レベル62『聖処女』ルビー・リリィマーレン中

 ふと、目が覚めた。

 元々、眠る必要のないエルフの睡眠がどうなっているのかは、正直自分でもわからない。

 波打ち際に足を遊ばせるような、そんな気持ちだ。

 それまでずっと足裏が流れて行く砂を感じていたのに、突然それが無くなったら違和感だろう。

 しかし、何が違和感なのかがわからない。

 真っ暗な部屋、風の音。

 ひどく、静かだ。

 ベッドから足を降ろせば、古びた宿屋の床板がぎしりと鳴る。

 私は何に違和感を覚えているのだろう。

 明かり取り用にある板窓を開ければ、月はまだ高い。

 高い、とは言っても明かりが必要なら蝋燭や松明など、普段使いするには結構なお値段か手間のかかる代物が必要なのだから、外に人がいないのは当たり前だ。

 なら、何が違和感なのか。

 違和感だけは存在しているのに、それが何だかわからないのはどうしようもなく気持ち悪い。

 宿の薄い壁に触れながら、私は床に置いておいた剣を握った。

 護身用……いや、夜に抜き身の剣を持ったエルフとか、ちょっとした怪談なのでは。

 さすがに置いていくべきだろうか、とも思ったが、さすがに手ぶらは恐い。

 ベッドのシーツにくるんで持っていこう。

 ぎし、ぎし、と床板がきしむ。

 ……ホラーのシチュエーションでこういうのありそうだよね。

 真っ暗な部屋でベッドから起きた少女が、水を飲むために扉を開けると、


「!?!?!!!」


 まぁ何もないのだけど。

 廊下の明かり取り用の窓も下ろされる事なく、月明かりが射し込んでいる。

 足元を伸びる影は長く、階下へと伸びていた。


「……行く」


 私の妙な思い込みなのか、それとも本当に何かがあるのか。

 思い込み、と信じたいが、私は奇妙なまでに足元に冷たさを感じていた。

 風の音がした。

 外で寝たとしても、朝を迎えられるであろう生暖かな風だ。

 ぎし、ぎし、と床板が鳴る。

 急な傾斜になっている階段は、月明かりも届かず、夜目のきくエルフでなければ立ち竦んでしまいそうなくらい真っ暗だ。

 こういう時、一曲……いや、精霊さん三味線出さなくていいから。

 突然現れた三味線を床に置き、壁に手をかけながらゆっくりと降りていく。

 精霊さんもいるなら、根拠のない不安感もなんだか形になってきた気分だ。

 根拠のない違和感なんて、魔法あり精霊ありの世界では当然のようにあって当たり前に決まっている。

 ならば、この根拠のない違和感は、きっと私の知らない根拠のある違和感だ。

 そうと決まれば恐る恐る踏み出していた足も軽く、階段を降り切る。


「おや、どうしました、お客さん?」


「こんばんは」


 一階に降りた私を迎えたのは、宿の店主だ。

 夜に出歩く私に、きょとんとした表情を向ける彼に、不自然な所はなかった。


「さようなら」


 だが、根拠のない違和感が、訴えている。

 だから、斬った。

 懐まで飛び込み、左肩に食い込んだ刃がするりと右腰から抜ける。

 まるで包丁で果物でも切った程度の手応えだ。


「え?」


 呆けた、何が起きているかわからない、と描かれているかのような表情を浮かべた店主の身体が、ゆっくりと斜めに滑っていく。


「お客さん?」


 自然に動いていく自分の視線を不思議に思ったのだろう。左を向いた店主の視界に、いよいよ自分の断面図が飛び込んでくる。


「え、え、え?お客さん、これなんですか?」


 じたばたと動かされる右腕は、近くにあった木皿を突き飛ばし、からんと床で音を立てた。

 その間にも彼の身体はずり下がり続け、木皿と同じように床に落ちてしまう。


「お、お客さん?何が起きてるんですかね?ちょっと立てないんですけど」


「キミは、ゾンビだ」


「へ?お客さん?何を」


 まだ理解し切れていない店主の顔面に、刃を突き立てた。

 自分がゾンビになっているのだと理解せずに死ぬのと、理解してから死ぬのではどちらがマシなのか。

 少し考えてみたが、どうでもいい話だと思った。

 死は、死でしかない。

 そこに値札を付けるのは生者だ。

 私しか生者がいないのなら、私が彼らに値札を付ける。

 違和感の正体が掴めれば、簡単な事だった。

 この村には、命の臭いがない。


 それは糞便の臭いだ。

 水洗ではないトイレは、どうしてと臭いが漏れる。

 小さな海辺の村ですら、どうしても臭いがあった。


 それは生臭い性欲だ。

 枯れたような老人でも私を見て、ほんの一瞬、その生臭さが現れる瞬間もあった。

 それが誰一人として、私に興味を示さないなんて有り得ない。

 前世なら自惚れだが、今の私はとびっきりの上玉エルフだ。


 そして、この村に命の気配は最初から無かった。

 どうして気付けたのか。

 森の中で慣れ親しんだ、肉や植物が腐っていく、活発に活動する微生物の気配もない。

 まるで無菌室のような、ひどく無機質な村だった。

 何百年も命の中で暮らしていれば、さすがにそのくらいは気付ける。


「…………」


 うん、昼間はニンゲンコワイってめっちゃ緊張してたからね。気付けなかったね。

 仕方ないね。

 それに相手が人でないのなら、斬る事に躊躇いはない。

 ただでさえ生きている人間だってろくでもないのに、死んでいるくせに生きているふりをするだなんて、


「気持ち悪い」


 その一言以外、何があるというんだろう。

  そして、まさかこの事態に、勇者サマご一行の聖女サマが関わっていないはずはない。

 村人を全てゾンビにしてしまうだなんて、なんてひどい奴なんだろう。

 だから可哀想なアグネスとは違って、すっきりと斬れる。

 何一つ、私の傷は増えない。

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