第32話
一人を重用するのは良くないと頼継は言った。晴信は克頼のみを重用しているわけではない。隼人を巡察の使者として使っている事は、誰もが知っている。栄がひそかに文を見せてくれた事は、克頼と頼継、隼人と義元、そして兵部の五人にしか話をしていない。
ん、と晴信はひっかかった。
今、自分は頭の中で何と言った?
「あ」
気付いたらしい晴信に、頼継が頷く。発見に驚く晴信に、どうなされますかと頼継が声をかけた。
「どうもこうも……。そうか、そういう事か」
隼人は民の代表として、晴信に仕えている。霧衣の臣下の中で晴信が相談し頼るのは、克頼ばかりだった。傍若無人な父が乱していた国を支えてきた者がいる。その者に、自分は一度でも相談をしただろうか。無知な部分を補って欲しいとは頼んだ。だが、考えを練りまとめ、行動を起こすとき傍に置いていたのは、克頼ただ一人。他の者には決定事項を告げるばかりだった。今回の策も彼らからすれば、克頼の意見を重用し実行するため、その父を利用して宿老に結果を告げたと思われる可能性がある。
義元や兵部も人の子であり、人の父だ。
「村杉の里は遠い。そして危険だ。若く腕の立つ者を連れて行こうと思う」
頼継が褒めるように目を細めた。
「義元の息子、義孝は父に似て勇猛。兵部の息子、信成は槍の遣い手とか」
「では、その二人を是非にと言おう」
成り行きを聞いていたのか、晴れやかな晴信の声に呼応するように、馬がブルルと満足そうに鼻を鳴らした。
* * *
女駕籠の用意に、晴信は首を傾げた。栄とその侍女である茜が乗るのだろうが、栄は馬を巧みに操る。茜も馬に乗れると聞いているので、狭い駕籠に押し込められるよりも、騎乗のほうが楽なのではと思いつつ、何か理由があるのだろうと、晴信は彼女が出てくるのを待った。村杉の里に向かう一行の前に、美しく着飾った栄が現れ、どよめきが起こる。
栄はいつもの落ち着いた色合いの小袖と袴ではなく、若葉の小袖に見事な刺繍のほどこされた
「栄姫殿がお乗りになられた。行くぞ」
いささかも興味を示さぬ克頼の様子に、ひそひそとしたささやきが飛ぶ。あれほど美しい姫を見ても無反応なのは、人とは違った美意識を持っているからだ。幾度も晴信様と共に対面をなされているので、見慣れてしまったのだろう。克頼様はご自身が美麗であるから、あの姫の美しさなど歯牙にもかけぬのではないか。
などという声が聞こえていないはずは無いのに、克頼は眉一つ動かさず、村杉の里へ向かう一行を指揮していた。先導は隼人。彼もいつものような軽装ではなく、きちんとした身なりをしていた。
隊列は隼人を先頭に、晴信を囲むように宿老の息子である克頼、義孝、信成の三人が騎馬で行き、槍を手にした
一行はゆるゆると、村杉までの道中を十日あまりかけて進んだ。道中にある里の巡察も兼ねるというのが名目で、事実は村杉の里や紀和の動きを探る者から届く報告を吟味しつつ、慎重に事を進めるためであった。
道中に立ち寄った里は、恐る恐る晴信らを迎え入れた。どの顔にも猜疑の色があった。それを隼人が調停し、里の者と晴信の間を取り持つ姿を、同道した者らは感心をしながら眺めていた。
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