第5話 女神栽培計画(1)


 ダンジョンの闇の中で、三人の少女と魔族が対峙する。


「出ましたね、魔族……! よもやこのダンジョンを根城としていようとは!」

 ソニアはどうにか剣を持ち上げ、その切っ先を突き付けた。

 すでに顔面は蒼白で息があがり、切っ先が震えているのがわかる。

「こんな入口のすぐ近くで遭遇するとは思いませんでしたが、おかげでまだ体力は十分……! 我が兄上の代わりに、このソニア・リカードが相手になりましょう!」


「ふんっ。それはあまりにも貴様らが来るのが遅いから……ではなく!」

 ヴィアラは咳払いを一つして、愛用の曲刀を振り上げた。

 なぜか彼女もすでに息が上がり、犬耳と尻尾は萎え、剣の切っ先が震えていた。

「ええっと――そう! 貴様、ソニア・リカードといったな。あの勇者ハルトの妹ならば好都合。我が名はヴィアラ・ナガル。《闇の鉤爪》ヴィアラだ」


「なんと……!」

 不敵に笑うヴィアラを睨み、ソニアの顔に緊張が漲る。

「元・魔王の将軍が、このような場所に……! もしや、兄上への逆恨みですか!」

 ソニアの瞳が燃えた。

 か細い命を燃やし尽くさんばかりに、ヴィアラを睨みつける。剣の震えも一時的に止まる。

「兄上を傷つけんとするなら、この私が命に代えても止めて見せます……!」

「ふん。貴様を我が『鉤爪』で引き裂き、やつの……なんだっけ……嘆く……ええい。とにかく、大人しくかかってこい! もう喋るのもきつい!」


 ナタリーは複雑そうな顔で、コレッタに耳打ちする。

「……あの人、なんかいまにも倒れそうじゃない? ソニア並みに限界っていうか」

「大丈夫だよ、かかってこいって言ってるし。かかっていこー!」

 コレッタは戦鎚を振り上げ、飛ぶように駆けだす。

「いくよ、ソニアちゃん。コレッタお姉ちゃんについてきて! 先手必勝だよ!」

「コレッタはお姉ちゃんではありませんが、先手必勝には賛成です! ソニア・リカード、参ります!」

 ソニアの突撃の足取りは危うい。よろよろと、いまにも剣の重みで倒れそうだ。


「ああ、もう、危なっかしい……! 一応、援護するからね!」

 ナタリーが杖を振るい、魔力線を束ねる。最も得意とする、熱と衝撃波の術式プロトコルを構築していく。

「いけっ」

 炎の槍が虚空に生まれ、ヴィアラを狙って放たれる。


 そして、三人の冒険者と、元・魔王軍の残党の戦いが始まり、すぐに終わった。


――――


 翌日。

 やはり同じくダンジョンの暗がりの奥で、苦情を訴えるヴィアラの姿があった。


「――と、いうわけで、ひどい目にあったぞ!」

 黒い鎧はあちこちが煤けているようだが、どれだけ重くても脱ぐ気はないらしい。

「特に、あのコレッタという娘はどういう神経をしているのだ。私が『覚えているがいい』って言った後も、かなり執拗に追いかけてきたぞ! 殺人鬼か!」


「ああ。なかなか強いだろ」

 ハルトは作業の手を止めずに答えた。

 先ほどから彼は壁面に小型のスコップを突き立て、うすぼんやりとした光を放つ苔を、土ごと丁寧に削り取っている。

「コレッタはあの三人の中だと一番年上で、お姉ちゃん役だからな。あれも一種のリーダーシップってやつだと思う。ソニアとナタリーの前で張り切ってるわけだ」

「嘘だ! 嬉々として戦鎚を振り回すのは、明らかに趣味嗜好だ!」

「それもちょっとある」

「冗談ではない!」

 ヴィアラは悲鳴をあげた。


「それにナタリーとか言ったか。あの娘の魔法も目障りなことこの上なかったぞ! ソニア・リカードにはうっかり怪我をさせないように、逆の意味で気を使ったわ!」

 ヴィアラは不満を絶え間なくまくしたてる。

 やはり、と、ハルトは思う。コレッタとナタリーに声をかけてよかった。ヴィアラに『冗談ではない』とか『目障り』だとか言わせるからには、相当なものだ。

 あの二人には素質がある。


「しかし、貴様の妹はどうかしているぞ! あんなに体が弱いのに、白兵戦を仕掛けてくるとは……あっ。言葉がすぎましたすみません、私が愚かでした。いますぐ土に埋まります」

 ハルトの形相の変化に気づいた、ヴィアラの謝罪は早かった。

 彼女はこの話題が致命的なことを知っている。


「埋まらなくてもいいよ――っていうか、お前、なんでまだここにいるんだ?」

 そこで、ハルトはようやく彼女を振り返った。

「次のライバル再登場の回まで、しばらく出番ないから一度帰っていいぞ」

「出番が来たら呼び出すつもりだったのか……貴様、なんと恐ろしいことを……!」


「帰らないなら、このダンジョンに居座るつもりかよ」

「ふんっ。一度枯渇した魔力線がなかなか戻らんのだ。しばらくこのダンジョンのように、魔力線の豊富な場所で休むしかない」

 犬耳をひくつかせて、ヴィアラはその場に座り込んだ。

「それが無ければ、私だっていますぐ帰りたいものだ!」

「どこに?」

「決まっているだろう、我らが新たな――うわっ? あぶなっ!」

 得意げに言いかけて、口に手を当てた。


「誘導尋問をしようとしたな! 卑劣なやつめ、その手には乗らんぞ!」

「なかなか口を割らねえな。まあいいよ、俺の邪魔をしなけりゃ」

 ハルトはスコップで回収した光るコケと土を、木箱に敷き詰めていく。慎重な手つき。

 それを眺めながら、ヴィアラは首をひねった。

「――そういう貴様は先ほどから何をしている。罠の構築ではないな」


「見ての通りだよ。ホタル苔と、土を集めてる。魔力線をたっぷり蓄えたやつ」

「確かに、このダンジョンは異様なほど魔力線が高い。が、なぜ……?」

「ガーデニングをやろうと思ってな。とにかく質のいい土が必要なんだ」

「魔力線が必要なら、土に直接流し込めばよいだろう」

 ヴィアラは小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「貴様ならいくらでも可能ではないか」


「やれやれ、わかってねえやつの発言だ」

 わざとらしいまでに首を振り、ハルトは露骨にため息をついた。

「素人は黙ってろ――」

「ううむっ、なんだその顔は。いますごくイラっときたぞ!」

「ホタル苔入りの土ってのが重要なんだ。ホタル苔自身が魔力線を吸い上げ、増幅して還元してくれる。直接流し込むより、長い目で見ればお得らしいんだよ。ニコラの話によると」

 そうして、ハルトは回収したホタル苔の木箱を担ぎ上げる。かなり大きい。

「今日はあともう一箱くらい集めるか」


「それほどたくさんの資源を必要とするガーデニングとは……」

 ヴィアラはなんらかの疑念を抱いたようだ。

「いったい何を育てようとしているのだ」

「お前には内緒だ」

「気になるではないか! 言え!」

「お前の隠し事を話したらな」

「ぐ」

 ヴィアラは言葉に詰まり、顔をしかめた。


「絶対に言えん……! どんな拷問を受けても、私は言わぬぞ! 特にあの変態エルフを連れてきたら、もうホントすぐに死を選ぶからな! 絶対やめて。やめてください、お願いします」

「わかったよ」

 あえて追及はせず、ハルトは歩き出す。無駄だと知っているからだ。

 ヴィアラは口ほどにもなく拷問に弱いため、とことん追い詰められると本当に死を選ぶ――というより、肉体を破棄して魔界に戻る。


 去っていくハルトの背を睨みつけながら、ヴィアラは呻いた。

「ハルト・リカード……! まさかやつもダンジョンを築いていようとは」

 その顔には、焦燥が浮かんでいた。

「このこと、一刻も早くガンドローグ様にお伝えせねば……!」


――――


 ハルト・リカードの運営する酒場に、今日も客はいない。

 店内に集うのは、彼と三人の少女だけだ。


「ああ……なんという醜態っ……!」

 机に突っ伏しながら、ソニアは苦悶の声をあげていた。

 ヴィアラとの戦いから戻って以来、ずっとこの調子だ。

「私が力及ばずっ……! あの魔族を取り逃してしまいました。おそらく兄上の命を狙って、この村の近くまでやってきたのでしょう。コレッタとナタリーの奮闘を無駄にしてしまい……申し訳ありません……!」


「落ち着け、ソニアよ」

 ハルトはソニアの体を支え、抱え上げる。

「お前に万が一のことがなくてよかった。それだけでお兄ちゃんは世界一幸せだ」

「兄上……!」

 ソニアは目を潤ませた。いまにも涙がこぼれそうになる。


「あのさ……、この前から何回そのやりとりやるの? もういいでしょ! 毎度毎度それ見せられるのキツいんですけど!」

 頬杖をついたまま、ナタリーがうんざりしたような声をあげた。

「とりあえず、ヴィアラ……だったっけ。あの魔族の人は撃退したわけだし。ソニアも前よりは探索できたよね。二百歩くらい探索できたんじゃない?」

「はい。ナタリー、ありがとうございます」

 ソニアは深々と頭を下げた。

「私もここまで成長できるとは思いませんでした。やはり冒険は人を鍛えますね!」

「合計にして三百歩の冒険しかしてないけどね……」

 ナタリーは指の先でくるくると杖を弄ぶ。考え事をするときの癖のようなものだ。


「この調子で、少しずつ探索範囲を広げていくしかないかなー……。ダンジョンの中でソニアが休める場所があればいいんだけどね」

「私の活力の奇蹟も、限度がありますからねえ」

 コレッタが珍しく考え込むように首を傾げた。

「疲労がポーンと取れるくらい効くんですけど、何回も使うと、ちょっと健康面に深刻な後遺症が残っちゃうらしくて。乱用は危険なんですよね」


「コレッタの活力の奇蹟、マジでソニアには禁止だからな。ダメ、絶対!」

「神殿だと、人気のある奇蹟なんですけど……」

「人気の問題じゃねえよ! だが、ソニアの体力問題については、俺も色々と考えている。そう、新たな計画だ」

 ハルトは力づけるように、ソニアの背中を軽く叩いた。

「冒険者ギルドのマスターとして、所属するギルドメンバーたちの冒険を万全にサポートしてやりたいからな。もう少し待ってろ、ソニア」

「兄上……!」

 ソニアはハルトの手を握り返した。

「そこまで私のことを考えてくださるなんて……ソニアは、感激のあまり涙が……!」


「またリカード家のシスコン劇場がはじまる……。なんか納得いかない。私たちも超がんばってるんだけど」

 ナタリーが半眼で呻いた。

 そのときだった。


「――ハルトくん! 今日という今日は、徹底的に話し合うぞ!」

 酒場の入口のドアが勢いよく開く音。

 そこに立っていたのは、鉄の甲冑を着込んだ初老の男だ。使い古された戦斧を両手で抱え、なんらかの覚悟を決めた顔で、ハルトを睨みつけている。

「きみの『冒険者ギルド』の経営、および村の近くに出現した謎のダンジョンについて! 村長として、私は絶対に認めないからね!」


「あ」

 コレッタが立ち上がって、手を上げた。

「お父さん! ごきげんようー」

「……うわ。ほんとだ。お父さんだ」

 ナタリーは気まずそうに顔をひきつらせた。


「コレッタ、ナタリー! 今日はお父さん、お前たちにも言いたいことがある!」

 恰幅のいい男は、コレッタとナタリーを順番に指差した。

「あれほど冒険は禁止と言ったのに、またハルトくんのところにいるなんて……! 良くないぞ!」

 コレッタとナタリーは、露骨に面倒そうに目配せを交わした。

 ハルトはなんとなく確信する。この目配せの意味は、『また始まった』だ。おそらく自宅でも相当な回数のお説教があったに違いない。


「いいかね、ハルトくん!」

 今度ははっきりと怒りを含んだ目で、男はハルトを睨む。

 彼の名は、ヨセフ・パースマーチ。

 ハルトも良く知っている。この村の村長にして、コレッタとナタリーの父である。

「私は断固としてきみを糾弾するよ! まずは冒険者ギルドに、ダンジョンに、この前の地盤崩壊に娘たちのことに――うわあああ! 議題が多すぎる! どういうことだあああ!」


「兄上……村長が混乱しておられますが、これはいったい?」

「いやー。前々から粘り強く話し合いを続けてたんだけど、議論は平行線で」

 ハルトは髪をかきむしり、ソニアを守るように前へ出た。

「落ち着いてください、村長。近所にダンジョンが出来たのは……えっとまあ、自然現象で仕方がないとして」

「自然現象で出来るのかい! ダンジョンが! 私はきみの関与をものすごく疑っているし、この前の地盤崩壊も絶対なんかやったよね!」


「じっ……事実無根です」

 背後にソニアがいる以上、ハルトはそう言い切るしかない。

「仮にそうだとしても、ダンジョンがある以上、対策はしないといけないっすよ。モンスターが村にあふれ出したら大変だし……つまり、そのための冒険者ギルドです!」

「ハルトくんが一人でどうにかできるよね! うちの娘たちに危ない真似はさせないでくれ!」


 村長は血走った目でハルトを睨む。

 今日という今日は、相当な覚悟を決めてきたらしい。

「そもそもだね、冒険者ギルドが村にあるのも絶対によくない!」

「そうですかねえ」

「そうに決まってるよ! いいかね、冒険者ギルドというのは、ならず者の巣窟! タチの悪いよそものが集う場所で、こんなものがあると近隣の治安が悪化するんだよ!」

「言いすぎじゃないかな……。見ての通り、まだよそものは所属してないっすよ」

「『まだ』って言ったな! ハルトくん、私は許可しないぞ! この村では冒険者ギルド禁止だ!」


「うーむ」

 ハルトは唸り声をあげて、腕を組む。

 議論はまたしても平行線をたどりつつある。

「村長、とりあえず落ち着いて。あんまり叫びすぎると血圧が上がりますから」

「大きなお世話だよ! とにかく、この冒険者ギルドは解散! 営業を中止して!」


 村長はそれだけ怒鳴って、荒い息をついた。

「まったくハルトくんには困るよ。そんなことでは、私が考えている計画も台無しだ! いいかね。ソニアちゃんが自立した暁には、きみにどちらの娘を任せるか――」

「「お父さん」」

 ほとんど同時に、コレッタとナタリーの両者が立ち上がっている。

「いいから。早く帰って」

「余計なこと言わなくていいからねー」

 ナタリーの声は氷のように冷たく、コレッタの声にもいつもの能天気さはない。


「ま、待て! お前たちにも話がある。いくらハルトくんが将来的には――」

「帰ってから聞くから」

「お父さん、きりきり歩いてね」

「うわっ、力が強い! 私の娘、二人ともすごく力が強いぞ!」

「「黙ってて」」


 そのまま村長とともに出ていく二人を見送って、ソニアは不安げに兄を見上げた。

「兄上……! 申し訳ありません、私のために……!」

「心配するな」

 ハルトは力強く、しかし可能な限り優しく、ソニアの背中をもう一度叩いた。

「お兄ちゃんが何とかしてみせる!」


 このとき、ハルトの頭の中には、一つの計画があった。

 その名を、『女神栽培計画』という。



【俺の妹のための、伝説へのわかりやすいロードマップ・第1章】

 ☆はじめての冒険をする(完了!)

 ☆ライバルと出会う(完了!)

 ★女神に祝福される(進行中!)

 ★伝説の武器を手に入れる

 ★中ボス(できればデーモン)を倒す

 ★王族から激励される

 ★邪悪な魔王を討伐し、伝説を打ち立てる

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