第2話 何も分からなくても
「・・・いえ」
「そう・・・」
みくるちゃんは小さな声で返事をして、うつむいて押し黙る。
記憶。
そう、彼女には、記憶がない。
彼女が今まで何をやっていたのかも
彼女がどうしてここへ来ることになったのかも
彼女は何も覚えていない。
唯一覚えていたのは、“みくる”という名前だけだったらしい。
* * *
「・・・?」
ここは外からの客なんて滅多に来ない秘境ともいえる村。周囲を深い山々に囲まれており、たどり着くのも困難を極めるこの村に、少女が一人、倒れていた。
「え、ちょっ・・・」
異常。
外から人が来ていることもさることながら、しかもその少女は倒れている。ここ数年におけるアタイの人生においても異常だった。
「おい!大丈夫か!おい!」
大声で呼びかける。返事がない。完全に気を失っているようだ。額に手を当てる。
「・・・熱は無いか・・・」
見付けてしまった以上、このまま無視しておくわけにもいかない。アタイはその少女を自分の家に運ぶ。
「・・・う」
少女を寝かせしばらくたった後、彼女が目を覚ます。
「あ、気づいた・・・。良かった・・・」
ほっと安堵した。このまま目覚めなかったらどうしようかと思っていた。
「・・・ここは・・・」
生気がない。体中の力が抜けて、かろうじて上半身を起き上がらせているような、そんな状態だった。
「ここはアタイたちの村だけど、どうして君はここに・・・?」
「・・・」
少女は一点を見つめて黙っている。今自分が置かされている状況が理解できていない様子だった。
「あ、えっと、君、名前は・・・?」
様々なことを質問する前に、まずは名前を確かめる。
「・・・みくる、だと思います・・・」
「だと思う・・・?」
「たぶん・・・。最初に浮かんだ名前がこれだったから・・・」
曖昧な返事、自信なさげな返答。このことが、ある一つの可能性をアタイに示した。
「みくる、君、もしかして・・・」
「・・・何も、思い出せない・・・」
記憶喪失。
彼女は記憶を失っていた。
「えっと、あなたが私を助けてくれたんですよね・・・。ありがとうございます」
「あ、そういえば自己紹介がまだだったね。アタイは日照雨小春だ」
「そばえさん・・・」
「みくる。君はこの村に倒れていた。どうしてなんて聞いても、分からないんだよね」
コク・・・。みくるは頷く。
「そっか・・・。これからどうするの?」
「・・・日照雨さんに、ご迷惑をかけるわけにもいきませんし・・・。体も怪我などはしていないようですから・・・。すぐ、出て行きますんで・・・」
そういってみくるは、体を少しふらつかせながら起き上がろうとする。
「ちょっ、ちょっと待ちなって!」
「はい・・・?」
無謀なことを言うみくるをアタイがあわてて止める。
「ここは山中にある村だよ?山に慣れていない人が易々と抜けられるものじゃない。それにみくるは記憶がないんでしょ?そんな人が外でやって行けるわけがないじゃない!アテもないのに・・・」
「・・・それは、そうですけど・・・。でしたら、どうすれば・・・」
「あのねぇ、君を見つけてしまった以上、もしアタイがほっぽかして挙句の果てには死なせたとあっちゃあ寝覚めが悪いったらありゃしない!少なくとも記憶が戻るまでは面倒を見てあげるからさ」
「・・・記憶が、戻るまで・・・」
ペンダント。ブレスレッド。その他もろもろの、鍵。
脳の底に埋もれた記憶を呼び覚ますかもしれない、そんなキーを、みくるは身に着けていなかった。ポケットにも何も入っていない。手荷物も持ち合わせていない。丸腰でみくるは倒れていた。無論、みくるが一瞬で、記憶を取り戻すには自分に思い入れの深い道具が必要だと考えたかは定かではなけれど、それでもみくるには確証が無かったのだろう。記憶が戻る確証が。
「・・・もし、一生、記憶が戻らなかったら・・・」
「その時はその時だ。みくるが独り立ちできるようになるまでアタイが面倒を見る。ここが気に入ったならここに住んでくれても構わないからさ」
「・・・」
不安だと思う。アタイは敵意も何も出していないつもりだけど、ここで笑顔でよろしくお願いしますなどとは言えない。見知らぬ人、見知らぬ土地、そして見知らぬ自分・・・。不安要素が多々ある中で、プラスの感情など抱けないだろうから。
「アタイたちにとっては外客が来て、さらにはその子が記憶喪失だなんて、一生モノの大事件だ。この件はアタイだけで修められるものじゃない。とりあえず、村長に会いに行こうか」
* * *
「村長!ちょっと話したいことがあるんだけど」
「・・・何じゃ?」
「ほら、みくる、前に出て!」
「あ、あの・・・」
「ほぉ、この村に客人とは珍しい・・・。何者じゃ?」
骨髄に染みる低い声に、昔何かあったであろう傷を顔につけて、鋭く光る眼光でこちらを見られたみくるは、蛇に睨まれた蛙のように緊張する。
「わ、私、みくると言います・・・」
「“みくる”?随分とハイカラな名じゃな・・・。して、みくるとやら、おんしは何故ここにおる?」
「え、えっと・・・」
びくびくしながら返事をするみくるを見て、アタイが釘を刺す。
「ちょっと村長、もう少し普通にできないの?みくるが怯えているじゃない・・・」
「儂は変わらん。相手が誰だろうとな」
「あっそ・・・。安心して、みくる。村長見た目は怖いけど信頼できる人だから!伊達にウチの村長していないからさ」
「コハル、この娘はどうしたんじゃ?」
「実は村で倒れていてさ、記憶もないみたいで・・・」
「記憶喪失か・・・。難儀じゃな・・・。みくるとやら、おんし、これからどうするつもりじゃ?」
「そ、日照雨さんが一時期家に置かせてくれると・・・。で、でも、もしこの村にとって迷惑だったら・・・」
「こら!またあなたはそんなこと言って・・・」
「ならば話が早い。みくるとやら、コハルの家で厄介になれ。コハルは歓迎なんじゃろ?」
「もちろん!」
「えっ、い、いいんですか・・・?私が何者かも分からないのに・・・」
「おんしは分からんでも、儂には分かる。目を見ればな・・・。おんしの目は純粋な良い目をしておる」
「・・・年寄って結構そんなこと言うよね・・・。本当に目で分かってるのかな・・・。絶対適当だよね・・・」
ひそひそとみくるに耳打ちする。
「おい、コハル。聞こえておるぞ」
「ぅえっ!み、耳良いんだから・・・」
「『年寄のくせに』か?」
「い、いやいや、そんなことないよ!じゃ、じゃあ、みくるのことは伝えたから!行こっ、みくる」
「し、失礼します・・・」
逃げるように村長のもとを去るアタイたち二人だった。
「怖かったでしょ、村長。あんなに威厳ばりばり出されちゃあねぇ」
「い、いえ、そんなことは・・・」
「気を遣わなくていいよ、みくる。村長って怖いのは雰囲気だけだからさ、内面はとっても優しくて寛容だし!この村の支えなんだから!」
村長の家から帰る途中、アタイたちに話しかける一つの声がする。
「コハル、何して・・・。ん?誰、その子?」
「お、アラレ!この子はね、みくるって言うの!」
「みくる?この村に客人なんて滅多なことじゃ来ないでしょ」
「客人っていうとちょっと違くてね。実はこの子記憶が無くってさ」
「記憶が無い?記憶喪失ってこと?」
「そ。朝、倒れていたのよ、ここで。どうしてここにいるのかも分からないみたいで」
「大変ね・・・。で、あなたの家に住ませてあげるの?」
「ああ、記憶が戻るまではね。一人じゃアタイも心配だし・・・」
「なるほどね。コハルに厄介になるなんて・・・」
「・・・何よ、その気の毒そうな目は・・・」
「ねぇ、みくるちゃん!私のところに来ない?」
「え?」
「ちょ、アラレ!何勝手なこと言ってるのさ!みくるはアタイが面倒見てあげるんだから!」
「だってあなたここでは一番若いじゃない。いろいろ問題も起こすし・・・。そんな人がまともに介抱なんてできるとは思えないけど?」
「若いからこそでしょ!歳が近い分、親身になって相談できるってこと!アラレみたいなオバサンには分かんないの!」
「・・・へぇ、歳が4つしか変わらない私をオバサン扱いね・・・。いつからそんなに偉くなったのかな、コハル・・・」
「あ、うそうそ、言い間違え・・・。あは、あははは・・・」
「久しぶりに、あれ、やったげよっか?」
「いや嘘だってば!ゴメンって!ホント!あれ、あれだけは勘弁して!!」
「ふ、ふふふふふふ・・・」
「あ、あぁああ・・・」
「・・・くすっ」
「え?」
「あはは、あははは!」
笑った。
顔をずっと曇らせていたみくるが、笑った。
「仲、良いですね。何だか、懐かしい感じです」
みくるはやっと、安心したように微笑んだ。
「具体的なことは何一つ思い出せないですけど・・・。そう言えば、いつも私の周りは賑やかだった気がします・・・」
懐かしみを感じながら、みくるは微笑む。
「良かった、思っていたよりも元気そうで・・・」
「・・・コハル、やっぱりこの子はあなたが介抱しなさい」
「アラレ・・・」
「どうやらみくるちゃんは、あなたには気を許しているみたいだしさ」
「うん、言われずとも分かってるよ。大丈夫だって、みくる。アタイたちは、あなたの味方だから、そうやって笑えばいいんだから」
「・・・はい」
* * *
・・・ホント、最初に比べたらよく笑うようになったなぁ・・・。アタイは浴場で思う。
「不安かい?」
「もちろん、何も不安が無いと言ったら嘘になります。自分が何者かが分からないんですから・・・。それでも、私って、多分恵まれています。記憶が無いのに、日照雨さんっていうとても良い人に出会えたんですから」
「あら、お世辞が上手いね。大丈夫よ、みくる。あなたはアタイを頼って良いんだから」
「日照雨さん・・・」
「実はアタイずっと妹が欲しくてさ。一回で良いからおねぇちゃんって呼んでみてくれない?出来るだけ気持ち込めて」
「・・・はぁ・・・」
我ながら無茶なお願いだねぇ・・・。よく分からないながらも、みくるなりに妹してみようとしてくれてる。
「お姉ぇちゃんっ!」
「はうっ!」
ズキュウゥゥゥウン!!
直撃した。声の出し方、間の開け方、どれをとってもアタイにとって最高にぐっと来る“お姉ちゃん”だった。
「あ、ちょ、これ、きくぅ・・・」
「あ」
な、なにその小悪魔的な顔・・・。
「お姉ちゃん、私こわいよ・・・。これからやっていけるか不安だよ~。困ったときは助けてね、お姉ちゃん!」
「くあっ!」
もしかして、さっき体を弄られた仕返し・・・?すりすりと甘えられる。
「ちょ、や、止めなさい、みくる・・・。あ、アタイが、持たない・・・」
「えへへっ」
「もしかしてみくるって、姉がいるの?だからそんなに妹上手いんじゃ・・・」
「妹が上手いって日本語も良く分かりませんけど・・・。どうなんでしょうか、何せ記憶がありませんから・・・」
「あ、ごめん・・・」
「いえ、そういうことじゃないですって!そ、そろそろ上がりましょうか、のぼせちゃいそうです・・・」
「そうだな・・・」
風呂から上がり体を拭いている最中、アタイはもう一度みくるに念押しする。
「みくる、アタイのこと姉だって、本気で思ってくれていいから。みくるのことは、アタイが絶対守ってあげるからさ」
「はい、ありがとうございます。日照雨お姉ちゃん!」
「ぐふっ・・・」
不意打ちからもう一発喰らう。
「あ、姉とは思ってくれて良いけど、お姉ちゃんはナシ・・・。あ、アタイには、刺激が強すぎるから・・・」
「ふふっ、分かりました!」
みくるは笑って返事をした。
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