第38話
「弟君を人質に出されるとは。ですが、こちらには血縁で出せる者は母くらいしかおりません。父は多くの愛妾を持っておりましたが、あいにく子宝には恵まれず」
申しわけ無いと顔に浮かべる晴信に、いやいやと道明が軽く手を振る。
「ご母堂を出せと言うわけには参らん。これぞという人物をいただければ。……そうそう。先代の孝信殿は、色好みの方であられた。多くの女性を住まわせていた館があると、耳にした事がある。その中には、先代の威光を持ってしても手に入らなかった者もいたとか」
ちらりと道明が為則に目配せをする。それを受けて為則が膝を進め、晴信に進言しようと口を開いた。
「なるほど!」
為則が声を発する前に、克頼が膝を叩いた。朗らかな顔をした克頼が声高に言う。
「道明様の謎かけ、この克頼が解いてみせましたぞ。道明様は今、為則殿に目を向けられた。女性の事とかけて、先代の思うようにならなかった者。つまり、命をかけて先代に抗った者をと示されたのではないでしょうか。先代の威光を持ってしても手に入らなかったというのは、処罰も恐れず民を救うため、他国へ人を流すという重罪を行った為則殿の事。すなわち、為則殿の器量を見込み、ご自身の郎党に加えたいという含みでございますな」
思わぬなりゆきに、道明と為則が絶句する。克頼はその隙に話をまとめてしまおうと、言葉を続けた。
「国を支えるには、民の力が必要。民を思い、機転を利かせて人を逃がす手はずを整えた為則殿ならば、こちらにとっても得がたき存在。その為則殿に話の途中で目を向けられたのは、為則殿が欲しいと暗に示されたからでございましょう」
克頼が隼人に目配せをする。
「なるほどなるほど。為則殿はその知恵と勇気を持って、隣国に民を逃した方。国境のいさかいも幾度となく治めてきた手腕もある。その力量に目をつけるとは、紀和の殿様は人を見る目がおありなのだなぁ!」
感心したと隼人が大声で褒めれば、なんだかよくわからないままに義孝も追随した。
「意に添わぬ相手は切り捨ててしまうという孝信様の目をかいくぐり、知られればご自身のみならず一族郎党をも危うい目に合わせるとわかっていながら、覚悟を決めて人々の安全を優先させた度胸は、どの里長も持ち合わせていなかった。恥ずかしながら宿老である我が父でさえもできなかった事をなされたは、あっぱれとしか言いようがない。それを成しえた男を失うのは、こちらにとっても大きな損失。それほどの人物であれば、道明様が欲したとしても納得というもの」
それらの声を背に受けて、晴信は心底の困り顔をしてみせた。
「たしかに。為則殿は度胸も知恵も、民を思う気持ちも強く、年の頃も重責を任せてかまわぬ人物。道明様のお目に留まるのも頷けます。こちらとしては惜しい人材ですが、弟君をお出しになられるとなれば受けるしかございません」
晴信の言葉の後に「流石は佐々様だ。民を思う気持ちの強さが、人選にも表れている」などという声が上がる。その声を聞いた、庭に控えている双方の従者らが、なるほどという顔で道明と為則を見た。違う者をと言えぬ雰囲気が出来上がる。
そこに、信成が戻ってきた。
「為則様の心配りには、感服いたしました。疲れた民のために寝床だけではなく、あたたかな食事までご用意なされておいでとは」
それは栄が安治を通じて命じたもので、為則が用意をしたものではなかった。だが、それを知っているのは晴信と克頼、栄と安治のみ。心底の尊敬を滲ませた信成の声に、場にいる者たちが感心の唸りを発する。こうなってしまっては、道明はどうしようもなかった。
「その通り。そこに控えている為則殿をこちらにお送りいただきたい」
苦虫を噛み潰したような道明に、承知いたしましたと晴信は頭を下げた。
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