異界の姉弟
少年がインターホンを鳴らしてから、思いもよらぬほどの間があった。
留守なんじゃ、と
「こんにちはぁー」
「――っ!」
閉められた。
「ええー……」
会心の笑顔の行き場を無くして固まった巡を見て、少年はくすっと笑う。
「ユノ」
少年が声をかけると、再びゆっくりとドアが開いた。
ドアの影に隠れるようにして、女の子が顔を出した。『ユノ』というのが名前なのだろうか。ぱっと見では中学生くらいに思えるが、よく見れば小学生みたいな感じもする。背も巡よりいくぶん低く。無頓着な感じがするショートボブに包まれた頬には、まだまだ幼さが残る。
「――だれ」
臆病な犬のように陰った瞳からは、胸奥の不安がありありとみてとれる。
「俺の――」
と少年が言葉に悩んだその隙に二人が割って入る。
「友達です」
にゃあ。
そこでユノはもう一人の訪問者に気付いた。行儀よく座る銀猫と目を合わせた途端、
「んんっ!」
ずっと欲しがっていた玩具を見つけたように興奮し、猫のように丸い目を輝かせて少年を見た。
「ねこ!」
ドアにすがりついたまま、今にも小躍りを始めそうにむずむずと身体を震わせている。
巡はテトを抱き上げる。
「お邪魔してもいいですか」
ユノはようやくドアから離れた。少年が先に中に入り、二人を招き入れた。
よくある1LDKだった。
他人の目には無防備としか思えない等身大の生活感は、偽装とは考えにくい。不自然なところは無く、他に人がいるわけでもなかった。
リビングにはシンプルなテーブルがあり、その上には色とりどりのビーズを収めたボックスやテグスが広げられている。それらに囲まれたマットの上には作りかけの手芸品があったが、まだ始めたばかりらしく全貌はみえない。
巡の視線に気付いた少年が言う。
「ユノの趣味なんだ。結構手が込んでるのも作る」
なるほど部屋を見渡せば、壁に架かったコルクボードにはネックレスのような作品が並んでいたし、その横の棚には立体物が収められている。どれも見事な造形だ。
「へえー」
と巡は素直に感心した。こういう面倒臭いことは全く苦手なのだ。
ふと、少年の影に隠れるようにして所在なさげにしていたユノと目が合った。単純な興味を帯びていたその瞳が、気まずそうに床に落ちる。が、今度はその先にいたテトと目が合い、笑みをこらえるように口元が歪んだ。
「私は
「
少年は巡から注意を逸らさず、ユノに告げた。
「これから巡さんとお話することがあるからさ、テーブルの上、片付けてくれるかな」
うん。とユノは頷いて、広げられた道具を丁寧に箱にしまい込む。
テーブルが空くと少年は巡に座るよう促した。
「ユノはそっちの部屋で遊んでな」
柔らかい口調で少年が言い、それに従って隣の部屋に去ろうとする背中に、巡は声をかけた。
「ユノさん」
「はい……」
振り返ったその表情は未だ緊張に凝り固まっている。
「猫、好きなの?」
こくん。と頭が揺れた。
「じゃあテト、相手してあげて」
んーふ。
巡と視線を交わしたテトはユノの方に歩いて行った。
むるる。
とテトは挨拶する。
ユノは喜色満面でテトを招き入れ、戸を閉めた。
「――さて? なにから話そうかしら」
「あんたは、俺を始末しに来たのか」
イキナリ本題に切り込んできた。もう少し情緒というものはないのかと思う。
「そうだよ。――って言ったらどうするの? ここで私たちを始末する?」
少年は巡を睨みつけたまま答えない。
「私はそれでもいいけどね。たとえ力が使えなくても、今のアナタなら私の一人や二人、簡単に組敷けるでしょうね。……でも、ユノさんはどうかしら」
少年の瞳に怒りの色が揺れる。
「猫の牙って、案外鋭いのよ」
頭の中のスイッチが五個くらいしかないような巡だが、なんの勝算も無しに突撃を敢行したわけではまさかない。いくら能力が使えないといっても、少年がその気になれば巡など物の数ではないだろう。無駄死にしないためにも、なんとか少年を駆け引きの場に引きずり出す必要があった。そこでこちらの身の安全を確保するために、最低限の『担保』が必要だった。
つまり、人質をとったのだ。
アパートの前で声を掛けたのも『お前の秘密を知っているぞ』というアピールが当然あったのだが、あそこまでビビってくれるとは正直予想外だった。
「冗談よ。じょーだん」
巡は態度を緩める。
「話をしに来たのは本当に本当。まずアナタの言い分を聞いておこうと思ってね。それに私だって人殺しにはなりたくないし、殺されるのも嫌。せっかくの本来の身体だもの、大事にしたいわ。――だけど、アナタの出方によっちゃあ冗談では済まされないことになる、というのは理解してね」
少年が頷く。
「じゃあ、まず私から質問、いい?」
「どうぞ」
「お名前は?」
「――
「ご趣味は?」
何言ってんだコイツ、というような反応。
巡はたちまち赤面して顔を隠す。
「あっ、や、うそうそごめん。一度やってみたかったのこの流れ」
はー、超スベった。と呟いて、巡は改めて居住まいを正す。
「今度はアナタから質問どうぞ」
「あんた今『本来の身体』って言ったよな。つまり、この世界があんたの故郷なのか?」
「そうよ。ここが私の世界。一つ忠告しておくけど、この私をやっつけたところで“私自身”は消えたりはしないからね。すぐに戻ってきて倍返しにしてあげるから」
図星を突かれたらしい清明は苦い顔をする。
「やっぱり、あんたも上位存在の一人なのか」
「そんなに大層なもんじゃないわ。喩えるなら庭師みたいなものね。主人から預かった庭が荒れないように手入れし、庭を荒らす不届き者がいればこれを排除する。それが私たちの使命。確かに、世界という枠から外れた上位の存在と言えなくもないけれど、それならアナタも同じようなものでしょう?」
「主人……あんたらは誰かの命令で動いてるのか」
「主人ってのはモノのたとえよ。実態としてそういうものが存在するわけじゃないわ」
そこで巡は少し考えて、
「たとえば、生き物について考えてみましょう。アナタや私、そしてこの世の生きとし生けるモノ全てがそうであるように、誰にも生きろと命令された覚えはないでしょう? ただ生きる。生きるために生きる。ただそのように存在する。――私たちもそれと同ように、目的と理由と存在とが、一つの使命に集約されている。だからそうしてるってだけ。……っていうかアナタばっかりズルくない? 私にも質問させてよ」
清明はまだ納得がいかないようだったが、こくりと頷く。
「まずは、一度ハッキリさせておきましょう。アナタが
清明は首肯する。
「じゃあ単刀直入に聞くけど」
巡は相手の心奥を量るように真剣な眼差しで言う。
「アナタが本当に召喚したかったものって、ユノさんだよね?」
深い沈黙が訪れた。
実際には十秒間ほどの出来事だったが、互いに目を合わせたまま瞬きもしない二人は止まった時間の中にいるようで、このまま放っておけば永遠にでもそうしているかのように思われた。
「きゃぁーお!」
唐突に、隣の部屋からユノの声が響いた。突沸的な歓声と、バタバタと駆けまわるテトの足音。あどけない笑い声。
清明は瞼を下ろし、力のないため息を吐いた。そして何かに耐えかねたような重苦しい表情でテーブルに肘をつき、額を支えた。
「……本当の名前は、レギナっていうんだ」
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