はじまりへの旅
この映画はずーっと観たかったんです。
シェフが先にアマプラで視聴しておりまして、「なーんか納得できねえなあ」と文句を言っておりました。父親の教育方針とか行動が、「わざわざ問題を起こして注目を浴びようとしているようにしか見えない」と言っておりました。
レビューでも、否定派の意見がちらほら。
あれは児童虐待だ、矛盾だらけだ、父親の傲慢だ……。
私はこの映画をずーっと観たかったんです。
なぜならね、あらすじを聞いただけで、思ったからです。
「うちの兄一家じゃねえか」って。
現代社会に触れることなく森のなかで暮らす六人兄妹と父親。
狩りをし、訓練に励み、カラマーゾフの兄弟を読み、6ヶ国語を習得ずみ。
……ま、うちの兄の家はここまで徹底してませんが、それでも外界におりてきて「普通の人」たちと摩擦が生じる様子はまさに既視感の嵐でしたね。
「パパー、コーラってなに?」
「毒の水だ」
「パパー、ワイン飲みたい」
「はいどうぞ」
「パパー、セックスってなに?」
「男のペニスを女の膣に入れること」
妹一家の家(子どもたちのいとこの家)に食事に行くシーンもなかなか。
妹は兄となんとか仲良くしたい。努力がすけて見える見える。
「今夜の食事はぜんぶ地元のオーガニック食材で作ったのよ! たくさん食べて!」
ああ、わかる。わかるよー、これ。砂糖の入ったシリアル出したら怒られちゃうもんね! 化学調味料とか入ってた日にはもう、ね!! これはアメリカの話だけど、日本だとそこに放射能チェックが入ります!!!
私、友だちに兄一家の話をしたとき、言われたことがあります。
「でも、子どもにそういう生活させてたらさ、『普通の生活』を選べなくない? ある程度大きくなるまでは、どっちも選べるように育てたほうが良くない?」
どうなんでしょうね、これ。
じゃあ、「普通の生活」をしている子どもは、本当に「そうじゃない生活」を選べるようになるのでしょうか?
ゲームと砂糖まみれの子どもたちは「普通の人」になっていき、それに疑問を持たずに一生を終えるのがほとんどではありませんか?
この映画を観て「こんな生活を子どもに送らせたら、『普通』がわからなくなる!」と憤慨する人は多いでしょう。でも、そういう人たちは「こんな生活」を選ばなかった人たちです。「普通の生活」に偏りすぎていたために、選べなかった。
「ある程度大きくなるまでは、どっちも選べるように」とは言うけれど。
「普通」に育てられた人が、はたして「選べる」だろうか?
この映画の父と母のようによっぽど意志の強い人でないかぎり、自分で自分の生き方を選ぶなんて、本当はできないんじゃないかなー。
私は選んでないです、はっきりいって。流されてここまできたもん。
みんなそうじゃないの??
普通の人も世間に流されてるけど、あの子どもたちも父親に流されてるよね??
それが人間じゃない???
偏っているのはどちらなのか。
本当に判断できますか??
小さな子どもにも真実を淡々と言う教育方針は、私はわりと好きです。
泥棒はいけないけどね。
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