第2章 Record
「二泊三日、船旅の招待券だ。どう?」
そう持ちかけられたのはついニ日前の事だった。もっとも、彼女、アサガミ・フミカ女史という人間を知っている者からすればその言葉に裏がある事は明白だ。
「もっとはっきり物を言ったほうがいいんじゃないですか? 誤解を生みかねませんよ」
「いやいや、誤解だなんてとんでもない。ほら」
言って、彼女は茶封筒を差し出した。今どき随分古風だと思ったが、それほど珍しいという訳でもない。根強い伝統というものが、ある所にはあるのだ。
「確認しても?」
「もちろん」
それを聞いて、僕は封筒をなるべく慎重に、斜めに傾けて開き始める。
「おいおい、爆発するのか?」
「いや、炭疽菌でも入っているのかと」
「随分な物言いだな?」
「冗談ですよ」
中には、とある学会から僕に宛てられた調査に関する依頼書が入っていた。学会の名には見覚えがある。確か、一度だけアサガミに連れられて出席した事がある。
読み進めてみると、どうやら、メンフィスと呼ばれる施設の調査に僕が招集されているという事らしいのが分かった。そして、その調査が行われるという日付は三日後であるらしい。嫌な予感がする。
「……三日後なんて、今から返事をしても間に合わないでしょう」
「いや、もう返事はしてあるんだ」
「断ったんですか?」
「行くと」
僕はため息をついて、天井を仰いだ。
「封筒の中を見てみるといい」
アサガミは笑顔で言う。封筒の中身を改めると、中からは二枚の航空券が出てきた。どうやら、二日後の便と、それから復路の便も用意してあるらしい。無茶苦茶だ、と僕は思った。
「どうしてもっと早くに言ってくれないんですか」
「君がなかなかこっちに来てくれないものだから」
「メールの一つでも……いや、もういいです」僕は議論を諦める事にした。「メンフィスって言うと、米軍の原子力潜水艦ですか?」
「知っているなら話は早い。メンフィス、オハイオ級巡航ミサイル原潜。その名を持つ艦としては八隻目だ」
アサガミは饒舌にその艦についての薀蓄を話し始めた。彼女はこういった兵器に関する知識が豊富だ。それが趣味らしい。
「半世紀前、北米の大混乱と時を同じくして行方不明になっていたが、それが今になって浮上したという話だ。調査によると、動力系の不備が原因だと」
「五十年も潜航してたって言うんですか?」いかにも胡散臭い話だ、と僕は思う。
「それも含めての調査だろう。聞くところによると、北極海でじっとしていたというのが有力説らしい」
僕はため息をついた。多少なりとも興味をそそられる話ではあるが、それと同じだけの懸念が僕の心に浮かび上がる。
「危険は?」
「君には護衛がつく事になっている」
「それは、危険があるという意味ですか」
「必ずしもそうとは言えないな。これは学会の意向だ」
僕は沈黙を返した。
「まぁ、これは私の意見だが」アサガミが言う。「危険はほぼないと言えるだろうね。じゃなきゃ、学会の堅物たちが出しゃばるもんか。それに、君のいつも行ってるような紛争地域よりはよっぽど安全だと断言できるさ」
僕はアサガミの言葉を吟味する。確かに、紛争地域よりは安全かもしれない。しかし、数十年前に行方不明となった潜水艦が安全だとは僕は思えなかった。
「核弾頭が装備されてるんじゃないか、って事です」
「あぁ……そう、そうだ。その話だ。忘れるところだった」
僕の言葉を聞いて頷くと、アサガミは座っている椅子を一回転させた。
「もちろん、弾道ミサイルが装備されていたはずだった。しかし、内緒だけどね、先遣隊の調査ではそれが一つも見つからなかったと言うんだ。面白いだろう?」
「へぇ……」僕は息を漏らした。「盗まれたか、撃ったんでしょうね。調べれば分かるんじゃないですか?」
「まぁ、それを調べる為の調査という事だ」
「はあ、そもそも、なぜ僕なんですか」
「私が代理に立てたんだ。元々は私に誘いが来てたんだが、君の方が適任だろう?」
僕はまた溜息をついた。諦める以外には無さそうだった。
「分かりました。行きます」
僕がそう言うのを聞いて、アサガミは満足そうな笑みを浮かべた。
Ph.D. kinakonn @kinakonn
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