで、あちこちを巡った。平和な世界をな。悪くはなかったぞ」


 ゾラシュの装束は、旅のドワーフとしてあらゆる意味で伝統的なものだった。

 黒い半袖のシャツに、真っ白いバンダナ。いつも崩さない腕組みのポーズ。油と煤で汚れた前掛けには、『頑固』を意味するドワーフの古語が大きく刺繍されている。

 それから、背後には大きな屋台。

 古ぼけてはいるが、『元祖・旋風堂』と染め抜かれた旗を掲げ、堂々とした屋台だった。


 小型の炉を搭載した屋台を引き、各地を放浪して鍛冶を請け負う。

 これこそ、旅のドワーフの伝統的なスタイルなのである。

 彼の姿を見るたび、ハルトは思うことがあった。

 すなわち――


「ゾラシュ。お前、相変わらずラーメン屋みたいな格好してるな」

「相変わらずラーメン屋というものが何かわからんが、ハルト。お前には借りが多い」

 ゾラシュはにこりともせず、ハルトの腰に吊られた剣を睨んだ。

「おれの鍛えたその魔剣を、晴れ舞台で思う存分ふるってくれた。それに、他にもまあ……色々とな。できるだけのことはしよう」


 彼の名を、《旋風堂》のゾラシュ・ブレガ。

 ハルトとともに魔王を倒した九人のうち一人であり、伝説のドワーフの戦士にして、鍛冶屋でもあった。


「妹のために、剣を打ってほしい」

 ハルトは率直に目的を告げる。

「俺の妹には伝説の冒険者になってもらいたい。そのためには世界一の鍛冶屋が作った、世界一の剣が必要なんだ」


「ふん」

 ゾラシュは鼻を鳴らした。

「おだてても無駄だぞ。世辞の類は、おれには通じぬ」

 刃物のような鋭さのある声だ。

「王都のライリー出版社から『一流! 鍛冶屋番付ガイド!』の取材が来た時も、無礼なふるまいをしたら叩き出すつもりであった」

「結局、叩き出さなかったんだな」

「他にも名のある剣士どもが何人も剣を打てと訪れるし、おれの剣が登場する吟遊詩人の歌もたくさんあるようだが、そのように浮ついた俗世の名誉などおれはちっとも気にならん!」

「お、おう、そうか……」


 微妙な距離感の相槌を打ち、ハルトはゾラシュの背後の屋台を一瞥した。

 そこにはライリー出版の判を押した『一流! 鍛冶屋番付ガイド!』なる書物が飾られ、ついでに彼の顧客とおぼしき剣士たちのサイン――恐らくそこそこ有名な連中――も掲げられている。


 ハルトはよく知っている。

 ゾラシュは俗世の評価など気にしないと言っているが、人一倍その手のものに敏感な男だ。


「とにかくだ。おれに剣を打てというのなら、最高の素材が必要だな」

 己の髭を撫でながら、ゾラシュは空を見上げた。

「せめて、女神の加護を受けた最上級の氷燐鋼スラグナム。それがなければおれは打たん。この《旋風堂》ゾラシュに半端な仕事をさせるな」

「だよなあ」

 ゾラシュは名誉に弱いが、それゆえに仕事は選ぶ。ハルトは銀髪をかきむしった。

「そういうことなら、こっちも頑張るしかないか。いい感じの鉱床が必要なんだろ?」

「うむ。必須だ」

「わかった」


 ハルトは大きく息を吸い、その場にかがみこんだ。手で地面を探る。

 流れる魔力線を捉える。こうした作業は、ダンジョン作りのときからやってきたことだ。そろそろ慣れてきている。

「この土地の女神の協力もある――おい、ミドリ! 出番だぜ!」


『はーい!』

 ハルトの呼びかけに、あまりにも軽い声が応じた。

 地面から光が漏れ出すようにして、少女の姿を形作る。

『どうもー! 新人女神のミドリちゃんでっす! デビューしてからまだ三日のフレッシュな――って、あれ、お客さんじゃない? 新しいスタッフの人?』


「なんだと――」

 ゾラシュの目が細められた。自分の見ているものが信じられない、というように。

「まさか、女神か? どうやって?」

「そういうこと。ニコラに手伝ってもらってな」

「あいつもお前も、めちゃくちゃなことをやる」

 ゾラシュはゆっくりと首を振る。


「新たな女神の顕現。この噂が伝われば、王室も神殿も騒ぎになるだろうな」

「それが狙いだ。今後のイベントに必要だからな――ってわけで、そろそろやるか。ミドリ、魔力線サポートよろしく」

『うん。私もね、この辺に大きなステージ作りたかったんだよね。さすがプロデューサー!』

 ハルトが肩をぐるりと回すと、ミドリは両手を広げて見せる。その指先から、魔力線が拡散していくのがわかった。

 足元の雑草が成長し始め、大地がざわめきだす。


「ほう……あれをやるか、ハルトよ?」

「やる。幸い、この土地は魔力線が豊富で、いい感じの鉱床も眠ってる」

 ハルトは腰に手を伸ばし、そこに吊っていた剣を引き抜いた。

「任せろ、ゾラシュ。最高の素材から、最高の剣を打たせてやるぜ! いくぞ、久しぶりの魔剣術!」

 切っ先から、膨大な魔力線が迸る。

 ゾラシュですら顔を覆わんばかりの律動。吹き付ける風と、冷たい光の波。ハルトは剣を大地に突き刺した。


――――


 コンヴリー村を取り囲む、始祖の森の片隅。

 木々が作る闇の中に、こちらにもまた二つの人影があった。


 片方は黒いマントを纏う男。

 もう片方は、そびえる岩のような大男だった。


「……進捗はどうだ、バルトゥスよ」

 黒いマントの男は、冷酷な声で尋ねる。大男が緊張するのが、気配でわかった。

「は。全部隊に号令をかけ、仮設の砦を築いております。完成率は全体の八割というところでしょうか」


「いかんな」

 黒マントは鋭く咎めた。額の紅い瞳が細められる。

「部隊を三つのグループに分け、順番にシフトを組んで休ませよ。早朝勤務には手当てを厚くし、十時間以上の労働はさせるな」

「しかし、我が王。いまだ戻らぬヴィアラや猿どもの件もあり、事態は急を要するものと――」

「重労働は、かえって効率を下げる場合もある。よいか、バルトゥス」

 部下の言葉を遮って、彼は黒いマントを翻した。


「私は先代とは違う。恐怖ではなく、効率と自主性によって世界を征服するのだ。これまでのやり方は古い。お前には我が片腕として、新しいやり方を学んでもらわなければならぬ」

「……は。ありがたき、お言葉……!」

 バルトゥスはうつむき、唇を噛んだ。

 我が主ながら、その器の大きさは計り知れない。給与体系も明快だ。バルトゥスは魔族としての生命が尽きるまで、この新たな王に仕えるつもりでいた。

 新たな王は、この考え方を終身雇用制度と呼んでいる。


「では、砦が完成次第、動くぞ。例のダンジョンの主が何者か知らぬが、我らが先にコンヴリー村を落とす。これを橋頭保として、近隣の都市も制圧する」

 黒いマントの男は、東の空に手を伸ばした。

 輝く太陽を掴み、握りつぶさんとするように。

「そのまま奴隷化した人間どもを労働力とし、生産を拡大。王都へ向けて、本格的な進軍を――」


 その口上は、途中で止まった。

 地獄から響くような地鳴りが、森全体を揺らし始めたからだ。

 風が強く吹き荒れ、渦を巻いて森中を荒れ狂っている。


「な、なにごとだ! 地震か! 地割れと頭上に気をつけよ、バルトゥス!」

 黒いマントの男は、危機に備えて地面に伏せた。三つの瞳が上下左右を警戒する。

「いえ、王よ……あれを! これは単なる地震ではありません!」

 バルトゥスが黒マントを守るように立ち上がり、西の空を指差した。

 黒々とした影が、ゆっくりと隆起をはじめていた。それは小さな丘だったはずだが、もはやその規模は丘などというレベルではない。


「あれは……ええと、や、山! 山のようです! 我が王! 地面が隆起して……いきなり山ができています!」

「そ、そんな……いかん。まずいぞ!」

 黒いマントをはためかせ、彼はひどく慌てた。

「あの周辺には、建設中のコンヴリー村征服砦が!」

「我が王! いけません、王よ! いま近づくと危険です。お気を確かに! それに、もう手遅れかと……!」

「離せバルトゥス! せっかく築いた人間奴隷牧場と、人間奴隷品種改良ラボラトリーが……あれでは、台無しではないか!」


 悲痛な叫びとともに、地面を両手で叩く。

 額にある第三の目からも涙が溢れ出す。

「我が積み重ねを無にする、悪魔のような所業……いったい何者だ! 絶対に許さぬぞ……絶対にだっ! うおおおお……おおおぉぉぉぉっ!」

 咆哮をあげながら、彼はバルトゥスを振り返った。

「――我が軍の魔将、《鮮血の翼》ゼリュオンを呼べ! やつにあの山を調べさせるのだ!」



【俺の妹のための、伝説へのわかりやすいロードマップ・第1章】

 ☆はじめての冒険をする(完了!)

 ☆ライバルと出会う(完了!)

 ☆女神に祝福される(完了!)

 ★伝説の武器を手に入れる(進行中!)

 ★中ボス(できればデーモン)を倒す

 ★王族から激励される

 ★邪悪な魔王を討伐し、伝説を打ち立てる

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