旅の終わり
風のうなりとは明らかに違うその音を聞いた
テトの力に引きずられて歪んでいく
「もう時間がないわよ!」
テトだけではない。巡も限界が近かった。こうしている間にも、ずぶ濡れの身体からは確実に力が奪われていく。
「もう少し……もう少し……」
片膝立ちになった
不意に、光が強度を増し、サッカーボール大ほどにまで膨らんだ。
「できたっ!」
光の渦が空中に放たれる。それは風船のように軽い動きで巡と清明の頭上まで浮き上がったかと思うと、突然浮力を失って歩道に落ちた。
まさか失敗か――と巡の顔から血の気が引き始めた刹那、橋の下の水面に巨大な光の渦が出現した。
巡はすかさずヤドリギの枝を打ち込み、開いた通路を固定する。
「早く! ユノさんを呼んできて!」
気力を絞りきった清明は、力の入らない脚でこけつまろびつ軽トラに戻る。
「ユノ、おいで」
恐怖よりも寒さに震える細い体を、少しでも雨風から守るように抱いて、通路の方へ導く。ユノは身体を強張らせ、きつく目蓋を閉じたまま、瀕死の子猫のようなか細い声で泣いていた。
「ユノ、ユノ、目を開けてごらん」
穏やかに語りかける声に、ユノは恐る恐る目蓋を持ち上げた。
「――きれい」
ユノは目を見開いて感嘆した。何かの糸が切れたように泣くことを止め、本来ならば真っ黒な濁流があるはずの場所を覆い尽くす光の渦を、放心したようにじっと見つめている。
「ほら、あそこをみて」
清明が指さす。鮮やかなビーズを混ぜ込んだように複雑な色彩に輝く渦の中心で、ひときわ眩しい光が弾け、巨大な花が開花するように通路が開いた。
そして二人は、見た。
緑の溢れる丘陵に並んだ葡萄畑を。
荒野の夜明けを暖める篝火の熱を。
深宇宙を旅する巨大な移民船団を。
大地の果てまで続く勇壮な渓谷を。
猥雑な活気に溢れた都市の夜景を。
深山幽谷に満ちる霧を払う朝日を。
光に縁取られた魔法の鏡のような通路の先、
めまぐるしく移り変わる世界たちの輝きを、
二人は魅入られたように眺めている。
「……ねえセイちゃん。いつかあそこに行ける?」
「いつかじゃないよ、今から行くんだ」
「今から?」
「ああ、そうだ。約束したろう? ユノの行きたいところは全部行こうって」
「ほんとに?」
「目を閉じて。今から行きたいところを頭の中で考えるんだ」
ユノは言われたとおりに目蓋を閉じ、清明はその肩を抱きすくめ、巡の方を見た。
「いってらっしゃい」
巡はそのとき、微笑んでいた。
清明も巡を見て、静かに笑っていた。
そして二人の身体がゆっくりと倒れていった。
いつの間にか、雨も風もふっつりと止んでいたことに気付いた。
「だめ! 待って!」
その気配を察知した巡が叫ぶ――がしかし、遅かった。
はるか上空から、一本の槍が落雷のように降ってきた。
槍に突き刺された光の渦が風船のように弾けて消えた。
走る。
枝を生成できない。
縄が編めない。
法力がまとまらない。
なぜだ。
なんでもいい。
最大強度で〈
少しでも二人の落下を遅らせる。
少しでもこちらの動きを早める。
事態を察した清明が手を伸ばした。
すべての音が意識の外に置き去りにされる。
ただひたすら一つの願いだけを頭の中で叫ぶ。
間に合え、
間に合え、
間に合え。
「セイメル!」
巡が手を伸ばした先には、もう何もなかった。
夜を煮詰めたような水面に向かって、二人が落下していくのを見た。
姉は穏やかに目蓋を閉じたまま、弟の胸に頭を預けていた。
弟は少し寂しそうな顔で笑って、こちらに向かって手を振った。
――ありがとう。
そんなふうに口が動いたように見えた。
そして、二人は濁流の中に姿を消した。
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