第37話

「父上が苦労をかけた。これからは逃れたいと思わぬような国にしていく。そのために、力を貸してくれ」


 真摯な瞳で告げた晴信に、彼らは戸惑う視線を交わした。


「里に帰れと言われても、ここに来るまでの疲れもあって辛いだろう。――村杉殿。先に連絡をさせていただいた、彼らの休養の場は整っているだろうか」


 為則が頭を下げて、短く返事をした。それを受けて信成が腰を上げる。


「では、この者たちの事は、おまかせください」


 頼むと示した晴信に頭を下げ、信成は彼らを導いて座を後にした。それを見送った晴信が戻ると、道明があごをさすりながらやんわりと要求をする。


「これで問題なく受け渡しは終了したが……、晴信殿には先代の頃より引き継がれた、確執の解決も頼みたい」


「確執の解決、ですか」


「さよう。国境の小競り合いは、どの国同士でも起こる事。そこに国主は介入せぬのが暗黙の了解。だが、そちらの先代は見物と称して現れ、こちらの民を幾人も手にかけた。そちらの民も両成敗という事で処分されたと伺ったが……。よもや、ご存知無いとは申されまいな」


 晴信は顔を曇らせた。


「存じております。その折は、大変なご迷惑をおかけし、申し訳ございません」


 満足そうに道明が首を縦に動かす。


「先代のした事を、あれこれと言い立てるつもりは無いが、民の気持ちがそれで治まるかどうか」


 もったいをつけるように、道明は言葉を切って大げさに困った息を吐き出した。


「今後はそのような事をせぬと、言葉で示すのは容易い。しっかりとした盟約の証が無ければ、民は戦への不安を抱えて過ごす事になるとは思われまいか」


「いかにも。では、誓詞を示しましょう」


 晴信の応えに、道明は首を振った。


「それも、いざと言う時は効力を発揮せぬだろう。やはりここは、双方にとって大事と思える人間を、交換するという手はいかがかな」


 道明の目が小狡く光る。きた、と晴信は身構えた。力強い視線が、緊張した晴信の背を支える。頼むぞと、晴信は心の中で語りかけた。


「大事と思える人間、ですか」


 はてと晴信は考える風を見せた。


「こちらは、弟の義明を出そう。そちらに送る前に、名を孝信殿の一字をもらい、孝明と改めさせて送り出す」


 晴信は内心で舌を巻いた。相手が人質交換を言い出すとしたら、母の違う弟の義明を出すだろうと、頼継が言っていた通りの事になったからだ。道明の息子と二つ違いの義明は、人品の評判がすこぶる良いという。道明は弟が息子の跡目相続の邪魔になりかねないと考え、態のいい厄介払いとして差し出すだろうと、頼継は言っていた。そしてこちらの人質として、栄を所望するはずとも。


 晴信は独身で兄弟もいない。親族として差し出せる人間は、母くらいのもの。道明は母親を出せと言うのは酷だと言い、孝信の愛妾の館に長く留め置かれていた栄を、よほど目をかけられていたからに違いないと、こじつけのような運び方で欲するだろう。その時に、うまく言葉を繋いでこちらも厄介払いをするように。


 頼継の言葉を、克頼は胸を張って請け負った。晴信は克頼の言葉を承認するだけでいい。余計な言葉は挟まないように。国主になりたての、頼りない若者という態度を取り続けているようにと言われている。


 晴信は緊張を表に出さぬよう努めた。

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