13 じぶんがみ

 ニーチェが神の死亡宣告をして以来、神に代わる信仰対象が次々と現れた。18世紀後半にはニーチェ自身、19世紀前半にはナポレオン、後半にはトルストイ、20世紀前半にはヒットラー、後半にはビートルズ、21世紀前半にはステーブ・ジョブズが神だった。

 21世紀後半、だれが神になるだろうか。人間ではなく人工知能(AI)が神になるのだろうか。それともAIを操るマッドサイエンティストだろうか。

 そもそも神はまだ必要だろうか。神とは人間を超えた超越的存在者である。超越的とはカントによれば時空の限界を超えているということである。ニーチェは神に代わる超越的存在者を超人(スーパーマン)と呼んだ。SF映画は無数のスーパーマンを生み出した。しかしスーパーマンは宇宙人や未来人であっても神ではなかった。

 一つの可能性としてだが、21世紀後半には自分自身が神になるだろう。すでに自分は消え去る存在ではなくなり、死後も生き続ける超越的存在者になっているからである。

 その準備は21世紀前半には始まっていた。2007年にスマホが発売され、クラウドコンピューティングが始まって以来、あらゆる投稿は世界中のデータセンターに断片化され、暗号化されて、30年後の今なお保存されている。何十年も前に投稿されたツイットや写真や動画がクラウドの中で生き続けているのだ。過去の自分に会うこともできるし、亡くなった恋人に会うことだってできる。

 2038年、クラウドの中の自分の分身を死後も確実に生かし続けることが宗教行為であることに気づいた人々によって、自分神教(じぶんがみきょう)とも言われるクラウド・ライビング・チャーチ(CLC)が誕生した。教祖はフェイスブックの創始者ザッカーバーグの養子となったブッシュマン族の少年だとされているものの、その正体は明かされておらず、都市伝説の域を出ない。

 この教会における信仰対象はクラウドの中で永遠の生命を約束された神格的自分=自分神(じぶんがみ)である。現実の自分は現在という時間にしか存在していない現存在(現在的存在)であるのに対して、自分神はあらゆる時間を同時に生きている超存在(超越的存在)である。現存在である自分が神格化された自分という超存在(自分神)と出会うことを超越的自分体験という。超存在としての自分神はそうありえた自分(可能的現存在)を失わずに維持している。自分神は現存在としての自分自身にはかなえられなかったすべての夢を超越的に実現することができる。

 CLCは聖曲として三人の作曲家の作品を採用した。一人はバッハであり、採用されたのはオルゲルビュッヒラインと無伴奏ヴァイオリン又はチェロのための独奏曲の全曲である。もう一人はショパンであり、採用されたのはノクターンとプレリュードの全曲である。これらの曲はたった一人の奏者によって孤独に演奏される。そしてどちらも現存在としての自分が果たせなかった夢、亡くなった恋人、失われた故郷を心に取り戻すための深い瞑想を与えてくれる。そして三人目はシェーンベルクであり、採用されたのは月に憑かれたピエロの全曲である。これは前の二人の曲とは違って歌曲である。これらの曲は限界ある現存在としての人間が免れることができない深い悲しみに満ちている。しかし悲しみを悲しみで終わらせることなく、自分が自分自身の神となって、すべての悲しみを克服し、希望と夢を取り戻すための救済の光を与えてくれるのである。

 すでにCLCの信者は10億人を超えた。すなわち20億柱の自分神が誕生したことになる。自分神はなお1月に1億柱のペースで増えている。神は不死だから数十年後には世界人口よりも神体数のほうが多くなるだろう。ニーチェが葬った神は蘇ったのである。

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