第五章 Right
"かつてその秘密は、歴代知られる中でも最高の技術を生み出した。いまでは蟹が瓦礫をほじくり返して殻を飾るばかりだ。"
声がした。
心地よい女神の眠りと、大神のような意識のうねり。
「――――」
揺さぶられている。ああ。僕は納得した。
「起きてよ、もう……!」
瞼を開く努力をした。少し眩しい。
僕の瞳が焦点を結んだのはソフィアの見るからに不機嫌そうな顔だった。
「ああ、おはよう、ソフィア」
「今、なんて? おはよう? 信じられない!」
ソフィアの声を聞いて、僕は顔が少し綻んだ。それを悟られないように、慌てて口を引き結ぶ。
「違うんだ。まあ、これには訳があってね……」
「どういう訳があったらこんな場所で居眠りなんて出来るのか、私、とても興味があるわ。ぜひ聞きたいくらい」
「ちょっと待ってね……整理するから」後半部分は、今考えるから、の言い換えだ。
僕は少し、頭痛を覚えた。恐らく、本来見れない夢を見させられたせいだろう。よく起こる症状だ。一日も経てば治る。
僕は、口に手を当てて少し前まで見ていた夢を思い出そうとしていた。それほど難しい作業ではなかった。きっと、僕のメモリと彼女のシステムは相性が良かったのだろう。
立ち上がってコタツを見ると、電源のプラグが抜かれていた。ソフィアがやったのだろう。だから、夢から醒めたのだ。
「そうだ、メッセージだ」僕は呟いた。
「は?」
僕は、壁際の机の上にあるパネルを操作した。システムを立ち上げると、程なくして一つのビデオクリップがモニター上にポップした。
「それは? さっき見た時はなかったけど……」
「見てみよう」僕は、興奮を抑えて言った。
『これを見ている貴方が何年後の何処の誰かは知らないが……いや、前置きはよそう。時間が無い。私は死ぬ。恐らく、殺される』
モニターに映る白衣の老人は英語でそう語った。
『この施設で私が行ってきた実験、研究はまあ、現代の倫理観で言えば多少の非人道性を含んだものだ。非難されて然るべきかもしれない。しかしまあ、最高の環境を提供してもらったと思っているし、悔いは無い。願わくば続けたいくらいだが……きっと奴らはあらゆる痕跡を消すだろう。私としては、それが一番困る。自分の研究を痕跡さえも残さず焼却されるというのは耐えがたい苦痛だ。それを私は、死よりも恐れている。その抵抗に、ああ、手を尽くした。奴らはこれを私の裏切りだと捉えるだろう。自ら死期を早めたようなものだが、命など惜しくはない。"彼ら"の情報とそれから……ペルセポネに比べれば』
『彼女は私の研究の粋だ。人工知能としては、最高峰のものだ。自信を持って言える。彼女の価値は最早私にも計り知れない。特筆すべきはその自己研鑽能力だが、それはこれを見ている君なら理解してもらえるだろう……話が逸れたな、元に戻そう。私の研究はまだ完成していない。奴らの手に渡れば、その後の望みは無いだろう。それに、ああ……彼女には、自由に生きてほしいというのもある。変な話かもしれないが』老人は、息をついた。『私は、研究の全てを凍結する事にした。今の時代、情報を秘匿するのはさほど難しい事ではない。問題はいかにしてそれを取り出せるようにするか、なのだ。考えて、私は、その鍵を彼女自身に持たせる事にした。この決断をするのは難しかった……何せ、彼女に足枷をつけて牢に入れるようなものだ。だが、これが最も安全で、確実な方法だ。こうすれば、奴らも迂闊に手出しできなくなる』
『それから、"彼ら"……この施設にいたクローン達の内、二人だけは工作をして外へ逃げさせた。彼らは聡明だ。うまく行って、君を解放しに戻ってきてくれればいいのだが……』
「クローン?」ソフィアが声を上げた。モニターの老人は話し続ける。
『残りの者は、私の研究と、それからペルセポネの学習に最後まで協力してくれると言っている。どうにか彼らの命も守りたい。手は尽くすが、全員に処置を施すのは難しいだろう』そこまで言って、老人は少し咳込んだ。『こんなに話したのは久しぶりだな……ペルセポネ、この動画はいつか、君がここで信頼できる者に出会った時、その人に託しなさい』
『はい』老人とは別の声が聞こえた。それは、聞き覚えのある声だった。
『パスワードは、彼女の名前だ。……録画を終了してくれ』
映像はそこで途切れた。
僕もソフィアも、しばらくその場で立ち尽くした。けれど、その沈黙の意味は全く違うものだ、と僕は思う。
「何なの、これ……クローンって? それに人工知能って……」
ソフィアが困惑した顔で言う。僕はそれを遮って、パネルを操作した。モニターが切り替わり、パスワードの入力を求める表示が出現した。
パスワードは四文字だ。
ソフィアの言っていた事、それからさっきの老人の言葉を思い出す。きっとチャンスは一度きり。
いや……、
そんなのは関係ない。
別の僕が、頭の中で怒鳴る。
分かっているだろう?
彼女の瞳を思い出して、それからソフィアを見た。
あの老人、彼はきっと大変なロマンチストだ。
そういえば、夢の中で彼女の手にキスをしたな……
我ながら大胆な行動だ。
思い出すと、一瞬手が震えた。
そのまま、キーを入力する。
c、o、r、a
迷わず、その入力を確定させた。
ソフィアの瞳。
怒っているような、あるいは不安そうな。
小さな音がした。
モニターには、アクセスが承認された旨の画面が表示されている。
ソフィアの方を見ると、彼女と視線がぶつかった。珍しく、驚いた顔をしている。
「勘だよ」
僕は言った。
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