救国の王子と久遠の魔女
シャサ
とある魔女のよくあるお伽噺
「……死んでるの?」
さくりさくりと柔らかな苔を踏む、布靴の音。
その音は、重たい頭のすぐそばで止まった。
静かな問に、意外にもとうに枯れたと思っていた己の声は、すんなりと答えた。
「――まだ、死んでない……」
「そう」
血で張り付いた、厚ぼったく感じる瞼をうっすら開けると、美しい女性が映り込んだ。
「君は……誰?」
「私は――魔女よ」
◇ ◇ ◇
次に目を覚ましたとき、映ったのは暖かみのある木の天井だった。
「……なんだ」
次こそは目を覚ませば、天国か地獄かと思っていたのに。
寝起きの靄の掛かった頭で、ゆっくりと状況を整理する。部屋の中には今寝ている簡素なベッドとタンス、備え付けの暖炉と少しの薪だけで、この家の主は相当質素な生活をしているらしい。意識を失う寸前に見た、あの女性だろうか。
そう思い至ったとき、水の入った桶を持って女が入ってきた。
「まだ、生きてるのね」
女はこちらを見、涼やかな声で呟いた。
「助けてくれたのか?」
「いいえ。この森にあなたを転がしておきたくなかっただけよ。この森の養分になるには、些かあなたは貧相だもの。死ぬのならもう少し肥えてからにしなさいな」
「君は……」
「ラティーシャ。好きに呼べばいいわ」
淡々と床を拭きながら、女……ラティーシャは答える。一通り床が綺麗になると、満足気に彼女は頷いた。
「その、ありがとう。理由はどうあれ、助けてくれて。何かお礼をしたいところなんだけど、僕何も持ってなくて……」
「貴方の名前をまだ聞いていないわ」
「僕はシルク」
「そう、シルク」
聞いたラティーシャは興味なさげに、徐に立ち上がると、暖炉にかけた小さな鍋からスープをよそう。然り気無く、ラティーシャは皿を掲げた。
「……食べる?」
「あぁ、ありがとう」
「何故あんなところに貴方が落ちていたのかは、聞かないけれど」
自分の分のスープを口に運びながら、ラティーシャは独り言のように言う。
「出ていくなら今すぐでもいいわ。まだ居たいなら何年でも。私は引き留めはしない、咎めもしない。あなたの好きなようにすればいい」
食べ終わると、ラティーシャはシルクの分の皿も片付け、また外へ出ていった。こうして、シルクはこの家に住むことになったのだった。
負った怪我がいくらか癒えてきた頃、ラティーシャはベッドに横たわったままのシルクに声を掛けた。
「シルク、薪がもうないから、薪割りをして頂戴」
「薪割り?」
「えぇ、働かざる者食うべからず、よ。その程度ならもう動けるでしょう」
あれよあれよという間にベッドから追い出され、上着を着せられ、斧を渡されたものの、シルクは薪割りというものが何か知らなかった。ラティーシャはその事を知ると、少し驚いたような顔をしたが、手本に5つほど薪を割って見せてくれた。しかし、薪をたった2つ割っただけでマメを作りうずくまるシルクに、
「とんだお坊ちゃんね」
そうラティーシャは呆れた。
魔女との奇妙な同居生活を初めて数日、起き上がれるようになると、色々なことがわかってきた。
この家は人が踏み込んでしまえば、すぐに迷ってしまうような森の深くにあること。
ラティーシャは久遠の魔女と呼ばれ、近隣の街の人々に頼りにされる善き魔女だということ。
魔女は綺麗好きなこと。
魔女は豆のスープが好きなこと。
そして、魔女は寝ず、老いず、死なないこと。
ある日シルクは相変わらず質素な家の中に、1つの変化を見つけた。それは、暖炉の脇にある小さな机にあった。
「本? ラティー、これどうしたんだ?」
「前買い物をしたとき、子供が大きくなってもう要らないというから貰ったの」
冒頭部分だけ読んで、シルクは呆れて本を閉じた。
「これ、魔女が悪役の噺じゃないか」
「そうね」
「そうねって……嫌とは思わないのか!?」
「よくあるお伽噺でしょう。あなたたち人間は、本の中のことに何故そんなに感情移入できるの?」
「それは、まぁ架空とはいえ、本の中で生きているようなものだろう?」
ラティーシャは理解できないというように首をかしげ、机の上の本を手に取る。
ラティーシャは人に興味を持たず、シルクと話しているときも、シルクではないどこか遠くを見ていた。それが嫌で、彼女が自身を見てくれるよう、シルクは必死に努力した。
そのうち、いくつ薪を割っても平気になり、薪割りはシルクの仕事になった。
豆のスープだけは、どうしてもラティーシャ好みに作れなかったが、それ以外なら料理もそれなりにできるようになった。
幼い少年だったシルクの背は、あっという間にラティーシャの肩程になり、目線が合うようになり。
ついにその遠く見えた背を追い越した頃、誰かが戸を叩く音がした。
戸口には、立派な身なりの男が立っていた。シルクは驚いて、男の名を口にした。男は泣き笑いのような表情をして、シルクを「王子」と呼んだ。ラティーシャが悟るにはそれだけで十分だった。
「シルク、外で薪割りをしてて頂戴」
「……わかった」
シルクが外に出たのを見届け、ラティーシャは男に向き直った。本当は、用件など聞かずとも察していた。
「永久を生きる森の善き魔女よ。王子を助けて下さったこと、心から感謝いたします。しかし、彼は今は亡き王国王家の最後の生き残り、ここで一生を終えるわけにはいかないのです。どうか、ご理解下さい」
従者は聡明だった。
シルクが望んでここにいることを、ラティーシャもそれを拒んでいないことをよくわかっていた。
「好きにすればいいわ。私は引き留めない。人の争いに巻き込まれるのはごめんよ」
従者は深く頭を下げ、身を翻した。
「行きましょう、王子。もたもたしている暇はありません」
「ラティー」
いつの間にか馴染んだ愛称で、王子は魔女を呼ぶ。
「君は初めて会ったあの日に言ったな。僕の好きなようにすればいいと」
王子は魔女の手を取り、跪くと真っ直ぐその目を見据えた。
「約束する。必ず君を迎えに来ると」
そう言い残し、幼かったあの少年は旅立っていった。
それから、数年が経った。どこかで、滅びた国が再興したと聞いた。それがシルクの王国なのか、魔女に知るすべはなかった。
知っている。
人のする約束など、とても脆いものなのだと。それなら、なぜ待ち続けているのだろう。
「私も大概愚かね」
ため息をつく魔女の質素な家の前に佇む、1人の青年がいた。
大きく成長した、かつて薪割りでマメを作っていた柔らかな手が、木の扉を叩くまで。そして、その腰の袋に大切に仕舞われた、贅沢嫌いの彼女のために自らが手作りした木の指輪が、愛しの魔女の指に填まるまで、あと――。
救国の王子と久遠の魔女 シャサ @iwasita
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