叛逆の決断

 清明セイメイは思いもよらないことを言われたように、ぽかんとした顔をじゅんに向けた。

「俺しかいないだの絶対守るだの罪滅ぼしだの、そんな聞こえの良い言葉並べて自分で自分にウットリしちゃってさ。本音を言えば『お姉ちゃん大好きー』ってだけじゃない。そんなしょうもないことのためにこんな大掛かりな事件を起こしたのかと思うと、もうバカバカしくて頭がクラクラしちゃう」

 清明の目に明確な失望と侮蔑の色が灯った。

「アンタには分からないだろさ。俺達がどんな――」

「分かりたくもないわ!」

 低く静かに吐き捨てた。

「アナタこそ、自分が何をしてきたか分かってるの? アナタのせいで滅びなくてよかった世界がいくつ滅んだと思ってるの? 身勝手な自己陶酔に他人を巻き込むことのどこが罪滅ぼしなのよ。アナタの我侭で勝手な愛情とやらに振り回されなければ、お姉さんだって本来の姿のままに自分の運命を全うできたんじゃないの? 世界から爪弾きにされた寂しさを誰かで埋め合わせようなんて虫がよすぎるわ。そんなにお姉さんが大事なら、真っ先にアナタが死ねばよかったのよ。そんな度胸もないくせに、幾つもの世界の幾つもの命を食い散らかして、そのくせ私らに追い詰められたら悪戯みつかったガキみたいな顔してさ。絶対守るなんてぬかすなら、なんで真っ先に私を殺さなかったの。何なら今からでもいいわ。アナタは一度私を殺してるんだから、もう二回も三回もかわらないでしょ。私の十人や二十人殺してでも逃げ切りなさいよ。その程度の覚悟しかないくせに『約束』だなんて軽佻浮薄も甚だしいわ。こんなのお姉さんが可哀想なだけじゃない」

 自分でも驚くほどの怒りが沸き起こった。

 腹の奥にわだかまっていたものが爆発的に燃焼し、言葉になって口から溢れた。

 正義感などではない。

 世界なんていくらでも滅べばいいし、そこに住んでいる者達の命を代弁する資格など、巡には元からありはしない。

 全ては巡の個人的な感情だった。

 巡はどうしても、この男が許せなかった。


 自分の過去が目の前に座っているようだと巡は思う。

 かつてこの世界を滅ぼした自分と、この世界を救おうとした母の姿を思い出す。


「ならどうしろってんだよ!」

 机に拳が打ち付けられる。

「力を失った俺ができることなんてたかが知れてる。アンタを始末してそれで片がつくならとっくにそうしてるさ。だけどアンタたちは不滅だ。二十人殺そうが二百人殺そうが、痛くも痒くもないんだろ。そんなのどうしろっていうんだよ……俺たちにはもう打つ手が無いんだよ……」

 臓腑の底から絞り出すような、嘔吐にも似た叫びだった。

 巡はふと、うなだれるその頭の向こうにある戸が、数センチほど開いているのに気付いた。その隙間からこちらを覗きこんでいる瞳は、今にも泣き出しそうなほどに不安な色をしていた。

 巡と目があったユノは、逃げるようにして頭を引っ込めた。

 その瞬間、巡の頭の中で思いもよらない考えが浮かんだ。

「私の使命はね、世界のを守ることなの。だからいくら無力だとはいえ、世界を不安定にさせるアナタのような者は、どこまでも追い詰めて排除しなければならない」

 感情の熱に浮かされた思考を押さえることが出来ない。

「つまり、私たちは最終的にアナタを始末できればそれでいいわけで、その過程はあまり問題にならないのよ」

 自分でもどうかしてると思うその言葉が、口をついて出た。

「だから、アナタたちがこの世界から逃げたところでこっちは痛くも痒くもない。私個人としても、地元であるこの世界が安全ならそれでいいしね」

 もう、最後まで吐き出すしかなかった。


「アナタたちを逃がそうと思う」


「――え」

「でもこれっきりだからね。この世界から無事に逃げられたら、今度は本気で追いかけるから。次は絶対、アナタたちを始末する」

 清明はひとたまりもなく困惑して、

「逃げるったって、俺にはもうなにも――」

「私を利用すればいいじゃない」

 巡はなんでもないふうに言ってのけた。

「それってどういう――」

「だからさぁ、力を貸そうかって言ってんのよ。私とテトはまだ力を使えるんだから、どうにかすればアナタたちを逃がすことくらいはできるかもしれないわ。どうするの? やる? やらない? 私の気が変わらない内に早く決めてよね」

 投げ出すように言って、椅子の背もたれにふんぞり返る。

「どうして……いきなりそんなことを」

「勘違いしないでね」

 と前置きして巡は続ける。

「アナタに味方するつもりなんてこれっぽっちもないの。――でも、お姉さんを守ることが、最後の最後まで力を尽くすことが、アナタの罪滅ぼしなんでしょ? アナタはそれをお姉さんに約束したんでしょ?」

「そうだ」と清明は呻くように言った。

「因果律操作の使い手である私が言うのも変な話だと思うけどね。その人の運命はその人の手に委ねるべきだと思うの。そしてその決定を、私は尊重したい。だから――」

 巡は背筋を正し、清明に手を差し伸べた。

「一度だけ、アナタを信じることにした」

 じっと巡を見つめていた清明の瞳にふと、理解の色が弾けた。薄氷が溶けるように、体中の緊張がほぐれていく。そして、

「はははっ」

 自然と溢れ出たような笑い声だった。

「なによう」

 巡は口を尖らせた。

「――いや、これで二度目だと思って」

「なにが?」

「前に俺がアンタに捕まったときも、そんな顔をしていた」

 どうやら〈枝〉を付けたときのことらしい。巡はざっと記憶を洗って、

「そうだっけ?」と首をひねる。

「ああ、そうだ」清明は自分自身に確認を取るように頷いて、「あのとき俺は、仕留めに行くでもなく、躱すでもなく、その成り行きをアンタに任せたんだ。お願いだから避けてくれ、ってな。――だからこれで、アンタに頼るのは二度目だ」目の前の手を握り返した。

「ぶっ刺されるのは二度とごめんだけどね」

 そう言って巡も微笑む。

「じゃあひとまず、今日のところはここまでにしましょう。具体的な作戦はまた明日ってことで。――明日もここに来るでしょ?」

 清明は肯いた。

「よし、それじゃ」巡は眼鏡をかけ直し、立ち上がって隣の部屋の戸を開けた。「テト、帰るわよ――おっ?」

 その部屋は寝室になっていた。隅っこの壁際で、ユノはテトを抱えてじっと息を潜めるように座っていた。巡と目が合った瞬間、ユノは腹をすかせた猛獣に出くわしたように顔を歪めた。

 やはり聞かれていたようだ。会話の意味はわからずとも、その剣呑な雰囲気を敏感に感じ取っていたのだろう。しかしこうもはっきり怖がられると、少し胸が痛む。

「ごめんなさい。ちょっと喧嘩しちゃった」

「けんか……」

 そこに清明が顔を出す。

「でも大丈夫だよ。もう仲直りしたから」

「……ほんと?」

「ほんとほんと」巡は清明の腰に抱きついた。「もう仲良しっ! ね?」

 ユノの怯えた顔つきが、スイッチを切り替えるように変わった。眉根を寄せたユノは憮然として立ち上がり、真っ直ぐ清明の方に歩いてその胴に抱きつく。

「ユノのほうが仲良しだもん」

 巡は面白がって言う。

「あら、私も負けないくらい仲良しよ」

 二人の腕に締め上げられた清明は、助けを求めるような視線をテトに投げる。

 そんな三人を冷めた目で眺めていたテトは、付き合ってられんとばかりに尻尾をぐるりと回し、リビングのほうに去っていく。


 そして巡とテトはアパートを後にした。

 巡はテトをデイパックに入れ、無言で帰路をたどっていた。

 ふと、テトが口を開いた。

「ねえ、巡」

 冷たい刃物のような声色。

「さっきの話、本気なの」

「ええ、本気よ」

 楽観でもなく自暴でもなく、ただ一切の迷いを捨てて巡は言い切る。

異界管理官いかいかんりかんとして、私は自分に許される限りのことをしたい。もちろん、出来なければ諦めるわよ。でも、やろうとする前から諦めたくはない」

「『可能なことは可能である』――か」

 それは異界管理官のモットーとでも言うべきものだ。

「そういうこと」巡はテトの頭をなでる。「あなたはどうする?」

 それっきり、テトは口を噤んだ。

 それでいいと、巡は思う。

 すでに自己完結した決意はテトの首の振り方で変わるものではなかったし、テトが敵に回ったとしても自分は正面から戦うだろう。

 バスに乗り、マンションまで戻ってきた。

 裏手の駐車場でテトをバッグから下ろす。

「じゃあ、さよなら」

 そう言って踵を返そうとした巡に、テトが声を掛けた。

「お店のゴハンも美味しかったけどさ」

 振り向く。

「僕は巡が作ってくれたゴハンが食べたいよ」

「テト……」

「僕は明日も同じ時間に待ってるよ」

 巡は膝をつき、テトの頭を優しく愛撫した。

「急いで帰ってくるからね。……ありがとう」

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