接触
そして翌日は何事も無く過ぎ去り、翌々日になった。
学校から真っ直ぐ帰宅した
「やっほー」
頭上から声が降ってきた。
「だから、人様の車に上がらないでって――」
「そんなことより!」
車から飛び下りたテトは、興奮した様子で巡の脚にまとわりつく。
「収穫ありだよ!」
「まって」巡はそれを手で制した。「五分で戻ってくるから」
駆け足で家に戻った巡は包装紙でも引っぺがすように制服を脱ぎ捨て、動きやすい服に着替え、デイパックを逆さにして机の上に中身をぶちまけ、予め必要な道具をまとめておいた袋を引き出しから取り出してデイパックに詰め、すぐさま部屋を出た。
「歩きながら話しましょう」
巡は腹に回したデイパックにテトを抱えて、報告を受ける。
あれからテトは二晩にわたってアパートを監視し続けた。
その結果、少年はあのアパートに住んでいるわけではないことがわかった。あの日、巡と別れてからさに数時間して、少年がアパートから出てきた。テトはその足取りを追ったが、すぐ近くの駅で電車に乗ってしまったため、追跡を断念せざるを得なかった。電車が市内方向へ向かうのを確認したテトは、アパート監視を続けることにした。窓の明かりを見るに、少年が訪れた部屋には誰か居るらしく、周辺の手頃な塀によじ登って覗こうとするも、カーテンに阻まれて中は確認できなかった。そしてその夜はそれ以上の動きはなかった。
翌日。家と家の隙間に潜んで朝食を済まし、残りを隠し終えて現場に戻ってきたところに、ちょうど少年がやってきた。慌てて塀に登るも、案の定部屋の窓はレースのカーテンに遮られてよく見えなかった。が、うっすらと見える人影の動きから、部屋の中には少年ともう一人の人間がいるらしいことは分かった。そして昼を過ぎた頃、少年がアパートから出てきた。
「――女の子?」
「うん」とテトは思慮深げに頷いた。
少年は、一人の少女と一緒だった。
年の頃は十二かそこら。時折あけっぴろげな笑顔を瞬発的に咲かせては、落ち着きなくぴょこぴょこ跳ねてはしゃいだりする、どこにでもいそうな女の子である。二人はたいそう睦まじい様子で手をつなぎながら近所の公園に向かい、バドミントンをして遊び、日が落ちる頃に帰宅した。その後昨日と同じような時間に少年は一人でアパートを出、また同じように近所の駅で電車に乗った。
「ねえ、もしかして間違えてるんじゃない」
そう思わずにはいられなかった。
「あなたの報告を聞く限りだと、平凡な兄妹の休日しか見えてこないんだけど」
この間の尾行で感じた無防備さといい、いままで散々こちらの手を焼かせた犯人のイメージからはだいぶ乖離している。
「僕もそう思ったんだけどさ、やっぱり巡の〈枝〉の反応を感じるんだよ」
「女の子の方は?」
「なんにも」とテトは耳を伏せた。「そこら辺の人間と変わらないよ。……でも、あそこには一人で住んでるみたいなんだよね。この世界の慣習はよくわからないんだけど、それって少し変じゃない?」
確かに、と巡は考える。離れ離れに住んでいるというのは、親戚かなにかであれば説明が付くが、十二くらいの女の子が一人で生活しているというのは、確かに奇妙である。
黙考する巡に、テトが声をかける。
「もう少し張ってみる?」
「それも一つの手だけど、ここは大きく出てみるのもいいかもしれないわね」
眼鏡の奥の瞳に不敵な色が灯る。
「つまり?」
「正面突破よ」
まるきり悪党みたいな笑みを口元に浮かべる巡に、テトも同調する。
「いいねえそれ。僕も正直焦れてたところだよ」
そうと決まれば、行動は早い方がいい。
二人はバスを利用することにした。
デイパックの中でじっと息を潜めるテトを膝に乗せながら、これって無賃乗車なのかしら、とぼんやり考えつつ車窓の向こうにある風景を眺めていると、ものの数分で件のアパートの近くにある駅に着いた。
周囲の目を気にしながら、巡はデイパックからテトを出してやる。
テトは〈
「うん、近くにはいないみたい」
二人は目的地に向かった。
少年はまだアパートに来ていないようだった。
これから来るのか、それとも今日はこないのか――どちらにせよ待てる限りは待とうと決めた。アパートへ続く路地の入り口の斜向かいにはコンビニがあり、監視にはおあつらえ向きであった。
巡は多少なりともカモフラージュを試みようと、ぶかぶかのキャスケットを目深に被り口元をマスクで覆う。傍から見たらまるきり不審者であり逆に目立っているのだが、本人はそのことに気づいていない。
テキトーな雑誌を掲げて地蔵のように身じろぎもせず、待つことおよそ四〇分。
――来た。
少年は高校の制服を着ており、どこからどう見ても学校帰りである。
雑誌の縁から刃物のような眼光をちらつかせ慎重に人相を確認する。間違いなかった。建物の影に隠れていたテトも駐車場に姿を現し、巡に目配せをする。
巡は揚げ物臭い店内の空気を大きく吸い込んで、眼鏡が真っ白に曇るほどの鼻息を吐く。
「よしっ」
静かな気合とともに腹を決めて、コンビニの自動ドアをくぐった。
二人は視線で頷き合って、行動を開始した。
道路を渡り、路地に入った少年の後から早足で迫る。
そしてアパートの前に来た時、
「みーつけた」
つんのめるようにして立ち止まった少年は、ゆっくりと肩越しに振り返り、
「――ええと、どちら様でしょうか?」
まさかの人違い――と巡の背筋に冷たい想像が走るが、帽子とマスクを身につけたままなことに気づき、焦りを悟られぬようにゆっくりとそれらを外した。
キャスケットから髪の毛が溢れ、マスクの下の相貌が露わになる。
少年の全身が恐怖で凍りついた。
その表情に確信を得た。
「ようやく会えたわね」
ニヤリと口元を歪める巡の足元で、
なぁ――――――ぅ。
とテトが演技掛かった声を上げた。
少年の顔は見る間に青ざめていった。
まるで腹を撃ちぬかれた兵士のような、虚ろな目で立ち尽くすその姿に、流石の巡も罪悪感を覚える。
「――あ、あのね」
まるで巡の口から弾丸でも放たれたように、少年がびくりと肩をこわばらせた。
「私たちは、アナタをどうこうしようってつもりはないから」
巡は表情を和らげる。
「ただ、ちょっとお話したいなって、それだけだから……ね?」
そう言ってテトを抱き上げた巡は、ゆっくりと少年に歩み寄り、手を差し出した。
「私は巡、こっちは相棒のテト」
にゃあっ。
とテトが言った。
少年は、己の生き死にを決めるかのような長い逡巡の果てに、まるで猛獣を撫でるように慎重な動きで、手を握り返した。
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