第8話

 晴信は機嫌の良い、のびのびとした笑みを浮かべている。その横顔に、克頼の口元がほころんだ。


「しかし、どうやって説得をしたんだ。父上を恨み、俺を狙っている者がいるかもしれないと、あれほど言っていた者たちだぞ」


「父を手玉に取るなど、私にとっては造作もないこと。重臣の筆頭である父が納得をすれば、他の方々も従わざるを得なくなりますから」


 しれっと言ってのけた克頼に、晴信は笑みのまま頬を引きつらせた。


「頼継は、末頼もしい息子を持って幸せだな」


「晴信様にしては、上出来の皮肉ですね」


 克頼がわずかに目を細め、口の端を持ち上げる。


「これからの先行きも、克頼がいてくれれば安心だ」


 晴信が軽く肩をすくめれば、克頼は表情を引きしめた。


「どうした、克頼」


「父も、その他の方々も、いずれは役を退くことになります。私以外にも、晴信様を支える事のできる者を見つけ、育てることも肝要かと」


 意外そうに、晴信が瞬いた。


「私一人で十分ですとは、言わないのか」


「そう言えるのであれば良いのですが」


 愁眉となった克頼が空を見上げる。晴信もつられて顔を上げた。


「霧衣は広うございます。先君が父、頼継の他に二人を重用し、その下にそれぞれの道に長けた方々をお使いなされていたのは、それだけの人が無ければ、国を支えてはいけぬからです」


「――だが、父は道を誤った。重臣たちの言葉に耳を貸さず、全てを自分の思い通りにしようとした」


 手綱を握る晴信の手に力がこもる。震えるほど強く握られた拳に、ちらりと目をやった克頼は手を伸ばし、重ねた。


「晴信様」


 克頼の目が、しっかりと晴信の視線を掴む。


「独裁者にならぬために、異なる視点を持つ者が必要になるのです。貴方様の思考や視野の幅となれる者を、見つけねばなりません」


「克頼」


「私も、誤る事が無いとは申せません。手が足りなくなる事も出てくるでしょう。口惜しいですが、考えの及ばぬ部分もございます」


「克頼でも、そんなふうに感じる事があるのだな」


「申しわけございません」


「何を謝る。俺はむしろ安心したぞ。克頼も、俺より少し年が上なだけの、普通の人間なんだなぁ、とな」


 親しみと信頼のこもった笑みに、克頼は片目をすがめた。


「私を、何とお思いでしたか」


「何でも出来る、妖怪のような男だと思っていたぞ」


「よ……」


 克頼が言葉を失う。朗らかな声を立てて、晴信は馬を軽く駆けさせた。


「目的の里は、もうすぐだろう? 早く行くぞ、克頼」


 楽しげに駆ける背中を、克頼はまぶしく見つめた。


 * * *


「ようこそ、お越し下さいました」


 里に着けば、晴信は手厚くもてなされた。ここは蘇芳の館から近く、幾度か足を運んだ事もある。ここならば安心できると、克頼は晴信の巡察の場をこの里に決めたのだった。里長の屋敷に通された晴信は、茶を運んできた初老の女に目を止めた。


「ああ」


「覚えておいでくださいましたか」


 女ではなく、里長が晴信の声に応える。初老の女は手を着き、頭を下げた。


「父上の事を訴えてくれた者だろう。……父が、すまないことをした。謝って済む事ではないが、俺にはまだ、そうする事しか出来ないんだ」


 初老の女に声をかければ、女は「いいえ」と言って喉を詰まらせ、涙をぬぐいながら部屋を出た。晴信はそれを痛ましそうに見送る。


「晴信様」


 里長が膝を進めた。克頼が警戒を示す。


「晴信様に出来ることは、この国の未来を作る事です」


「未来――?」


「お父君、孝信様がなされた事を、我らは恨んでおります。恨んでおるからこそ、晴信様に訴えました。その私らが、どうして晴信様に危害をくわえましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る