第24話

 克頼は無言で、晴信の声を見つめた。克頼も、これが人心を取りもどすために必要な行為であるとわかっている。だが、笑顔の奥に隠しとおせぬ疲れを見てしまっては、何か言わずにおれなかった。


「晴信様」


「大丈夫だ」


「そのように見えておれば、何も申しません」


 あはは、と晴信は軽い声を立てた。


「疲れていると言うのなら、克頼もだろう? 侍女たちのさえずりの的が台無しだ」


 晴信が自分の目元をつついて、克頼の寝不足を指摘した。


「顔に出ているぞ」


 克頼が黙りこむと、晴信は大福の残りを口に入れて、手文庫を引き寄せた。そこから一枚の紙を取り出し、克頼に見せる。


「声に出して、読んでくれ」


 受け取った克頼が、音読した。


「情けは味方、敵はあだ


 それは、間違いなく晴信の字だった。顔を上げた克頼に、晴信は自分の心を示すように、穏やかな目を細めた。


「父上は仇を作りすぎた。その仇を退治し味方にするには、情けを示さなければならないと思っている。父の仇を信頼へ変えるためには、対面の会話をし、俺という人間を知ってもらわなければならない。全ての民に会うというのは、難しいだろう。だが、俺と会った誰かが、俺を知らない誰かに俺を伝え、それが民の全てに伝わればいいと思う」


 晴信は軽く目を伏せ、自分の言葉を胸中で確認した。克頼は彼の成長に、喜ばしくもさみしい気持ちを覚えた。


 気持ちを切り替えるため、克頼は瞑目して息を吐いた。目を開くと、少し不安げな晴信の顔があった。子どもの頃、無茶をした後に叱られるのではないかと案じていた時と同じものに、克頼は思わず吹き出す。


「あっ、何だ」


 晴信が頬を膨らませる。成長したと見えたのは気のせいでは無いかと思えるほど、その顔が幼く見えて、克頼は笑いを止める事ができなくなった。安堵に似た何かが、克頼の胸にきざす。


「そんなに笑うような事を、俺はしたか?」


「いえ」


 克頼は晴信の思想を記した紙を丁寧に折り、手文庫にもどした。


「晴信様のお気持ち、しかと理解いたしました」


「そうか」


 ほっと晴信が息を吐く。


「それでな、克頼」


 顔色を伺うような晴信に、何か無茶を言われるらしいと察して、克頼は眉をひそめた。


「栄殿の所に、これから出向こうと考えているのだが」


「それは、相談ですか」


「いや、違う。これから行くから、共に来てほしいんだ」


「ならば、そのように申されれば良いではありませんか。何故、伺うようにおっしゃられたのです」


「それは……克頼が、反対をするのではと思ったからだ」


 克頼はやれやれと気配で示した。その気配のやわらかさに、許されていると晴信は感じた。


「栄殿から使いが来て、是非にも見せたいものがあると言われたんだ。何かはわからないが、克頼もいてくれると助かる」


「私が栄姫殿を信用していないと、御承知ですね」


「わかっている。栄殿をあの館に残している事を、不審に思っている者がいるという事も把握している。だから、共に行こうと言っているんだ」


「それを理解なされての行動であれば、何も申しません」


「ありがとう、克頼」


 ほっとした晴信に、克頼は鋭い目を向けた。


「それで。いつ向かわれるのですか」


「今すぐにだ」


「は?」


 すっくと晴信が立ち上がった。


「栄殿は一刻も早く、俺に見せたいと申されている。迎える用意はしてあるので、いつでもかまわぬと」


「どういうたぐいのものかは、聞いておられるのですか」


「国に関する、一大事だそうだ」

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