第二章 Tight

 "ブラッグにとって、見えない箱の中に入っているのを演じることは何でもなかった。問題は、見えないドアをどうやって見つけるかにあった。"



 建物から出ると、外はかなり寒い。僕は上着のヒータをオンにした。

「寒いね。今は冬なのかな」

「さあ」ソフィアはそっけなく返す。そもそも、四季はあるのだろうか。

「地中熱があるはずだよね。寒いっていうのはちょっとおかしいよ」

「そうかもね」

 ソフィアと二人、舗装された道を歩いている。道の外は草原になっていて、人の気配は無い。誰も人間は住んでいないのだろうか。誰かが勝手に居ついていてもおかしくなさそうな状況だ。

 そういえば、そもそもなぜここは廃墟になったのだろう。依頼を受けた時の資料に書いてあったような気もするが、忘れてしまったらしい。

「ここってどうして人がいなくなったの?」

「分からない」

「それって?」

「理由は不明。十何年か前、急に内部との連絡が途絶えた。どうしてかエレベーターも動かない。半年ほどで地下に調査団が送られたけど、その時には既に誰一人住人はいなかった。それ以来ここの計画は凍結」ソフィアは淡々と語った。

「ふーん、面白いね。密室というわけだ」

「そういう訳じゃ無いと思うけれど……」

「そうかな。ま、興味深い事に変わりはないよ」

 僕は、面白い話が聞けて内心かなり満足していた。地下都市から消えた住人。そちらも時間が許せば調べてみたい、と思った。しかし、調査団が派遣されても行方が分からなかったのだから、僕らに分かるはずもないだろう。

「あ、という事はあの暖房器具を持ち込んだり、探知機を止めたのはその調査団かもしれないね」

「探知機はそうかもしれないけど、暖房は違うと思う」

「どうして?」

「調査団は人間じゃなかったから」

「ああ、ロボットだったのか」

 話していると、エレベーターの建物から一番近いビルの入り口に着いた。開放されていたドアから薄暗いエントランスに入る。どうやら照明が消えているらしい。僕はゴーグルを着けた。年季の入った旧型だ。今は、コンタクトレンズ型のものか、より新しいものでは脳に直接回路をアタッチするのが主流らしい。

 窓から外の光が差し込んでいる。心なしか、さっきよりもその色が赤く見えた。

「暗いね……どうしてだろう」

「システムが別系統になっていた。こっちはダウンしているのかも」

 天井のシャンデリアを見ながらソフィアは言った。僕も、辺りを見回しながら歩く。エントランスはとても広く、まるでコンサートホールのようだ。大理石の床に赤いカーペットが敷かれていた。

「一度、こんな場所でパーティに参加した事があるよ」

「へぇ、仕事で?」

「いいや、プライベートでね」

 住居部への入り口は二つあり、両方がエレベーターに繋がっている。左手側にある入り口に近づくと、それが破壊されているのが分かった。自動ドアのガラスが粉砕されたようになっている。

「うーん、やっぱりシステムが落ちているみたいだね」

 ソフィアは、床に散らばっているガラスの破片を拾い上げ、それを観察しているようだった。僕はエレベーターの方を確認する事にした。止まっていたら、多少面倒だ。

 エレベーターの方に近づくと、ドアが開きっぱなしだった。一応操作盤に触れてみたが、反応は無い。僕は軽く舌打ちした。予想していた事だったが、面倒な事には変わりない。

 仕方ない。僕は階上へ登るための準備をすることにした。その場にしゃがみこんで、リュックからいくつか道具を取り出す。

「それなに?」振り向くと、ソフィアがすぐ後ろからのぞき込んでいた。

「ロープと、うん。その他諸々」

「先に行ってるわ」

 そう言って、ソフィアは開いていたエレベーターの中に入っていった。ソフィアの後ろから中を覗くと、エレベーターの天井には穴が開いていた。バーナーか何かで焼き切られているようだ。

「やっぱり先客がいるのかもしれない」僕は声のトーンを落としていった。

 ソフィアは何も答えず、身軽にジャンプして天井の穴からシャフトに出ていった。

 ソフィアがシャフト内を跳躍する音が響く。僕には真似できそうもない。慎重に行こう。そう思いながら僕はロープを投げ上げた。クモの牽引糸を再現した素材から作られた高強度のものだ。先端にある仕組みは、あらゆる面に吸着できるようになっている。

 僕はそれがシャフトの壁面に触れたのを見て、ロープを何度か引っ張った。吸着面に問題は無さそうだ。僕は息をつきながらベルトにロープを固定して、それを登り始めた。


 二階のホールは薄暗かった。ゴーグルの暗視機能が起動していた。僕はホールを見渡して、すぐに異変に気付いた。元は居室にあったであろう品々がエレベーターの入り口の前に散乱している。衣服や布団、果てはテントまで。人が生活していたのだろう。それらの中で一番目を引く物があった。

「あの暖房器具だ」僕は言った。

「これだけじゃない。見たところ全部の部屋にある。一つ、近くの部屋からここに持ってきてたみたい」 

 僕は、先ほどしたのと同じように、机に被さっている 毛布の一端をめくった。すると中に、小さい携帯端末が置いてあった。僕はそれを取り出してソフィアに見せる。

「調べてみるけど、バッテリー切れじゃない?」

「予備に持ってきてるのがあるよ」

 僕は携行用のバッテリーをリュックから取り出して、ソフィアに手渡した。ソフィアはそれを受け取り、端末と接続した。

「プロテクトがかかってないわ。中身は……日記?」

「送ってくれ。歩きながら読む」

 ソフィアは頷いた。しばらくすると、僕の視界に日本語の文章が映った。ソフィアが僕らの端末をティザリングしてくれているのだ。彼女も同じようにして読んでいるのだろう。もう端末を服の中に仕舞っていた。僕は暗い廊下を歩きながら、その日記を読んだ。


 八月三日

 任務を開始してから一週間が経った。これからはこの端末に日記をつけることにする。

 一週間、毎日彼女の夢を見た。彼女が居なくなってから、こんな事は初めてだ。

 夢の中で彼女はいつも、ただ俺のそばに立って微笑んでいる。

 何故、今更になってこんな夢を見るのだろう。

 俺が彼女を殺してから、もう三年にもなる。


 八月四日

 居室で寝るのを辞めることにする。どの部屋で寝ても、同じ夢。

 幸いこの建物はあらかた調べ終えたので、これからはホールを拠点に探索することにする。一つ、部屋からコタツを拝借した。コタツは暖かくて良い。きっとここは年中寒かったのだろう。


 八月五日

 夢に変化があった。彼女と暮らした部屋で二人、食事をしていた。初めて彼女が口をきいた。ただ一言、あなたを恨んでいる、と。夢でもそれを聞いて俺は安心できた。


 八月六日

 夢に変化が出るようになった。彼女とピクニックに行った。彼女の楽しそうな笑顔が懐かしかった。


 八月七日

 今日は予定していた撤収日だ。結局のところ何の成果も得られていない。帰るつもりはない。ここにいれば彼女といられる。


 八月八日

 夢の中で何度も彼女に殺された。


 八月九日

 設備を破壊した。とても寒い。


 八月十日

 彼女が俺を呼んでいる。

 』


 日記はそこで終わりだった。

「あれ、コタツって言うんだね。聞いた事ある?」

「初めて聞いたわ」

「持ち主は誰だろう」

「知らない人」ソフィアは言った。

「良かった」

「どうして?」

「ソフィアが人殺しと知り合いじゃなくて」

「そんなに質のいいジョークじゃないかも、それ」

「うん、そうね……」

 小声で話しながら廊下を歩く。居室のどれも、鍵はかかっていなかった。一つ一つ調べてはいるが、どれも新居同然に整理されている。少し荒らされた部屋もいくつかあった。おそらく、日記の男の仕業だろう。ソフィアの言ったとおり、すべての部屋にあのコタツが置いてあった。それ以外は、どの部屋も特にめぼしい物は見当たらなかった。

 しばらくそれを繰り返していると、つきあたりに小さなドアが見えた。エレベーターの建物と同じ、"STAFF-ONLY"とだけ書かれたそれは半分開いている。おそらく、管理室の類だろう。

 僕は、銃を取り出して手に握った。壁に身体をつける。ソフィアを見ると、真剣な表情の彼女と目が合った。合図を待っているのだろう。僕は呼吸を整えてから、小さく頷いた。

 瞬間、息を合わせて同時に部屋に踏み込む。

 暗い室内を見回す。 僕は右側、ソフィアは左側。

 室内で動いているのは僕らだけだった。あるのは、機械の残骸、それから燃え滓。何のための部屋だったのかすら分からない。コタツだったであろう物は、この部屋にもあった。

「彼がやったんだろうか」

「多分そうでしょうね」

「という事は、彼が来た時はまだここのシステムは生きていたんだ」僕は言った。ソフィアはただ頷いた。

「もう行こうか。多分もう、ここには何も無いよ」

「日記の男がまだ上にいるかもしれない」

「多分それは無いと思うよ。もう出ていっただろう。言い切れないけど」

「勘?」

「いや、違う。ガラスやエレベーターを破壊したのが彼なら、それは内側からのはずだ」僕は言う。「システムを破壊したのも彼なんだから」

「窓から出たって事はない?」

「全部、閉まってたよ」

「一度外に出て、戻って来たかも」ソフィアが言う。

「まあ、その可能性も無いとは言えないけれど」

 ソフィアは息を吐いた。何か考えている様子だ。

 そのまま折り返して、僕らはエレベーターのあるホールに戻って来た。僕は乗り場から身を乗り出して、シャフトの上方を見た。

「ここより上の乗り場は開いてない。上には居ないと思うな」

「そう」ソフィアは返事をする。

「行こうか」僕は言って、そのままエレベーターの上に飛び降りた。

 ソフィアは答えなかったが、僕の後に続いた。

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