うなり屋
最初の一合は挨拶のようなものだった。
間合いを外したテトは
「貴様には一度礼を言いたかったのだ」
世話話でもするような口調で渦瑠が言う。だらりと下げた剣にはなんの意思も感じられないが、油断は禁物である。不意をつく腹積もりかも知れない。
「管理官と手合わせすることなど途絶えて久しく、平素の任務に忙殺されていたこともあって、私は己の力を過信していた――傲慢になっていたのだ。これは己可愛さの
ついには剣すら消した渦瑠は、滝のような雨に浸って水袋のようになったジャケットを脱ぎ捨て、前髪を掻きあげた。脱力した立ち姿はしかし全く軸がぶれず、横殴りの風雨すらそよ風のように錯覚させる。
「やはりあのとき、私は自身の慢心に斬られたのだ。そのことに気づかせてくれた貴様には、嘘偽り無く感謝している」
ちらり、と渦瑠の視線が軽トラに向かう。テトはその僅かな動きにも反応し、身構える。
「案ずるな。私は貴様への貸しを――いや、借りを返しに来たのだ。無粋なだまし討などする必要がどこにあろうか?」
翻した手に白金の直剣が生成される。
「だから貴様も余計な憂いは捨てろ。そして私の真心を、存分に味わうが良いのだ」
構える。
空間跳躍。
欺瞞を織り交ぜた複数のルートを使い、渦瑠は一息に彼我の距離を詰めてくる。テトは間合いを掌握することを諦め、相手のルートを限定することで有利な位置に招き入れようとした。――が、それこそが渦瑠の誘いだった。互いの左肩側に抜けるような形で接近した渦瑠は瞬時に腰を落として回転し、右踵をテトの顔面めがけて蹴りあげる。
すれ違いざまに右の肘で相手の鼻面を砕くつもりだったテトは決定的に足運びを間違い、無理やり身体をねじり倒して渦瑠の蹴りを躱す。仰向けになった鼻先を、革靴の踵がかすめていく。
さらに追撃。
陽炎のような時空間の歪みを纏った白金の刃がテトの首筋に迫る。
テトは〈
そしてテトがその操作に意識を奪われた一瞬の隙に、なにもかも織り込み済みだった渦瑠は悠々と体勢を整え、未だ空中にあるテトの喉元めがけて殺人的な左肘を見舞った。
テトは辛うじて地面に残った足を使って軸をずらすが、やはり化かしきれない。鉄の杭を撃ち込まれたような衝撃が胸を貫き、身体がアスファルトの路面に叩きつけられる。
間合いを取らなければ。
その一心でテトは路面を転がる。低く構えて相手を見据える。渦瑠から何本もの
硬質な刀身が街灯の光を鋭く反射する。引き絞られた矢を放つように切先が突き入れられ、まるで暴風がうねるようになんの予備動作もなく方向を変える。テトに弾かれた力の奔流は事前に通されていた
渦瑠は侵襲の速度を弱めない。ここで逃げを打てば負ける。本能で理解したテトは渦瑠の間合いに最大速度で突撃する。瞬間、幾本もの
――真っ向勝負をしたいのか。
テトはその招待に応じた。まるで憧れの人を迎え入れるような喜悦を浮かべる渦瑠の懐に飛び込む。案の定、振るわれた剣は単純かつ明快な軌道を取り、テトは苦もなくそれを逸らす。二人を中心に透明な花が咲いたように空間が歪む。待ちわびたように突きこまれた初手を弾き、懐に滑りこんできた渦瑠へ向かって更に密着し二の手を封じる。互いに身体を弾きあった後はスピードの勝負だった。開いた身体を引き絞り、相手よりも早くテトは鳩尾を狙うが、そこで渦瑠の全身が一気に加速――いや、跳躍した。
為す術無く打撃を受けたテトはひとたまりもなく吹き飛んだ。すぐに起き上がろうとしたが、もはやテトの左肩は完全に砕かれていた。一方の渦瑠は、浅くではあるものの鳩尾を貫かれた衝撃で大きくたたらを踏んで尻餅をついた。しかしすぐに立ち上がり、勝利の陶酔に浸った顔で路上に転がるテトを見下ろす。
それでもまだ諦めないテトは残る右腕で上半身を起こし、それを見つけた。
「――あ」
先ほどの一合で落としてしまったのだろう。
二人の間の路上で、ビーズの首輪がオレンジ色の街灯を浴びて輝いていた。
テトの視線に気づいた渦瑠がそれを拾い上げた。
「なんだこれは」
テトの顔が悲劇的に歪む。渦瑠はそこに何かを読み取って、しばし手の中のそれを眺め、
「フン、――くだらんのだ」
侮蔑的な表情で言い捨てて、首輪を引きちぎった。
ばらばらになったビーズが雨と風に押し流されて、闇に消えていく。
猛獣がうなり声を上げた。
テトの瞳が妖しく光り、〈
一つの擬似的な〈
「いいぞ
歓喜を叫んだ渦瑠が、再び直剣を構える。
「さあこい! 貴様の全てを折りたたんでやるのだ!」
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