10 ヴァーチャルクローン革命

 2020年代からロボット労働力の普及が本格的に始まった。最初に普及が進んだのは建設現場で重さ1トンの資材を軽々と持ち上げてしまうロボットスーツ(LS)であり、これによって土木作業員の肉体労働力は10倍になった。LSを着用した作業員とのアイコンタクトによって作業に従事するオートマン(自動運転ロボット作業員)やオートショベル(自動運転バックフォー)などのロボット重機を複数体配置するチーム機動によって、さらに土木作業員の能力は百倍になった。

 2030年代には知的労働者の働き方に革命を起こすヴァーチャルクローン(VC)技術が確立した。19世紀までは小説家が、20世紀以降はミュージシャンや映画監督・俳優が、複製技術の恩恵を独占して莫大な報酬を得ていた。これに対してダンサーやスポーツマンなどのパフォーマーは仕事の場所が1か所に限られ、同時に複数の場所でパフォーマンスを披露することができなかった。精細映像技術(16K、32K)や3D映像技術がいかに進展しても、ミュージックCDや書籍(これらの電子版を含む)に匹敵する拡散力(複製数)は得られなかった。

 しかし4次元ホログラム(骨格、筋肉、血液、呼吸など身体の内部まで再現するホログラム)とパーソナルエミュレーションAI(個人の脳をトレースした人工知能)を組み合わせたVC技術の誕生によって、パフォーマーに場所の制約がなくなり、何人もの分身(VC)が複数の場所で様々なキャスティングと多彩な演出による別々のパフォーマンスを同時に披露できるようになったのである。同じディズニーランドに実は同時に複数体が存在するミッキーマウスのようなものである。

 VCの本人をオリジナルキャラクター(OC)といい、OCを作り上げることをキャラクターリソーシング(CR)という。生身のOCが出演・出場するイベント(ライブや競技会)は、リアルパフォーマンスを披露するチャンスである以上に、バーチャルキャラクターを作りあげていくプロセスに変わった。


 VCは、さまざまな職業にも働き方革命をもたらした。芸術家以外で最初にこの技術を公然と用いたのは、2036年のアメリカ大統領選挙候補のミッキー・カジノである。カジノ候補の分身は50州すべての演説会場や討論会場に同時に姿を現し、当意即妙の受け答えで場を沸かせた。対立候補からはイカサマ師と揶揄されながらもカジノ候補は圧勝した。これ以降、世界中の選挙でVCを使うことが常識となった。

 この技術を完成させたアルファベットグループでは、カジノ候補の選挙運動以前から、グーグルなどの傘下多国籍企業の各社長のVCが同時に複数の国で経営の指揮を取っていた。VCは各国支社長を不要にしたのである。


 VC技術の普及が進み、価格が低下した恩恵によって、芸術家や政治家や大企業社長のみならず、現在ではすべての知的労働者が自分の分身を働かせる時代が訪れている。複数の分身に働かせて高収入を得て、本人は働かずに自宅でのんびりしたり、海外旅行を楽しんだり、CRに磨きをかけるために大学院に通ったりするのである。

 さらに今後は、ナンパや婚活もVCによって変わると見られている。途中まではVCに任せておき、うまくいったら本人に入れ替わるのである。VCはホログラムなので、いざとなったら性行為はできない。しかし、これ以上にVCが普及したら世の中がVCばかりになって、生身の人間に会えなくなるのではないかと懸念の声も上がっている。

 同じOCのVCを遭遇させないというモラルハザードも無意味になっている。VCはいくらでも複製ができるので、社員全員が同じVCというオフィスや研究所も出現している。いわばミッキーマウスだらけのディズニーランドである。卓越したCRに成功すれば、複製の権利で巨万の富を築くことができるので、大学は今やCR養成所と化している。

 モラルにとってさらに問題なのはOCの死後もVCが生き続けることである。これを規制しないと新しいVCが活躍する場が損なわれる。例えばオードリー・ヘップバーンやマリリン・モンローやイングリット・バークマンがいつまでも若いままで生き続けており、しかも複製がいくらでもできることになったら、新人女優が育たなくなってしまう。だれもこの3人にかなわないからである。スティーブ・ジョブズが死後も生き続けて、いつまでもアップル社の社長でいるというのも、よくよく考えてみると歓迎できない。組織には新陳代謝が必要であり、社長にも新風が必要である。だからOCの死亡と同時にVCも消滅させるべきだというのである。

 そこで2038年、VCの寿命についての国際協定が締結され、生前に本人の承諾があり、かつ研究目的である場合以外には、OCの死後はVCを活動させることができなくなった。だが、OCのデータ流出によるヤミVCは今も続いている。

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