第3話 トラップに引っかかるのは間抜けだけ
ハルト・リカードの酒場――兼、冒険者ギルドには、今日も客の姿はない。
代わりにいるのは、ハルトと三人の少女だ。
「それでは、諸君。今回のクエストについて説明しよう」
ハルトは丸テーブルに勢いよく両手をついた。
「と、思ったが!」
そしてすぐに、テーブルに伏せるように頭を下げた。
「この前のダンジョンの突発的な地盤崩壊と謎の爆発により、ダンジョン周辺の地盤を安定させる――じゃなくて安定するまで! 数日ほど攻略はお預けだ!」
絞り出すような声で、唸る。
「すまない、ソニア。これはお兄ちゃんの責任だ……!」
「私ごときに頭を下げるなど、おやめください、兄上……! とんでもないことです」
ハルトに応じるように、ソニアも慌ててテーブルに額を押し付けた。
「地盤沈下など、いくら兄上でも予見は困難のはず。もっと機敏にダンジョンに潜れなかったこの身が、ただ恨めしい……!」
「お前こそ顔を上げてくれ、ソニア。これはお兄ちゃんが悪かった! いや、マジで!」
「上げるなら、兄上が先に!」
「いいや、ソニアが先に!」
「ああああーーーー! リカード家のシスコン劇場がうるさいっ」
ナタリーの咆哮が、二人の応酬を瞬時に阻んだ。
読んでいた分厚い本を閉じ、睨みつけてくる。
「ダンジョン攻略しないなら、静かにしてくれる? 私、新しい魔法の練習したいんだけど!」
ナタリーの魔法の練習は主にハルトの酒場で行われる。もうずいぶん前から、自宅での魔法の練習は禁止になったらしい。
「あっ! それじゃあ」
と、手を叩いて場の空気を変えたのは、コレッタだった。
「ダンジョンに出かけないなら、ソニアちゃんもなにかトレーニングとかする? 私、筋トレなら教えられるよ!」
コレッタは右腕で力こぶさえ作って見せた。
一見したところ細く見えるコレッタの腕だが、戦鎚を軽々と振り回すほどの力が秘められている。ハルトは彼女が祈りを捧げる姿よりも、筋トレしている姿をよく見かけるくらいだ。
しかし、ハルトが見たところ、コレッタ式の筋トレはソニアには早すぎる。
「個人鍛錬も悪くない。が、今日はちょっと趣向を変えて、勉強会をすることにした。とりあえず、これを見てくれ」
ハルトは慣れた手つきで紙片を配っていく。
たちまち、それを覗き込んだナタリーの眉がひそめられた。
「……えっと、なにこれ?」
【目的】 ダンジョンの脅威、トラップについて学ぼう
【概要】この前の唐突な地盤崩壊からもわかるとおり、モンスター以外にもダンジョンには多数の危険が潜んでいる。その最たるものがトラップだ。危険を察知し、トラップを回避できるよう、きみたちは知識を深める必要を感じた――
【アンケート】あなたが最も苦手なトラップはどんな罠ですか? 好きなだけ選んで丸をつけてね。
「わー。トラップなんて、本格的にダンジョンっぽいですね!」
「じゃなくて、最後のこれ。アンケートって」
コレッタは目を輝かせたが、ナタリーは怪訝そうに最後の一文を眺めた。
「なんで? そんなこと聞いてどうすんの?」
「いや、仮にもここは冒険者ギルドだろ?」
「本当に『仮』だけどね、一日で改装したレベルの」
「いいから聞けって。今日はギルド員のトラップに対する意識を調査しようと思ったんだ。その結果を踏まえて、俺が注意すべきトラップについて講義する」
ハルトは確信をもって断言する。
「詳しい理由は省くが、今後あのダンジョンを進むにつれてトラップは多くなるだろうからな!」
「でしょうね! ハル兄が言うなら、絶対に多くなるよね!」
「さすがです、兄上……! なんたる博識。なんたる配慮」
呆れるナタリーをよそに、ソニアはすでに羽ペンを握りしめている。
「不肖、ソニア・リカード。全身全霊で回答させていただきます。ええと、これと、これと……」
ソニアの羽ペンは、最後に羅列されたトラップの種類の、ほとんどすべてに丸印をつけていく。
落とし穴、釣り天井、虎ばさみ、回転床、ミミック、テレポーター。書かれたトラップを網羅せんばかりの勢いだ。
ナタリーとコレッタは、互いにささやきを交わし合う。
「これ、最終的にぜんぶのトラップに丸がつくパターンじゃない? 全種類の講義聞くことになりそう」
「しーっ。ナタリーちゃん、ハルトさんがやる気になってるんだから、水を差しちゃダメだよ」
「めちゃくちゃ聞こえてるからな、お前らのそれ」
ハルトは丸めた紙片でナタリーとコレッタの頭を軽く叩く。
「俺だって、前回のことがあって反省してるよ。次はもうちょっと考えて作る」
「具体的にどうするつもり? ハル兄、大雑把なところあるから」
「失敬な。思うに、前の失敗の原因はテストプレイしてないことだ。かといって、プレイヤーであるお前たちにやらせるわけにもいかねえし」
「またハル兄がよくわかんないこと言ってる」
「気にするな」
ハルトは片手を振って、ナタリーを黙らせた。
「とにかく、対策は次回までに何か考えとく。さっさとアンケート書いて、今日は座学だ! 俺はトラップの専門家じゃないが、とある人物から教科書をもらってきたので安心してくれ」
彼が取り出して見せたのは、古めかしい本だった。記された題名は、『ゴブリンでもわかる! ダンジョン・トラップの傾向と対策』。
ナタリーは腕を組み、唸った。
「とある人物……なんだろ。今回もすごく嫌な予感がする……!」
――――
その日の夕暮れ、ハルトはダンジョンの第一層に潜ることにした。
ジェリクのゴーレムによる支援もあり、昼夜を徹した土木作業と魔法によって、ダンジョンの地盤はおおむね回復したといっていい。あと少しだ。
その間、進められる作業は進めておかなければ。
「と、いうわけで」
ハルトは片手でダンジョンの通路を示した。
「これが俺の作ったダンジョン。名付けて《大深淵》第一層の大回廊だ。宜しく頼むぜ、ニコラ!」
「任せてください、ハルトくん」
ハルトの後ろに佇む男は、今日はジェリクではない。
「ちょっと見学のために散歩していましたが、なかなかトラップの仕掛けがいがあるダンジョンですね」
ハルトよりもさらに頭一つ分高い長身に、深緑の外套。黄金の髪。さらに先端の尖った耳は、エルフという種族の特徴だった。
彼の名を、ニコラ・ノスリングという。
世間には、《月縫い》ニコラと呼ぶ者もいる。
狩人にして斥候。月すら射抜くという弓の使い手。ハルトやジェリクと同じく、魔王を倒した九人の勇者うち一人である。
「悪かったな、急に呼び出して」
「別に構いませんよ。世界が平和になると、エルフの族長候補なんて暇なものですから」
ニコラの微笑みは、ハルトの記憶にある限り、ほとんどいつも穏やかだ。その見た目もまったく変わっていない。
エルフとはそういうものだ、とハルトは聞いている。
「むしろ助かりました。ちょっと女性関係の問題で、里にいづらくなりまして」
「相変わらずだな、お前。しまいには刺されるぞ」
ハルトとニコラは、散歩でもするような足取りでダンジョンを歩く。
モンスターの気配は周囲にない。というより、たいていのモンスターはハルトに近づこうともしない。ダンジョンの生態系を保つために、モンスターの間引きを行っているのが彼だからだ。このダンジョンに住まうモンスターにとって、ハルトの存在は恐怖そのものである。
「それじゃ、改めて――ニコラ、頼む。俺にトラップの仕掛け方を教えてくれ」
狩人であるニコラは、トラップの専門家でもある。
解除においても設置においても、この大陸で右に出る者はいないだろう。
「それなんですが、ハルトくんが自分でトラップを作るんですか? 市販品を買った方が楽なのではないでしょうか?」
「俺のダンジョンに買うって発想はない。っていうか市販品なんて使ってみろ、うちの妹が引っかかったら死にかねない……!」
「ソニアさんの体質、相変わらずのようですね。いかがですか? エルフ式の体質改善マッサージ術やエステ術など、私が施術しましょうか」
「お前ホントに相変わらずだな! 妹にそういうことするなって警告したよな……!」
「いま思い出しました。非常に残念です」
ニコラはハルトから目をそらし、わざとらしく口笛を吹いた。
「真面目にトラップ作りを手伝う気がないなら、お前は強制送還だからな」
「とんでもない! ぼくは真面目です。なにしろハルトくんが来るまでに、お手本としていくつのトラップを仕掛けておきました。どれもちょっとした設置型の
「なるほど。人格はともかく、トラップ設置のスキルはさすがだな……早速紹介してくれ」
「喜んで。たとえば、そこ」
ニコラは歩みを止め、少し先の地面を指差した。
「掘り返した跡がありますね。トラップです」
「ああ、ここか?」
「このように、トラップは注意深く見ていれば、その存在を察知できるものです。ぼくの氏族には、こんな格言もあります――『トラップに引っかかるのは間抜けだけ』。ソニアさんの洞察力アップにも役立ってくれるでしょう」
「おっ、いいねニコラ。専門家っぽい発言だ」
ハルトは鋭い目つきで、足元の土を眺める。
「で、このトラップはどういう仕掛けなんだ?」
「横の壁、小さい穴がありますね」
「おう。あれが?」
「毒矢を射出します」
「あ?」
「百本くらいの連射なんですが、ちゃんと矢尻にはクラーケンもかすっただけで死ぬ猛毒を塗ってあります。この森で採れる蛇骨茸から抽出した毒なので、とっても自然に優しいんですよ」
「……アホか!」
ハルトはニコラの襟首を掴んだ。そして揺らす。
「俺の妹を殺す気か!」
「お、落ち着いて、ハルトくん。木製の矢なので、斬り落とすのは簡単ですから」
「百本も連射される矢を斬り落とせる妹なら、俺はもうちっと安心して見守れるわ。こんなトラップ外せ! もっとアスレチックみたいな、楽しみながら体力づくりできるレベルでいいんだよ!」
「ア、アスレチッ……? よくわかりませんけど、危険すぎるということですか」
「危険すぎるということだよ。絶対ダメだ」
一通りニコラを揺らして、ハルトは手を離した。
「他のトラップは? まさか、似たり寄ったりじゃねえだろうな」
「大丈夫。ちゃんと非致死性のやつもたくさん仕掛けましたから」
襟元を直しながら、ニコラは穏やかにほほ笑んだ。
「たとえば、もう少し先の天井。ちょっと傷がついてますよね?」
「ああ。あれか」
「人間の通過を感知して作動するトラップです。人体に無害な、衣服だけ溶かす溶液を降らせます」
「……いま、なんて?」
「人体に無害な、衣服だけ溶かす溶液を降らせます。完全に安全な――うわあ?」
ハルトが再び襟首をつかみ上げたので、ニコラは説明を止めた。
「ニコラ、どうしても俺と戦いたいのか……悲しいぜ、かつての仲間と道を違えるとは……」
「お、落ち着いてください、ハルトくん。ぼくはただ、あわよくばソニアさんたちの半裸か全裸が見たいだけで、他意はありません」
「それが一番よくねえんだよ! おいっ。てめーの提案するトラップは殺人とエロの二択か!」
「い、いえ! 他にも様々なトラップがありますから! ほらっ、あっちには召喚の
ハルトに腕一本で空中に吊り上げられながら、ニコラは後方を指差す。
「粘性のある液体を分泌する、無数の触手を召喚するんです。触手は天井から出現するので、これで獲物を捕まえ、魔力線を吸い上げ――ぐぶぶぶ! 苦しい!」
「面白ぇ。この距離で俺に戦いを挑むお前を褒めてやろう」
額に青筋すら浮かべ、ハルトが少し本気で力をこめようとした瞬間だった。
その異様な叫び声は、あまりにも唐突に響き渡った。
『ういっ? いぃぃ――ぎゃあああぁぁわぁぁぁぁぁ!』
まずは、ハルトが眉をひそめた。
「ニコラ。いまの、なんだと思う?」
「トラップに誰か引っかかったようですね。悲鳴の方向と距離から考えて、いまご説明した触手を召喚するトラップだと思います」
「なんてこった、すでに被害者が! 声からしてソニアじゃないことは確実だが――」
もしも村の人間がかかったとなると、ハルトとソニアの生活に関わる大問題だ。
ニコラの襟首から手を離し、ハルトはすでに走り出している。
「見てくる」
「同行しましょう。ですが、いまの声。どうも聞き覚えのあるような……」
――――
そうして、ハルトたちはそれを見る。
触手に捕まって、もはやぐったりと天井から吊り上げられている一人の女を。
「あー」
ハルトは銀髪をかきむしり、ニコラを振り返る。
「どうしよう。知ってるやつだ、これ」
「ですね」
ニコラも困ったような苦笑いを浮かべ、背中の弓に手を伸ばしている。
「しかし、なぜ彼女が?」
触手に捕まっているのは、黒い鎧に身を包んだ女だ。
かなり高価な鎧なのだろうが、無数の触手が隙間から入り込み、どろどろとした粘液を溢れさせている。剣は地面に落ちていた。
だが、彼女の外見において何より特筆すべきは、高価な装備ではなくその頭――真っ赤な髪から突き出した、犬のような耳。尻尾。そして真紅の瞳。
これらはすべて、魔界の住人たる証だった。
「……う」
呻いて、紅い瞳が揺れた。ハルトと、ニコラを視認する。
「う?」
その眼が徐々に焦点を結び、意識を取り戻していき――そして、再び絶叫が漏れた。
「うっ――う、わあああああ! ハルト・リカード? ニコラ・ノスリング? なっ、なな、なぜ貴様らがここに!」
「やっぱり間違いないな。こいつ、ヴィアラだ」
ハルトは剣を拾い上げ、それを見つめて断言する。
「ヴィアラ・ナガル。《闇の鉤爪》ヴィアラ。なんて言ったっけ? 魔王の、あの手下ども」
「災禍の十二使徒ですよ」
「そう。それだ。元・魔王軍の幹部」
拾った剣の先を、ヴィアラに向ける。
「何やってんだ、こんなところで」
厄介で、唐突な来訪者には違いない。
だが、と、ハルトは思う。
こいつは使える――かつての魔王軍の幹部。テストプレイヤーとして絶好の人材になるだろう。
【俺の妹のための、伝説へのわかりやすいロードマップ・第1章】
☆はじめての冒険をする(完了!)
★ライバルと出会う
★女神に祝福される
★伝説の武器を手に入れる
★中ボス(できればデーモン)を倒す
★王族から激励される
★邪悪な魔王を討伐し、伝説を打ち立てる
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