レベル61『剣聖』ビッグレッド・ムーングラス・1
燃え盛るエルフの森は、妙に印象に残らなかった。
私が過ごしてきたのは、確かにエルフの森だ。
とはいえ、根っこを張っていたのはその森の一画でしかなく、愛着と言えるほどの愛着もなかった。
アグネスにトドメを刺して、三日。
私は海沿いの村にいた。
あちこち焼け焦げ、傷だらけの私に村の人達はやたらと優しくしてくれる。
口数の少ない私をいぶかしむ様子もなく、お金もないのに何くれとなく世話をしてくれる村の人達は何か妙な勘違いをしている気がしないでもない。
女として、のあれこれはないのだけれど、元々ダンゴムシ気質の私としてはむしろありがたくすらある。
あるけれど、何も聞かずに置いてもらっている居候の分際で、少し気詰まりになってしまった。
ふと、あてがわれた小屋から外に出る。
風の臭いは、数百年ぶりの潮風を孕んでいた。
生き物のはらわたのような潮風は、森で暮らしていた頃とは大違いで、少し慣れない。
海に向かって、歩いてみた。
ざくざくと踏み締める白い砂は、昼間に来てみればきっと綺麗だろう。
しかし、赤みを帯びた砂の色はどこか不吉ですらある。
エルフの森は、三日経った今も燃えていた。
遠くに見えるエルフの森は、夜空を赤く染め、真っ暗な海をかすかに赤く照らす。
夜の海に浮かぶ、青ざめた満月が好きな私としては、あまり面白くない。
昔、前世で人間だった頃だ。
世界中、あちこちで満月だけを撮り続けた写真集があった。
砂漠の海で、朽ちたコンクリートの林の上で、どこともわからないどこかなつかしい村の上で。
青ざめた月明かりが、私は好きだった。
エルフの森の片隅で、葉っぱの間から降り注ぐような月光は、とても綺麗だった。
そうと思い出した時、すでに私の腰は砂浜に下ろされている。
精霊が、見たことも感じた事もないけれど、きっといるのだとは信じている彼らが、私の手に三味線を握らせていた。
何が楽しくて私にそうさせたいのかは知らないけれど、あったはずの傷もなく、焦げあと一つないピカピカの三味線だ。
「…………」
音は、ない。
元々、弾き始めれば木々のざわめきなんて忘れてしまう。
波の音だって、私には届かない。
ぽん、と軽く弦を弾けばいつものように音が鳴る。
曲は……まぁなんでもいいだろう。
気分に任せて、だらだらとヤろう。
三日。
たった三日で、私の身体はすっかりと動かなくなっていた。
元々動かなかった私がたった三日で衰えるはずもなく、いきなりレベルが上がって跳ね上がったステータスの恩恵は莫大だ。
あちこちの骨がぽきぽき折れている今でも、レベル1だった私の何倍も動ける。
どういうわけか指だけは治っているが、これが精霊の仕業なら全身治して欲しかった。正直、めっちゃ痛い。
ついでに私の身体に巣食うようにして生える花のドレスも、森から逃げ出した途端にあっという間に再生してた。
精霊さん、気を使う所が間違ってるんじゃないだろうか。
「…………」
それはともかく。
握っていたはずの重い物が、どこにも無くなっていた。
もう、いいんじゃないか。
あれだけアグネスを痛めつけて、無惨に殺してしまったんだ。
そう言わんばかりに、私の中は空っぽになっていた。
本当なら、本当にどうしようもなく復讐をしたいのなら、どんな怪我をしていたって私は旅立ったはずだ。
なのに、優しい人達に助けられ、空腹を満たした途端に、私は堕ちた。
復讐なんて、無意味だ。
そんな事はわかっている、と強く言い切った所で、きっと私の言葉を誰一人として信じないだろう、私自身でさえ。
全て、嘘だったのだろうか。
彼の、メリーポピーからもらった喜びも、一人でないと信じられた瞬間も、私の全てをあげてしまおうと思えた想いも、無惨に無惨にトドメを刺したアグネスすらも。
あの炎の中で、全部燃え尽きてしまう程度の嘘だったのか。
だったら、私は、無意味だ。
いっそ、魚の餌にでもなってしまった方が、
「やあ、お嬢さん。夜分に失礼するよ」
「!?」
振り返ってみれば、一人の老人がいた。
夜の海でもはっきりと見える真っ白な髭と相まって、笑顔を浮かべる老人はまるで季節外れのサンタクロースのようだ。
そんな髭の印象を裏切り、がっしりとした太い腕にはひょうたんが握られていた。
「驚かせてごめんね。今日は月が綺麗じゃあないか。ちょっと年甲斐もなく、わくわくしちゃってね。浜辺で月見酒、としゃれこもうと思ったら先客がいるときた。これは挨拶しないといけないね、と思ったんだけど、もう少し上手い事出来たらよかったね。うちのカミさんも、あなたのそういう無神経な所が悪い!っていつもガミガミ言うんだけど、この歳になるとどうもねえ?」
「は、はあ」
「ああ、ごめんごめん。僕は怪しい者……いや、どうかな。夜間徘徊するジジイって、ちょっと怪しい?どう?」
「う、えーと」
はい、と返事するのも悪いし、何て答えたら、
「うん、確かに怪しいね。んじゃまあ、そういう事でちょっと怪しいジジイだけど、ちょっとここで飲んでいいかな?や、もちろんお嬢さんの邪魔はしないから。むしろ、その……なんだい?ちょっと楽器の名前はわかんないんだけどさ。ジジイだし」
「しゃ、三味線」
「三味線か、いいねそれ。ちょっと聞かせておいてくれない?」
「ふ、ひぇい!」
「悪いね悪いね。あ、それともちょっと飲む?まぁ自家製の濁酒で悪いんだけど」
「ひょわ!?」
「えっへっへ、じゃあ僕だけでやっちゃうよ」
と、断る断らないを考える間もなく腰を下ろしていた老人は、ぐいとひょうたんを煽った。
「……あー」
さぞ美味そうに、息を吐いた。
……なんだろう、この人。
よくわからないけど、こんなペースで話しかけられてもすごく困る。
仕方ない、何かいい感じの気分でさっさと帰ってもらうため、ちょっと弾こうか。
曲名・なんか小料理屋で流れてそうな曲。
いや、行ったことないけど。
もうほとんど覚えていないような日本を思い出して、私は適当に三味線を弾く。
どうでもいい事だけれど、三味線を叩く、という言葉を聞いた覚えはある。
ある、がギターを使う方が多かった私は叩くと弾くの差が全然わからない。
まぁこの世界で、私以外の誰が三味線を使うんだ、という話でもある。
私を怒る人は、次元の壁を超えてきてください。
しかし、久しぶりに日本を思い出したせいだろうか。
私が中学生だった頃のヒットナンバーを、やたらと鮮明に思い出してしまった。
ぶりぶりのアイドルソングも、切ないラブバラードも、不思議とよく覚えてるものだ。
なんか小料理屋っぽい曲は看板ガラガラ。
適当に思い出した曲を、片っ端から弾いてみよう。
それは、メリーポピーの語りに合わせた音とは、全然違う音だった。
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