レベル70『静寂たる』サンデー8
颯爽とした英雄は、どこにもいなかった。
困ったような、そのくせどこか嬉しげに微笑む一人の男がいるだけだ。
片腕でフリンを抱き上げ、ママさんを背負う姿は、ひょっとすれば日曜の公園にでも行けば見られるかもしれない姿だ、たった一点を除けば。
はらわたを根こそぎ持っていかれたかのような、誰がどう見ても……人類最高峰の回復魔法を扱えるルビーでもなければどうしようもない傷口。
あまりに大き過ぎて、それでも平然と歩くサンデーのせいで最初から穴が開いていたと言われても信じてしまいそうになる。
「待たせたね」
「……なにが」
私は、きっと安心していたのだと思う。
パパさんが、サンデーが勇者パーティなのを知ったあの日。裏切られたと感じたあの日、私は彼に決闘を申し込んだ。
次の日、太陽が登ったら、という約束はきっと守られる事はないと思っていた。
だって、そうだろう?暖かな家庭があって、どこの馬の骨とも知らないエルフがいきなり理由も言わず決闘を申し込んでくるんだ。
理不尽にもほどがある。無視してしまえばいい。
プラスとマイナスが、まったく釣り合っていない。
その釣り合わない損得を、どうして。
「待たせたね、じゃなくて……二人は」
まるでベッドに運ぶかのように芝生の上にママさんを横たわらせる彼の手付きは、どこまでも優しい。
はらわたを持っていかれている、とは思えないくらいに丁寧な手付きだ。
一方のフリンは、その近くにあった大岩にもたれかかるように座らせる。
どうしてそんな事をしているのか、という疑問よりも、フリンの胸が上下に動いている事に、自分でも驚くくらいにホッとしていた。
よかった、と思ってしまった。
私に頭を下げに来て、即座に踵を返したサンデーを待つ間、何故だかずっとイライラしていた理由がようやくわかってしまった。
心配なんて、私はした事がない。
誰にも目を向けず生きてきた私は、心配された事はあっても、心配した事はほとんどなかったのだ。
メリーポピーは、目を向けた途端に死んでしまった。
心配なんて、させてくれる暇をくれなかったんだ。
「師兄はさ」
ホッと一息を吐いて、ママさんを見る。
「まぁ正直、ろくな人じゃなかった。悪漢気取りで、拳才に溺れて。うん、今思い出しても腹がたつ」
フリンは無事だった。
だから、当然のようにママさんも無事だろう。
「魔王の手先になって、何回も何回も邪魔をしてきたのも本当にうんざりしたよ。でも、拳才に溺れて、大した稽古をしていなかったんだろうね。師兄は、僕に勝てなかった」
そう、信じていた。
「でもさぁ、本気だったんだ、師兄は。僕を倒す事だけに。妻を殺して、頭に血を上らせて、自分の弱さをみせつけて。せめてもの
安らかな、いっそ寝顔にしか見えない顔付きで目を閉じたママさんは、息をしていない。
「なにして」
「肉も骨も断たせた上で必殺を返してくるんだから、あの悪辣さは本当に汚いよ。拳士としての誇りなんて投げ捨ててさ……でもさ、強かったんだ、師兄は」
「キミは……」
「君にしか師兄の話は出来そうにもなくてね。さすがにフリンには話せない」
朦朧とした視線と、どこかズレた返事。
もう、彼の身体から魂が抜け出そうとしている。
裏切られた、と思った。
「……キミは勇者パーティの一人だったんでしょ!悪い魔王を倒した最強の一人なんでしょ!?なのに、どうして……どうして守れなかったの……」
「僕とママは、こういう日が来ると覚悟していた」
そう呟く男の表情は、ひどく静かで。
「きっと、僕達は運命に追い付かれるとわかっていた」
「……運命?」
「獲物がいなくなった時、猟犬は煮られるそうだよ。サトウくん……勇者から聞いた時は意味がわからなかったけど……今ならわかる気がするね」
そう言うと、サンデーは左足を引き、右手を前に突き出し、
「さて、構えなさい。もう時間はあまり残っていない」
「な、んで」
「君はそのために来たのだろう?師兄が僕の運命であってもいいのだけれど……少し抵抗したくもある」
もう、彼の身体から血が溢れる事はない。
一滴も残らないくらいに、出尽くしている。
それでもこちらを見据える視線だけは、ただひたすらに揺るがない。
ここ何日も見ていた父親の目とは違う、一瞬朦朧としていた弱弱しさとは違う、どこまでも強い目だ。
死にかけているだなんて信じられない、そんな目だ。
「構えなさい」
「い、やだ……キミは、エルフの森に」
「行っていない。要請は来たが、行く気はなかった」
復讐する気なんて、すっかり折れていた。
ただの八つ当たりでしかないのは、とっくにわかっている。
直接、関係ないのだ。
仲間を止められなかったせいで、とでも罵るのか?
なら、親戚が犯罪を起こして何の関係もなく自分が死刑になったとして、納得出来るはずがない。筋が違う。
許せないと、とぐろを巻く感情はあるけれど、私の心は彼を許す理由を探してしまっていた。
もう、あの暖かな家庭はどこにもない。
ママさんが死んで、パパさんが今にも死にそうで。
たった一人残されるフリンは。
そして、
「私に、壊せって言うの……?」
それは残骸だ。
暖かな幸せは血風に包まれ、見るも無惨だ。
だからって、それを私が粉々に砕けと。
手に入らなかった綺麗な物を、私に砕けと言うのか。
そんな事が出来るはずないじゃないか。
やりたいはずがないじゃないか。
「ああ、そうだ。君は……運命に導かれている。多かれ少なかれ、魔王討伐の旅をしていた僕達が感じていた大いなる導きに」
「……なにそれ。そんな下らない物に」
「君は、いつか運命に追い付かれる」
弱々しい私の言葉、冷静に考えれば形の見えない運命なんかよりも真っ当な反論に、彼は力強く断言した。
「構えなさい」
「や、やだ……」
「構えなさい」
「嫌だ!?」
「構えなさい」
ふう、と溜め息を吐くパパさんは、聞き分けのない子供を見るような目で、
「なら、ここで最後にサトウくんの力になっておくのも悪くはない」
一歩。その瞬間、私は極致を見た。
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