第2話
「誰もが、晴信様にこの国の先を託そうと思っております」
「重いな」
「ええ。ですが、私がおります」
きりりと眉をそびやかす克頼に、晴信は小さな笑みを浮かべた。
「頼りにしている」
克頼は静かに頭を下げた。
寝床の中で、晴信は父を追放するまでの事を意識でなぞっていた。
晴信の姿を見つけ、父の所業を訴えてくる里の者たちの姿が脳裏に浮かぶ。
克頼が父の
何か父を諌める方法があるはずだと思っていた晴信だったが、重臣らが重ねて諌言をしても逆効果にしかならなかったと知り、自分の立場というものに追い詰められた。
父から国主の座を奪うという事は、父を殺すという事。
いくら国のためとはいえ、父を殺すことなど出来ないと思い悩んだ晴信は、茅野に嫁いだ姉の伊佐に文を書いた。父を国主の座から退けなければ、この国が危うい事になる。だが、父を殺す決心がつかないと。
ひそかに父の素行を憂いていた伊佐は、父を追放してしまえばいいとの返書を晴信に出した。その文を追うようにして、義兄の元直から、孝信宛に誘いの文が届いた。茅野の国にいる美女という美女を集めた月見の宴を開くと聞き、好色な孝信は出かける事を決めた。
晴信は、これは姉と義兄が力を貸してくれるのだと判じた。克頼も同意を示し、孝信に知られぬよう家臣らと相談した。孝信の身柄は丁重に預かるという義兄からの連絡があり、晴信は父を追放し、国主となる覚悟を決めた。誰もがたくらみの切れ端すらも漏らさぬよう、一枚岩となって孝信を茅野へ送り出した。そして孝信が茅野に到着したという知らせを受けてすぐに、先代は隠居のために出国したと国内外に触れ回った。
「俺は……」
寝返りを打ち、晴信はぽつりと零す。周囲に推されて国主の座に就いたはいいが、はたしてその器量があるのだろうかという不安があった。
ふうっと息を吐いた晴信の耳に、克頼の声が響く。
――私がおります。
きっぱりとした声と共に凛々しい顔を思い出し、晴信は体の力を抜いた。
「俺が一人で国を動かすわけじゃない」
父は周囲の声に耳を貸さず、勝手気ままに振る舞ってきた。そんな父のもとで、国を維持してきた重臣たちがいる。彼らの力を借りて、民が平穏に暮らせる国を作っていけばいい。無知だと感じているのなら、自分の良心と向き合いながら色々な事を知っていこう。
「よろしく頼むぞ」
つぶやいた晴信は、幾分か軽くなった心を勇気づけた。
* * *
父のものだった国主の座に腰を下ろした晴信は、居並ぶ家臣たちを見回した。晴信の背後には、克頼が控えている。
「他国の方々を招き、新しき国主としての披露目の宴を行わなければなりません」
克頼の父、頼継の言葉に、晴信は頷いた。
「父が隠居したという話は、十分に広まっているのだろうか」
「国中に人をやり、広めております。行商人や旅の者から外へと広まるでしょう」
「披露目の準備が整うまでに、乱れた国内をわずかでも立て直さねばなりません。でなければ、この霧衣の瑠璃を狙い、攻め入る口実を求めている国に付け入られます。つきましては、各所より先代のお館様が集められた人質の処遇ですが……」
「人質?」
そんな話は聞いていないと、晴信は父を追放するために動いた宿老三人を等分に見た。
「国内にある里の郷士から、人質を取っております」
「背かないよう人質を取らなければならないほど、父上は人心を遠くさせていたのか」
そんな事までしなければならないほどだとは思わなかった。太い息を吐いて額に手を当てた晴信を、いたましそうに家臣らが見つめる。
しばらく額に手を当て憂いた晴信は、顔を上げて命じた。
「人質は全て、里に帰そう。愛妾の館の者も全てだ。帰りたくない、または帰るべき場所の無い者には、居場所を見つけるように。全員にいくばくかの金子を与え、送り届けるときには人をつけるとしよう」
ざわりと家臣たちの空気が動く。それを受けて、頼継が言った。
「晴信様。そのような事をしては、背く里が出てくるかもしれません。非道を行ったのは父君ですが、その子である晴信様に恨みを転化させる者がいないとは限りません」
「だからこそだ」
強い意思のこもった声に、さざめいていた不安が鎮まる。
「彼らを送る者に、俺の詫び状を持たせる。文面は同じものになるだろうが、それを持って無事に彼らを送り届けて欲しい。そしてその里や周辺の状態を調べ、報告をしてくれないか」
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