第15話

 ヨモギ茶が運ばれ、若い娘がそれを受け取った。晴信の横に座り、それを勧める娘の笑みが、強張っている。恐怖を必死に抑えようとしている娘の顔に、晴信は肌身から骨へと寒気が浸みるのを感じ、立ち上がった。小さな悲鳴とどよめきが起こる。


「申しわけございません」


 すかさず、娘が手を着いて謝った。小さな肩が震えている。これは何だと頭の中で繰り返す晴信の体は、肝の芯まで冷え切った。


「ええい、何をした!」


 弥次郎が大股で娘に近付き、拳を振り上げた。それを克頼が止める。


「ひっ」


 克頼が手を離すと、弥次郎は青ざめた顔で後じさり、申しわけございませんと繰り返した。


 晴信は、ゆっくりと座を見回した。誰もが怯え、震えている。彼らが見ているものは晴信ではなく、彼の背後にある先代国主の姿だった。父が今まで行った事が、彼らを卑屈にさせている。


「俺は、父上ではない」


 ぽつりと晴信が言った。怯えている者たちは、それが聞こえなかったらしい。ただただ許しを乞うて、震えている。晴信の声を聞いたのは、克頼だけだった。


 晴信は克頼を見た。克頼は何も言わず、ただ控えている。自分でなんとかしろという事かと、晴信は気を静めるために深呼吸をし、膝を着いて震える娘の肩に手を置いた。


「ひっ」


 鋭い悲鳴を上げて跳ねた娘は、音が聞こえそうなほど激しく身を震わせた。


「何もしていないというのに、何故謝る」


 晴信の声は悲哀に満ちていた。娘の顔を上げさせれば、血の気が失せている。怯えに潤んだ瞳に、晴信は笑いかけた。


「名は、なんと言う」


 唇を震わせる娘の喉は、ヒュウヒュウという音しか漏らさなかった。恐怖のあまり声が出せないらしい。娘の姿を通して、父の業がどれほど深いのかを見つめた晴信は、音が鳴るほど奥歯を噛んだ。


 娘から手を離せば、娘はまた頭を下げて許しを乞うた。晴信は全体を見回し、熊の敷物から下りて、床に手を着いた。克頼がわずかに目を開く。彼に止められる前にと、晴信は腹に力を込めて声を出した。


「すまなかった!」


 響いた声に、怯えていた者たちが硬直した。彼らの目に、頭を下げている晴信が映っている。何が起こっているのか判らずに、里の者たちは呆然と晴信を見つめた。


「謝って済む事ではないと、理解している。だが、謝らせてくれ。父が酷い事をして、すまなかった」


 晴信の謝罪に接した彼らが、押さえつけられていた恐怖を怒りに変えて、襲いかかってくるかもしれない。そう懸念した克頼は目を光らせ、すぐにでも刀を抜けるよう片膝を立てた。


「俺は、安穏と守られてきた。我が父がどれほどの事をしていたのか、知らずにいた。無知という罪を、俺は犯していた。それを知った今、償いをしたい。父上を追放し、国主となったからには、国を、民を守るよう努めたい。だから、どうか怯えおもねるのではなく、皆の窮状をありのままに教えてくれ」


 晴信は顔を上げ、困惑している顔ひとつずつに目を置いた。全員の目が自分に向いている事を確認すると、晴信は腕を広げ、にっこりとして敵意の無い事を示した。


「せっかく用意してくれたものを、食べないと言うのも失礼だ。俺が来ると知り、朝から苦労をしてくれたのだろう?」

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