トイ・ストーリー4

 トイ・ストーリー3を観て「えっ?!」となった人は多いはず。


 1から常にウッディの恋人であり、アンディの家で身を案じていたヒロインのボー・ピープが、当然のようにいないものとしてさらっと物語が進んでいくから。


 だからみんな予告観て「やったー!」って思ったよね?


 おかえりボー!!



 3でいなかったのは、1、2と続けてボーには「冒険性」がなかったからだと思ってる。ボーは陶器でできたランプシェイドの人形で、おしとやかで良妻賢母タイプ。


 3みたいなアクションもりもりのストーリーの中では、割れちゃうもんね、仕方ないね……と思わせておいてのこれだよ! 4!!!


 もう、ボーの機敏な動きを「かっこいー♡」って愛でる映画だったよ!!





 まあいろいろ言いたいことがあるからさ、こっからはネタバレ全開で書くよ。









 いーねー?





 この映画、ラストで賛否両論わかれてます。



 アメリカでは絶賛ですが、なにぶん日本の評価が割れてる。

 ウッディの選択を疑問視する層がいる。


 その理由としていちばん「そうやなー」と理解できるのが、「日本人はドラえもんで育ってる」理論。


 ドラえもんは基本的に、成長しないのび太といつまでも一緒にいる。自分の生き方を優先してメス猫とグッバイするとかありえない(原作のドラちゃんはわりとプレイボーイだけど、みんなの心のなかのドラえもんは清く正しいイメージらしい)。



 だから、子ども部屋から出て、バズや仲間とさよならして、ボーたちと生きていくウッディが裏切り者みたいに見えたんだと思う。そうなんでしょ??




 私はちがうがな!!!!!




 だってそこに至るまでのストーリーを丁寧に描写してたじゃん!!


 ウッディはボニーに忘れかけられてた。このまま部屋にいても何も変わらないし、いずれ捨てられるだけ。子どもと遊ぶのがおもちゃの幸せだとしたら、ボーと一緒に公園のおもちゃとして暮らしていくほうが、たしかに幸せだと思う。


 なにより私の内なる声が、「ウッディ、ボーといて!!!」と叫んでいたのだ!


 内なる声には従うべき!!!





 しかし、このドラえもん論には考えさせられた。


 これって広げていくと「キャラクター小説」のことでもあるんだよね。



 ラノベや国民的長寿アニメって、キャラクターものなんですよ。


 彼らは成長しない。ずっとおなじ。ラムは諸星あたるを好きでいつづけるし、ほむらはまどかを想いつづける。「ほかに大切なことがあるかも」とか「このままでいいのかな?」とか考えたりしない。それじゃ興ざめだから。読者が。


 世界で最初のキャラクター小説は『ノートルダム・ド・パリ』だとだれかが言っていたけれど、なるほどそれでフランス人はアニメ好きが多いのかしら。


「かわいいアイドル」が大好きな日本人は、基本的に成長しないものが好きらしい。ずっと子どものまま。ずっと同じまま。そこに安心感を抱くんです?


 なんか、なんか、ちがくない??



 知り合いの児童文学作家は、「成長しないキャラクターはきらい」だとはっきり言っていた。子どもは変わりつづけるし、大人も変わりつづける。変わらないままなんてありえない。ピーター・パンなんていませんよ、と。



 私はそっちのほうが好きなのだ。


 だって、変わらないって、恐怖じゃないか。


 飽きるし。




 だから、ウッディが変わったことは、私はうれしい。


 そしてみんな大好き3では泣かなかった私も、ギャビーギャビーのとこでは泣いたよね……。なにあれせつない……。でもすんげえリアル……。



 いつも勧善懲悪なトイ・ストーリーが、今回はそうじゃなかったとこも◎


 映画も変わりつづける。

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