第六章 Flight
"今という時間は、これからもいくらでもあるさ。"
「夢を見たんだ」
「夢?」ソフィアがパネルを操作しながら言った。データを転送しているのだ。
「うん。部屋にコタツがあったよね。あれは、夢を見せる装置……のようなものだと思う。脳に埋め込んだチップに働きかける仕組みだろうね」
僕が言い終えると同時にソフィアが口を開いた。僕は手でそれを制して続ける。
「質問は後で。言いたい事は分かるよ。人間の脳にチップを埋め込む技術は、この都市、いや、施設が出来た当時はまだ実用の段階じゃなかった。公にはね。けれど、実験的にそれらを適用されていたのが――」
「そうか、クローンなら……」
「うん。つまりこの施設は、違法なクローン達を匿って実験を行う場所だった。住人が消えた、なんて報告書が出来上がったのは、初めからここに人間がいなかったからだ。何らかの隠蔽工作か、もしくはその報告がそもそもの嘘なのかもしれない」僕は、そこまで言って一息ついた。
「それから十何年か経って、クローンでない人間の脳にもチップが埋め込まれるようになった。僕や、日記の男がここに来て、夢を見る。そして、彼女、ペルセポネに出会った」
「会ったの? その、人工知能に」
「うん。きっと彼女は、クローン達の夢から学習する人工知能だったんだ。人間とクローンの脳は根本的に何も変わらない。人工知能が人間の思考を学ぶのに、その脳から学ぶ以上に良い方法なんて無いだろうね。それから、この施設が寒いのは、住人にコタツを使わせる為だと思う。これはちょっと怪しいけどね……もっと他の理由があったかも。とにかく大筋としてはそんなのだと思う。あとは、彼が語った通りだろう」
「動画の彼が、まだクローンを匿っているっていう事はない? そんな風な事を言ってたわ」
「無いとは言えないね。けれど、データを秘匿するのは簡単でも、実際の人間となると難しいんじゃないかな」
僕が言うと、ソフィアは頷いた。
「あ、そうだ。どうしてパスワードが分かったの?」
「ああ、それは簡単だ――」そう言いかけた時、妙な音が聞こえた。ドアの方からだ。羽音のようなものが断続的に聞こえていた。僕は嫌な予感がした。
「ソフィア、データの転送を一旦止めて」声を落として僕は言う。ソフィアは何も言わず頷く。
僕は銃を抜いてドアへ向かう。羽音は聞こえ続けていた。心なしか、その音はより大きくなっているような気がした。
ソフィアに目配せをした。彼女も既に体勢を整えていた。僕は、彼女に伏せるよう手で合図をする。
外にいるのは、きっとあのカラスだろう。
ソフィアが僕を見て小さく頷く。
それを確かめて、僕は壁に背をつけてドアを開いた。
冷たい空気が触れる。
同時に、閃光が僕の目を覆った。
その光の一瞬前、僕は確かに見た。
あの黒いカラスの姿と、
飛翔する微小な針。
間違いなく、ソフィアを狙ったものだ。
白く染まった視界。
毒針?
違う。電子的な兵器のはずだ。
まずい。
ソフィアが動いた気配は無い。
銃で撃ち落とす?
跳弾が危険だ。
まだ白いままの視界。それで僕は気付いた。
咄嗟の決断が出来ていたらしい。自分でも驚いた。
これなら――
ゴーグルの視界が戻るまで、カンマ数秒だろう。
僕は壁を蹴る。
身体が浮遊感に包まれた。乖離した脳の信号と身体の感覚が、少しずつ収斂する。
視界が徐々に戻り始めた。
ソフィアの見開かれた瞳。
発砲音。ソフィアが撃ったのだろう。
それと同時に、背中に鋭い痛みを覚えた。
僕は床に倒れ込む。
ソフィアが何か言いかけている。
段々とその声が音になって、僕の耳にはっきりと聞こえてきた。
「ちょっと! 大丈夫?」
僕は咳込んだ。頭痛が酷かった。
「大丈夫。それより、まだ、いるかも」僕は言う。ソフィアが頷き、立ち上がって歩いていった。
僕は背中に手を回し、針を探して抜き取った。思った通り、旧型の電子兵器だ。直接信号を与えるタイプらしい。こういったタイプはネットを介するものより使われる頻度が低いため、旧型でもセキュリティの穴を突かれる事がある。ソフィアがどうだったかは分からないが。とにかく、基本的には生身の人間である僕にとってはほとんどただの針と変わらない。
それよりも頭痛が酷くなる一方で、立ち上がる事ができない程になっていた。僕は壁に寄りかかる。また何度か咳込んだ。
ドアの外から何度か発砲音がする。見ると、動かなくなったカラスが横たわっていた。僕は目を閉じる。足音が聞こえてきた。
「ねえ、しっかりしてよ、もう……」
ソフィアがそう言って僕の肩を揺するものだから、頭に響いて仕方ない。
「僕は大丈夫だから、データを」僕は言う。
「こんなに顔真っ青にして、説得力が無いわ」
「寝てれば治る。それより、早く」眼の奥の方が、じん、と疼く。
「ああ、もう……!」
ソフィアは不機嫌そうな声を上げてモニターに向かっていった。彼女がこんなに感情を発露させるのは珍しい。きっとソフィアは僕の事を心配して言ってくれているのだ。けれど、まあ、僕は強情だ。自分でも自覚している。
ソフィアがパネルを操作する音が部屋に響く。その音は、心地よく僕の頭に染み込むようだった。
一瞬、寝ていたらしい。腕につけた時計を見ると、数十分が経っていた。僕にとって睡眠とは、ただの時間的なワープだ。
頭痛はずいぶんとましになっていた。僕は伸びをする。すると、僕の身体に毛布が被せられているのに気付いた。きっと、ソフィアがやってくれたのだろう。
僕は一度瞬きをして、ソフィアの方を見る。彼女もうたた寝をしているらしい。なんとも平和な光景だ。写真に撮りたいくらいだったが、間違いなく彼女に怒られる事になるのは明らかだ。辞めておこう。
「ソフィア」僕は声をかける。
彼女の目が開く。視線がぶつかった。
「ん、私……寝てた?」
「うん。データの転送も終わったみたいだよ」
「そう……」
ソフィアはしばらく呆然としていた。僕も、何も言わなかった。
「夢を見たわ」ソフィアが言った。「変な夢」
僕はソフィアと顔を見合わせた。
「どんな夢か、聞いても?」
「行きましょう」
どうやら、返事はノーらしい。
僕はソフィアからバッテリーを預かって、それを簡単にジャケットと接続させた。ヒータは問題なく動作していた。これなら、寒さの心配をする事なく外を歩けるだろう。
「目標は達成できたの?」
「ええ。大丈夫」
「あ、そうだ……最後に見たいものがあるんだ」
ソフィアが僕を睨む。また面倒な事を言い出したな、という目だ。
「大丈夫。すぐそこで見られるから」
「何が目当てなの?」
「日の出だよ。もうそろそろだと思う」
外はやはり寒かった。気温の表示を見ると、マイナス三度だった。今は十二月だから、地上でも場所によってはこのくらいの気温だろう。
「ずっと気になってたんだ、四季はあるのかなって」僕はまだ暗い空を見上げながら言った。ソフィアは何も言わず、聞いている。
「夏と冬では、太陽の出没の時間が変わる。地球の自転軸がずれているからね。……そもそも、この施設は地上の環境を模している。今となっては何の目的だったか分からないけど、四季だけを再現しないっていうのは多少変だと思う」
話していると、段々と空が白んできた。昼間は、光があるのに太陽そのものは見えない奇妙な空だったが、朝焼けに空全体の色が変わっていく様子はとても美しく見えた。
「午前六時、ジャストだね」僕は時計を見て言った。
「四季は再現されてないって事?」
「……ペルセポネは、ギリシャ神話の女神、冥府の女王。彼女は別の女神の策略で、冥府の神ハデスの手によって冥界へと攫われてしまうんだ」
僕は言う。ソフィアは無表情で聞いている。
「これを嘆いた彼女の母、デメテルの嘆願によりペルセポネは地上への帰還を約束された。けれど彼女は、冥府での禁を犯してしまったせいで、一年の三分の一をハデスの元で暮らす事になった。これが、四季の始まりと言われているね」僕は続ける。
「ペルセポネが攫われる前、地上に居たときの彼女の呼び名が、コレー。綴りにすると、シー・オー・アール・エー」
「それが、パスワード?」
「きっと、彼の大事な人の名前だ」
「ロマンチストなのね」
「悪いかい?」
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