第23話
「お館様は、親父の言葉を覚えているよな」
「この国の民は皆、俺の子であり、親である」
すぐに答えた晴信に、隼人が破顔した。
「だからだよ。このまんまじゃ、霧衣はヤバイ。だけど、その言葉を素直に受け止めたお館様なら、なんとか出来るんじゃないかと思ってさ」
「そうか」
「そうそう。てなわけで、次から巡察に行く時は、俺をまず使者として送ってから、出かけるようにしてみろよ。役に立つと思うぜ? 俺は」
「売り込みは、無事にこの場をしのげた後にしろ」
克頼が鼻を鳴らした。
「大丈夫だって。佐衛門も、俺の事を覚えているはずだから」
「はず、というのが不安だな」
「克頼。今は、隼人を信じるしか無いだろう」
「そうそう。俺を信じるしか無いだろう。克頼」
「貴様に呼び捨てにされるいわれは無い」
「おお、怖」
刃を向けられている事を気にせぬ、彼らの気楽なやりとりに、男たちが戸惑う。
「アンタ、本当にあの孝信様を追い出したってぇ息子か」
おそるおそる鍬を持った男が問うた。
「ああ。俺が、父上を茅野の今村殿の所に追いやった、息子の晴信だ」
胸をそらす晴信に、男たちが妙な顔をする。
「不安なら、俺に縄をかけておくといい。……ああ、そうだ。そのほうが皆も安心するだろう。縄をかけてくれないか」
自ら捕らわれる事を望む晴信に、男たちはますます困惑した。
「晴信様。何を考えておられるのですか」
「克頼も縛ってもらえ。そのほうが、彼らも安心するだろう。父の非道を受けた者なら、この後どのような報復をされるかと、気が気では無いだろうからな。安心できるまで縛られておいたほうが、いいとは思わないか」
晴信の言葉に、隼人が手を叩いて笑った。
「そいつはいいや! なあ、聞いたか、アンタら。お館様が、心配だったら自分たちを縛っておけって言ってんぞ」
それをあざけりと受け取った男が、こめかみをひくつかせた。
「ふざけやがって!」
鋤を持った男が怒鳴り、晴信に向けて振りかぶった。鋭く目を光らせた隼人が、鎌の刃をくぐって鋤を持つ男と晴信の間に入る。
「俺らを痛めつけるのは、佐衛門と話をしてからにしてくれ」
隼人のすばやい動きに、全員が目を見張る。鋤を持った男は舌打ちをして、後ろに引いた。それに納得をした隼人が座りなおす。
「すまなかったな。逃げるようなまねをして」
刃を向けろと自分の首を示す隼人に、男たちが畏怖に似たものを浮かべて、里を振り返った。どの顔も、佐衛門が早く来る事を望んでいた。
それからしばらくして、数人が道を来た。その中に隼人が手を上げて声をかける。
「佐衛門! 久しぶりだな」
若い男が呼びかけに応えて前に出た。
「隼人! 本当に、隼人か」
佐衛門が隼人を長谷部の里長の息子だと認めると、彼らに得物を向けていた男たちは、安堵と恐怖を綯い交ぜにした目を晴信に向けた。
「それでは、里長の所に案内をしてもらえるか」
男たちは不器用な愛想笑いを顔にはりつけ、晴信らを里へ導いた。
* * *
隼人は正式に晴信の家臣となった。彼は晴信の使いとして里に出向き、晴信の意図を伝え、彼の訪問を受け入れるよう話を進める役をしている。隼人の働きにより、沼諏の時のような剣呑な事態を防げるようにはなったが、晴信の訪問を拒絶する里が少なくなかった。受け入れたとしても、報復を恐れて渋々といった里が多く、晴信が父とは違うのだと示しても、表面上の理解しかされず、疑いを強く残したままで帰らなければならなかった。
「なかなか、骨が折れるな」
晴信は私室で大の字に寝転がり、天に向かって太い息を吐いた。疲労の滲むその顔を、克頼が案じる。
「そんな顔をするな、克頼。俺が言い出した事だ」
起き上がり、克頼の用意した大福に手を伸ばした晴信は、うまいと頬をゆるませた。
「そう簡単に、人の心は変えられないさ。はじめて訪れた里の理解が良かった事で、調子に乗っていたのかもしれない。何度も足を運んで、少しでも理解を示してくれる者を増やし、それを裏付ける政策を行う。遠回りに見えても、これが一番早い道のはずなんだ」
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