第5話

「国の事を思えば、致し方ありません」


 いくら言っても聞かぬ姿勢を貫く克頼に、晴信は困惑した。彼がそれほど頑なになるという事は、疑いの証拠となるような何かがあるからだろう。


 けれど、と晴信は立ち上がった。


「晴信様?」


「村杉の人質と会う。言葉を交わし、どういう人物かを知りたい」


「欺かれる事も念頭に置かれての判断ですか」


「帰すも帰さないも、とりあえず会ってから決める。それだけだ」


 克頼は、頭を深く下げる事で了承を示した。それに頷いた晴信は、克頼が発した次の言葉に絶句した。


「それでは、先代の愛妾が住まう館に、晴信様ご来訪の知らせを送ります」


 目を丸くしている晴信に、克頼は意地の悪い目を向けた。


「村杉の人質は、村杉為則の娘、えいと申す女子おなごにございます。――お会いになりますか」


 晴信は男女の事に初心うぶであるから、自由に外出が出来るようになっても、そちら方面には足を向けないようにしていた事を、克頼は知っていた。


 ほんのりと目じりを染めた晴信が、怒ったように克頼から顔を背ける。


「これから伺うのは失礼だろうから、訪れるのは明日にする」


 含みのある克頼の言葉に、拗ねた響きを返した晴信は、文の作成を再開した。克頼は一礼し、すぐさま手配を行うために場を辞した。


 * * *


 愛妾の館の、父が居室として使っていた部屋に通された晴信は、落ち着かない心地で栄が来るのを待っていた。傍らには克頼のみが控えている。館の気配が落ち着かないのは、帰る者たちが準備をしているからだ。そんな中に大人数で行っては迷惑だろうと、晴信は克頼のみを連れて現れたのだった。


 克頼はもとより、そんな彼の性格を熟知している。孝信を恨むあまり、息子の晴信に危害を加えようとする者が出ないとも限らないと、宿老である父からの命として、ひそかに人を館に集めていた。


「落ち着きませんか」


 余裕があるように見せようと努力をしていた晴信だが、克頼からすれば判りやすいほどに気ぜわしい空気をかもしている。


「わかるか」


 はにかむ晴信に、眉一つ動かさぬ澄まし顔で、克頼は「ええ」と答えた。


「克頼はごまかせないか」


「無理をしようとするから、見つけられてしまうのです。堂々と落ち着かない心地を示されればよろしいかと」


「堂々と落ち着かないというのは、不思議な言葉だな」


 やわらかな息を漏らした晴信は、気持ちをほぐした。


「気負いすぎていたようだ。ありがとう、克頼」


「何もしておりませんが」


「俺が礼を言いたかったから、言っただけだ」


 ゆったりとした心地で、晴信は栄を待てるようになった。


 ほどなくして、準備に手間取り申しわけございませんと侍女が来た。


「色々と忙しい時に来てしまったのだから、仕方がない」


 かしこまっていた侍女が、幾分かほっとした顔をして端に寄り、廊下に向かって頭を下げた。いよいよ対面かと背を伸ばした晴信は、入ってきた栄の姿に目を丸くし、ぽかんと口を開いた。


 柿色の小袖に、木の葉模様を裾に散らした緑の袴姿で現れた栄は、晴信と同じ年頃と見えた。ゆるりと縛られた豊かな髪は、透けるように白い肌を、よりいっそう眩しく見せている。ぽってりとした唇は果実のように赤く、大きな瞳は猫のそれのように輝いている。


 惚けた晴信の視線をさりげなく受け止め、栄は手を着き頭を下げた。


「村杉為則の娘、栄でございます」


 鈴が鳴ったような、よく通る愛らしい声に我に返った晴信は、咳払いをして気を取り直した。


「この度、霧衣の国主となった、竹井田晴信だ。顔を上げてくれないか」


 顔を上げた栄は、じっと晴信を見た。真っ直ぐな視線に、晴信の頬が熱くなる。彼は同年の女性と面識を持った事が、ほとんど無かった。晴信のまわりにいるのは、乳母と母、彼の世話をする年嵩の侍女ばかり。それが、同じ年頃のとびきりの美少女と出会ったのだから、顔を赤くするのも無理のない事だった。


 栄は晴信に向けている目の力をゆるめ、にこりとした。


「御用向きがどのような内容であるのか、伺っております。率直に申しますと、私を帰参させるのは、おやめになられたほうがよろしいかと存じます」


 虚を衝かれ、晴信は克頼を見た。心というものをどこかに置いてきたような顔で、克頼が答えた。


「訪問の用向きを知らせておいたほうが、無用な心労をさせなくて済むと判断いたしました」

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