27 観光庁の野望

 観光庁は2008年に国土交通省の外局として発足したものの、めざましい成果を上げられぬまま、2022年には文部科学省の文化庁と統合されて文化観光庁となり、2028年には文部科学省から切り離されて経済産業省の観光資源庁となり、2033年からは農林水産省の食糧庁と統合されて観光食文化庁となった。

 厄介者扱いされ、各省庁をたらい回しにされてきた不遇の官庁、あるいはノマド官庁と呼ばれた観光庁だったが、終の棲家を農林水産省にしてから躍進した。観光食文化庁は、食文化こそ日本の最大の観光資源だという確信の下に、和洋中多の美食探求を徹底し、ミシュランに代わる官製の美食認定制度「盆美晩(ボンビバン)」を2034年に発足させた。ミシュランは星5つで評価するが、盆美晩の評価は25段階である。さらに一度評価されたレストランは毎年再評価される。ミシュランの星を得ると客が増えて慢心し、味やサービスが落ちるレストランが多かったからである。さらにはテレビやネットで著名なグルメ評論家の信頼性検証「食レポ逆レポ」も始めた。レストランや番組ディレクターに阿(おもね)って袖の下をもらっている評論家が多かったからである。これは5項目についての5段階評価だったが、2035年の第一回評価の結果は惨憺たるもので、ほとんどのグルメ評論家が、敏感度では0点か1点、誇大度では4点か5点だった。つまり味オンチで嘘つきという評価だった。またワインソムリエや日本酒ソムリエを評価する「ソムリエーリ(ソムリエ選り)」も開始した。この結果も推して知るべしで、合格点を与えらえたソムリエは10人に1人もいなかった。素人が投票するグルメサイトの評価に至ってはまったくあてにならないし、コメントは大半がやらせだとこき下ろした。たらい回しにされて開き直った観光食文化庁のキレキャラ戦略は、予想外の国民的支持を受けた。だれもがそんなところだろうと感じていたことをズバリと言ってのけたからである。ノマド官庁は一転してイノセント官庁(バカ正直官庁)と呼ばれるようになった。

 観光食文化庁は、「おいしく、美しく、楽しい農林水産業」をキャッチフレーズに、日本の農林水産業を観光産業として捉えなおした。

 日本の農山漁村が美しいということは明治時代に日本に訪れたお雇い外国人教師たちが言い始めたことである。それ以来、多くの外国人から日本の田舎風景は理想郷だと賛美されてきた。ところが昨今、これは100%観光用に演出されたものであり、映画のセットやロケ地のようなものである。農業は農村の景観創作のために行われており、農作物は農村の四季折々の景観が最も美しくなるように計画的に栽培されているだけで、旬がすぎれば交換され、食用にはされないこともある。いわば街の植栽と同じである。伝統的な農村集落もすべて理想の農村イメージを復元したレプリカ村である。

 畜産も牧場の景観保全として行われている。家畜は見た目を重視して選択的に肥育されており、食肉用でも搾乳用でも採卵用でもない。農産物はほとんどすべて輸入に依存しており、穀物を除いてた農産物自給率は限りなく0%に近い。

 林業も同様であり、山林の景観を保全するためだけに植樹や間伐、下草刈りが行われている。樹影のいい木が多い森林は高い評価を受ける。エコツーリズムのために重要な観光資源となる渓流や火山の生態系も人為的に保全されている。生産材の切り出しは禁止されており、木材自給率は0%である。山菜や茸や蜂蜜の採集もできない。

 水産業は水中の生態系を理想的に保ち、水生生物多様性を保全するために行われている。つまり水産業ではあっても漁業ではない。漁村の景観と溶け込む漁船は整備保存されているものの、デモンストレーション以外で漁に出ることはない。そもそも津波の危険がある漁村には人が居住していない。湖中や海中の観光も人気を博している。お奨めはダイオウイカや深海ザメ目当ての深海探検である。研究調査目的を除いて水生生物の採集は全面禁止されており、水産物自給率は0%である。

 日本の食料自給率は戦後の70%からどんどん低下したが、2000年以降は40%で安定期になっていた。しかし、観光食文化庁による観光優先政策の結果、2030年代後半から急低下を始めている。美食産業にとって必要な国産食材はワサビなどに限られていることから、観光食文化庁としては穀物を含めて食料自給率は10%まで低下してもよいとしている。これがほんとうなら農林水産業は観光産業に転換し、食糧や木材を生産する産業ではなくなるだろう。

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