第6話 女神栽培計画(2)

 コンヴリー村の西に、小さな丘がある。

 丘に名前はない。

 ただコンヴリー村と、その周辺の森を一望することができるだけの丘だ。


 いまその丘の上に、黒いマントに身を包んだ男と、そびえる岩のような大男の影がある。

 二人とも、瞳は真紅の輝きを湛えていた。


「この付近だな」

 黒いマントの男は、低い声で呟いた。

「ヴィアラ・ナガルの痕跡は、やはり見つからないのか?」

「どうやら、そのようです」

 応じる大男の声は、どこか張り詰めている。


「この森は魔力線による力場が強く、魔法による探査もままなりません。特に、突如として発生したという例のダンジョン」

「面白い」

 黒いマントが風にはためき、男の顔が垣間見える。

 青ざめた肌に、黒々とした髪。額には、真紅の瞳がもう一つ備わっていた。

「我ら以外にも、この森に目をつけた者がいようとは」


「何者かは、まだわかりません。猿どもを使い、調査は進めておりますが」

「慎重にな、バルトゥス。《闇の鉤爪》ヴィアラほどの手練れが消息を絶った以上、迂闊にダンジョンに踏み込むべきではない」

「はい。あのような規模のダンジョン、まず人間には作れますまい。魔界において御身への反逆を考える輩やもしれません」

「ならば、いずれは雌雄を決することになろう」

 黒いマントの男の唇が、楽しげな弧を描いた。


「我が宿敵にふさわしく、せいぜい相手が卑小なハムスターでないことを祈るとしよう」

「さすが――豪胆ですな。それでこそ我が王」

「とにかく、不要な危険は冒すな。組織の要は人材だ。福利厚生は手厚くせよ」

「は」

「バルトゥス、お前もそろそろ休暇をとれ。有給が溜まっているぞ。お前が率先して休みを取らねば、部下も申請しづらいであろう」

「ありがたきお言葉……」

 深々と頭を下げる大男を横目に、黒いマントの男は再び微笑した。額に輝く第三の目が細められる。


「名も顔も知らぬダンジョンの主よ。お前は、我が覇道の試練となり得るか?」

 その呟きは風に乗り、いずこへともなく消えた。


――――


 ハルト・リカードの運営する酒場に、今日も客はいない。

 店内に集うのは、彼と三人の少女だけだ。


「と、いうわけで、我が冒険者ギルドは閉鎖の危機に陥っている」

 ハルトは丸テーブルに両手をつき、宣言した。

「なんとかして一発逆転、村長はじめ村民のみんなに受け入れられるような偉業を成し遂げねばならない。そう、イメージの改善だ!」


「はいっ、兄上……!」

 ソニアはいつも以上に神妙な顔でうなずいた。

「ソニアは死力を尽くしてがんばります……! 差し当たって、村の皆さんに兄上の肖像画を配るというのはどうでしょう」

 彼女の声は、どこまでも真剣だった。

「私、兄上の肖像画なら得意ですし、村の皆さんも偉大な兄上の御姿を家に飾れるとなれば喜ぶはずです」


「いや、肖像画なんて普通は嫌がらせだからね! 逆効果だから!」

 ナタリーはひどく疲れたように声をあげた。

「なんか、もうちょっと一般受けするアイデア考えようよ」

 彼女の口調には、いつものような活力が欠けている。

 昨日は自宅に帰った後、村長である父と相当にやりあったらしい。このナタリーが疲労するというのなら、かなりの口論だったに違いない。

「このままだと私たち、かなり面倒くさいことになりそうなんだけど」


「俺も偉大なソニアの伝説の仲間として、二人が抜けるのはきつい。俺の考えてるキャンペーン展開に大きな支障をきたす」

「キャン……えっと、なに? またよくわかんないんだけど」

「気にするな。っていうか、よくここに来れたな。二人とも、てっきり家に閉じ込められたかと思ってた」


「うん。それは大丈夫でした!」

 ナタリーと逆に、コレッタは普段とまるで変わりがない。

 明るく、というより、能天気に挙手をした。

「大丈夫っていうか、そもそもお父さんに私たちを止められるはずないですから。お母さんは冒険者になるのは反対してませんし」

 コレッタは右腕を持ち上げ、力こぶを作って見せた。

 もしかしたら力ずくで脱出してきたのかもしれない、とハルトは思った。ナタリーも露骨に顔を背けているし、彼女ならやりかねない。


「だから安心してください、ハルトさん。私、冒険者やめませんから!」

「いいのかな……まあとにかく、冒険者ギルドを続けるための作戦ならある。これだ! 今回のハンドアウトだ!」

 ハルトはテーブルの上に紙片を乗せた。三人分のそれを突き付ける。


【目的】女神を見つけよう

【概要】冒険者ギルド存亡の危機に際し、きみたちは起死回生の噂を耳にする。通りすがりの旅のエルフの話によると、なんとダンジョンの内部で聖なる女神を見かけたという。女神がいれば、今年の田畑の豊作は約束されたようなもの。村人たちとの関係も良好になる。女神と出会うため、きみたちはダンジョンへと潜ることにした――


「な――なんと……!」

 ソニアは興奮気味にハンドアウトを握りしめ、天を仰いだ。顔色は蒼白になっている。

「女神が、この近隣に! なんという奇蹟! まさに僥倖! まさに天の祝福を感じま……ふぅ……目まいが……」

「あんまり天を仰ぐな、ソニア! 具合が悪くなるぞ。水だ、水を飲め!」

「す、すみません……!」

 慌てて差し出された水を、ソニアはゆっくり呼吸しながら飲み干す。それでも顔は青白い。


「しかし、女神の一柱がこの地にやってきたとすれば……とてつもないことです。偉大な兄上の元へ馳せ参じたのでしょうか?」

「俺はどっちかというと、ソニアたちの冒険を祝福するためにやってきたんじゃないかと思う」

「そ、そんな……! 兄上を差し置いて、私などに会いに来るはずもありませんっ」


「あ、なんかそれまた長引く展開だから、中止で。ホント長引くから」

 杖でテーブルを強めに叩き、ナタリーは口を挟んだ。

「通りすがりの旅のエルフの胡散臭さとか、すでに私たちが喜び勇んで女神を探しに行く前提なのはもう諦めるとしてもね」

「ナタリー、私は喜び勇んでいます……! 女神の祝福といえば、全冒険者憧れのイベントではありませんかっ」

「ソニアはそうでしょうけど! ……でも女神を見かけたって、それって実は一大事なんじゃない? コレッタ姉、どうなの?」


「そうだねー」

 コレッタは記憶を刺激するように、指先で額をつついた。

「いま確認されてる神々が十七座……あっ、七年前の戦いで一座増えたから十八座ね。みんなしっかり十八神殿に祀られてるから、滅多に出歩かないはずなんだけど」

 大陸で信仰されている《秩序の神々》は、各地の神殿から世界を見守る存在とされる。

 実体を伴って地上に顕現することは、非常に稀だ。


「えー、それについては……おっと、ソニア。そろそろ休息した方がいいんじゃないか。顔色が悪いぞ。女神を探すという大役があるので、今日はしっかり休んでおきなさい」

「はい、兄上……!」

 ソニアはまだ乱れた呼吸のまま、ふらりと立ち上がった。いつも以上に足元が危うい。

「申し訳ありません。興奮しすぎたせいか、頭痛が」

「それはまずい! いますぐ休むんだ!」

「うう……すみません兄上、肩を貸していただけますか……?」

 いつものように、ソニアを二階へ送り出す。

 その数秒後。


「――よし」

 ハルトは素早く窓際に寄り、なぜかすぐにカーテンを閉めた。

「えー、では真相を説明しよう」

「なんでいまカーテン閉めたの?」

 直感的に何かを悟ったのか、ナタリーが眉をひそめた。

「すっごい嫌な予感するんだけど」

「いやなに、たいしたことじゃない。ただ、万が一にも知られたら大変だからな。まずは落ち着いて裏ハンドアウトを公開してくれ」


「……は?」

「あらー」

 ハンドアウトを裏返した、ナタリーとコレッタの表情が固まった。


【真相(絶対にソニアには内緒!)】目撃されたという女神は、ダンジョン内部にいる。俺と仲間たちが育てたもので、まったく新しい女神だ。村に豊作をもたらすとともに、ソニアに祝福を授けてくれるだろう。


「そこに書かれている通り、この女神は俺たちが用意したものだ。具体的に言うと、栽培してみた」

「さ、栽……培……?」

 理解しかねる、といったように、ナタリーが頭を抱えた。

「女神って栽培できるものだったのっ? なにそれ! コレッタ姉は知ってる?」

「うーん。七年前はどうだったのかなあ。エルフの人たちが新たな女神の顕現に成功した、って話は聞いたけど……具体的にどうやったのかは、お姉ちゃんもわかんないなあ」


 二人とも首をひねるが、それもその通りだ。

 神々の来歴は、神殿によって秘匿されている。信仰心の希薄化に繋がりかねない情報のため、コレッタのような神官にも教えられていない。

 だが――


「俺もよくわからなかった。ので、実際に女神を顕現させたエルフの次期族長にレクチャーしてもらった」

「え……? もしかしてハル兄、この通りすがりの旅のエルフって……」

「ニコラだよ。昔の仲間だ」

「えええええ!」

 ナタリーは顔をしかめ、奇声をあげて立ち上がった。

「私、あの人めっちゃ嫌いなんだけど! 三秒に一回はいやらしいこと言うし!」

「気持ちはわかる。が、腕と知識は確かなんだよな、残念なことに」

 深くうなずき、それでもハルトは認めるしかない。今回の件は、ニコラ抜きではどうにもならなかった。


「それじゃあハル兄たち、ホントに女神様を作っちゃったの? 女神って、あの女神様だよね?」

「……まあな」

 ハルトはやや口ごもった。

「あの女神様……というか、なんというか。おう。そうだな。百パーセント女神ではある」

「え、なんでいまちょっと迷ったの?」

「……気にするな! 女神は女神だ、間違いない!」


「なんかすごい引っかかるんだけど! それに、そんなことっ……いいの? まずいんじゃない? まずいでしょ! 怒られるとかそういうレベルじゃないよ! あのさコレッタ姉、こういうのって神殿的には……」

「さすがハルトさん、すごいです。スケールが大きいですねー」

「ああー、コレッタ姉に聞いたのが間違いだった」

 拍手をするコレッタから目をそらし、ナタリーはテーブルに突っ伏した。

「なんか、ますます疲れてきた……」


「じゃあ、しっかり体を休め、今回も万全の状態になってくれ」

 ハルトは得意げにうなずいた。

「これが女神栽培計画! お前たちは女神の神々しさにおののき、仰天すること間違いないであろう! ……たぶん」

「あっ、今回はハル兄的にもなんかが引っかかってる感じ……!」

 ナタリーは疑惑に満ちた目でハルトを見ていた。

「いつものやたら自信満々なハル兄も不安だけど、これはこれで不安……ってかもう何をやっても結局不安な気がする!」


 これに対し、ハルトは沈黙を守った。

 つい昨日までのことが、彼の脳裏をよぎったからだ――。


―――


 ハルトがソニアたちにハンドアウトを渡す、その前日。


 ダンジョンの奥の暗がりに、大量のホタル苔に囲まれた小部屋がある。

 その空間で、うずくまって作業をする男が二人。ハルトが霊油エフトン式ランタンを掲げると、その姿がはっきりと浮かび上がった。

「よお。順調か、二人とも?」

 当然のように、その人影とは、ジェリクとニコラのことである。


「まあ、おおむね完成というところかな」

 ジェリクが白衣の土を払って立ち上がる。

「この天才である私が手掛けたのだ。万が一にも失敗はない! ホタル苔の効果も抜群だ!」

 その足元には、小さな木の苗が植わっている。

 こんな洞窟の中でも青々とした葉をつけた苗だ。頭上をよくみれば、天井には小さな穴が空き、そこから太陽の光が注ぎ込んでいる。


 この状態で、およそ七日。

 ジェリクとニコラが世話をした苗木は、恐ろしい勢いで育っていた。


「実は、この水も特別製なんですよ」

 ニコラは水差しを傾け、苗の根元へ水をかけている。翡翠色に輝く、奇妙な水だった。

「エルフの森謹製、青の大河の雫といいます。世界樹の保全にも使われてますから、効果抜群です」


「っていうかさ、俺、正直びっくりしてるんだけど」

 ランタンを慎重に立てかけると、ハルトは苗の周りに複雑な図形を書き込んでいく。

「女神ってこうやって栽培するもんなの?」

「実はそうなんです。エルフに伝わる秘密なので、あんまり人に教えちゃダメですよ。必要なのは、まず浄められた木の苗――っていうかまあ、高濃度の魔力線をゆっくり浴び続けたものですね」


「身も蓋もねえな」

 ハルトは苦笑する。

 高濃度の魔力線を浴びれば、獣や植物は変化することがある。

 意志を持ち、知性を得て、動き始める。人に害を為す存在はモンスターと呼ばれ、そうでないものは単に精霊と呼ばれる。

 女神の栽培は、その延長上にあるらしい。


「ふっ。しかし、女神とは。懐かしいな」

 ジェリクは光の差し込む天井を見上げた。

「《角笛》の女神、《門と鍵》の女神に、《竈》の女神――彼女らの祝福を得るために、我々も各地を巡ったことを思い出す。あの神々しい存在が、まさか、こんな小さな苗木から生まれていようとは」


「ええ。今日は、その苗をこちらに用意しておきました。世界樹の苗木の一つです」

「よかったのかよ、そんなもん持ち出して」

「いいんですよ、大したものじゃないし――で、この苗木にさらに魔力線を注ぎ込んで、活性化させていきます。最終的には――」

「これだな。起動の魔法陣」

 ハルトは土にまみれた両手を叩き合わせ、体を起こした。


 木の苗の周りには、かなり大規模な魔法陣が描かれていた。

「ジェリク、どうだこれ?」

「まあ、悪くないとは思うが。微調整はさせてもらおう」

 ジェリクは魔法陣の端に指を這わせ、木の枝を使って修正を始める。


 この魔法陣は、ゴーレムに知性や思考力を与えるときに使うものだ。

 通常のものよりもはるかに複雑ではあるが、基本構造は大差がない。よってハルトが知る限り、その調整にジェリク以上の適任者はいない。


「だいたい良さそうですね」

 ニコラは気の抜けた笑みを浮かべた。

「あとは魔力線を注ぎ込むだけです。本来なら百人ぐらいでやる儀式なんですが、ハルトくんを中心にぼくらでフォローすればイケるでしょう。たぶん。九割方イケるはず」

「ファンブルしなきゃ大丈夫って感じだな。それじゃ、やるか。協力頼むわ」


 そして、三人は魔法陣に魔力線を注ぎ込む。

 大地が脈動するほどの、膨大な魔力線量。魔法陣が青白く発光し、効果はすぐに現れた。

 苗木が身じろぎをしたと思うと、めきめきと音を立てて成長をはじめる。


「おっ! 上手くいってるよな、これ?」

「ふむ。なかなか面白い。独特の魔法線編成だな」

「イケそうですね。ハルトくん、もう少しですよ」


 成長した木は、天井の土を突き破り、さらに伸びていく。


「あ。おい、なんかデカくなりすぎのような――うおっ?」

 ハルトは思わず魔法陣から手を離した。

 木から青白い光が漏れ出して、人間のような姿を取り始めたからだ。

「やった、来ましたね。成功です!」

 ニコラの声――だが、その声はほとんどハルトの耳に届かなかった。


 すさまじい暴風が、彼らの間を吹き抜けた。


『――あ』

 声が聞こえた。

 光はすでに、一人の少女の姿をとっている。緑に輝く髪の毛と、黄金の瞳を持った少女だった。

『あ……』

 確かめるようにもう一度だけ声を出すと、あとは歌うように喋り出す。


『どうもー。女神です! おはようございます、人間とエルフのみなさーん!』

 彼女は楽しそうに手を振った。

『今日は私を顕現させてくれてありがとー! 特別席で祝福してあげてもいいよ! よろしくね!』


「……おい」

 ハルトは咎めるようにニコラを見た。

「どういうことだ、これ」



【俺の妹のための、伝説へのわかりやすいロードマップ・第1章】

 ☆はじめての冒険をする(完了!)

 ☆ライバルと出会う(完了!)

 ★女神に祝福される(進行中!)

 ★伝説の武器を手に入れる

 ★中ボス(できればデーモン)を倒す

 ★王族から激励される

 ★邪悪な魔王を討伐し、伝説を打ち立てる

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