発見

 それは夜の海原に浮かぶ小さないかだを探すようなものだった。


 筏にはトランスポンダがついていて、じゅんはその信号から筏のある方角を割り出す。そしてテトが真っ暗な海にサーチライトを当て、そこに何か浮かんでいないかくまなくチェックする。

 困難な作業だったが、それでも不幸中の幸いというべきか、二人の能力はこのテの為事におあつらえ向きであり、気力と意地さえ保てるなら、いつか必ず結果はでるのだという希望がそこにはあった。


「あー、あっづい」

 ものの数時間で気力が萎えた。

 九月も半ばである。

 だのにしつこい風邪のようにぶり返した夏の暑さが、二人のやる気をチョコレートのように溶かしていった。

「相変わらず巡は根性が足りないなあ」

 公園のベンチである。

「だって、こんなに歩くなんて久しぶりなんだもの」

「そんなの僕だっておなじだよ」

 テトはベンチの下に潜っている。確かに、毛むくじゃらな分だけつらいのかもしれない。

「反応はあるんだけどねえ」

 〈枝〉は確かにこの世界にあった。はっきりとは分からないが、確かに感じる。

 自分の一部がどこかに落ちているのだという感覚。喪失の疼きと恢復への焦燥。それはまるで月に恋するようなもどかしさだった。光は確かに届いているのに、伸ばした手は届かない。

 だが、そう遠くはないだろうと巡は考える。〈枝〉は本体と一体になりたがる性質を持つ。〈枝〉に引きずられた少年が、巡の近くに着地していることは十分あり得る。

「せめて形而上構造けいじじょうこうぞうを読めればいいんだけど」

 テトが言う。

「これじゃあも無しに野山をうろつき回るようなもんだよ」

「確かに、でもあれば少しはマシに――」


 唐突に、脳天から氷水を浴びせられたような強烈な直感が降ってきた。


「行くわよテト!」

 針でケツを突かれたように立ち上がった勢いのまま、巡は歩き出した。

「ちょっとちょっと、どうしたんだよう。まさか、見つけたの」

 地面を蹴飛ばすような勢いでぐいぐい歩いて行く巡を、テトは速歩で追いかける。

「そうじゃないけど、『探しもの占い』よりももっと良い方法があるわ。ああもう! なんでもっと早く思いつかなかったのかなあ。私の馬鹿め」

「良い方法って?」

 巡はにやりと口元を歪めて、

よ。二つの異なる点からそれぞれ目標を計測して、互いの距離と角度から目標の距離を割り出す――それを応用すればいいのよ。私達の場合は計算すら必要ないわ。任意の二つの点から目標に向かって線を引けば、その交わる点がビンゴってわけ」

 テトはひとたまりもなく感心して「すごいすごい」とまんまるな目を輝かせる。

 相方の反応に気を良くした巡は、猫のような笑顔を浮かべた。

「まずは地図とコンパスを手に入れましょう」


 二人は街のアウトドアショップに向かった。

 テトを外に待たせて目的のものを購入し、さっそく店の駐車場の隅っこで地図を広げた。

「まずはここから――」

 小枝を倒す。

「――よしよし。この方向ね」

 赤青鉛筆の赤で地図上に線を引く。

「あとは別の場所で同じ事をやればいいってこと」

 二人はまた歩き出す。

 足取りが軽い。

 少し前までの憂鬱な気分とは打って変わって、肌に浮く汗が緩やかな風に冷やされて心地よい。晴天に輝く太陽は自分達を祝福しているようにすら思える。


 適当な場所で再び小枝を倒す。

 赤青鉛筆の青で線を引く。

 赤と青の線が交差する。


「ここだ! 思ってたよりずっと近いよ!」

 地図を肉球でバシバシ叩いて興奮するテトを、巡はなだめる。

「まだ喜ぶのは早いよ。――ほらここ、川じゃない」

 交点は市街を南北に分断する河川の上にあった。

「パクられたチャリンコじゃあるまいし、川底に沈んでるってことはないでしょう。……この感じだと多分、移動してるんじゃないかと思う。ここは万全を期して、もう何回か同じ方法をやって精度を出していきましょう」

 二人は交点に向かって歩き出す。相手に気取られる可能性を減らすため、補足が確実な距離になるまでテトの能力は使わないでおく。


 また一つ、

 そしてまた一つ、


 地図上に赤青のが増えていき、二人は西へ東へと行き来しながら、じりじりと距離を詰めていく。

 どうやら相手が移動しているのは間違いなかった。そのせいで正確な位置は割り出せないが、交点の動きからおおよそのアタリをつけ、そこに巡たちが移動にかけた時間を勘案してズレを補正していくと、非常に大雑把ではあるが相手の移動ルートが見えてきた。向こうが鳥か虫でも無い限り、その移動は道によって制限されるのだ。

 巡は地図に浮かび上がる幽霊のような足跡を読んでいく。

 国道を北上し河川に突き当たったところで西に折れ、そのまま川沿いに進み隣の県道に出て、さらに北に進む。間隔からして手段は徒歩。その足取りに欺瞞の気配はない。おそらく、何らかの目的地に向かっているのだと思う。だとしたらここからどう動くか。それを予測して効果的な計測地点を考える。

 そしてとうとう――


「ここにいる」


 ショッピングモールだった。

念のため敷地の両端で小枝を倒したところ、それぞれ見事に反対の向きを指した。

 間違いない。

 ――だが、巡の力ではここが限界だった。週末ということもあり、周辺には多くの人間が集まっている。この中から犯人を特定しようにも、巡の方法では分解能が足りなかったし、なによりも見た目が怪しすぎる。無駄に目立って相手に自分たちの存在を気取られてしまえば、確実に逃げられる。テトの能力を頼るにも、同じ理由からモールの中に入るのは得策ではない。

 二人はモールの近くで張り込みをかけることにした。

「準備はいい?」

 裏手にある公園のベンチ。

 テトを膝に載せた巡はダンゴムシのように背中を丸めて、白い耳に囁いた。

「おっけー」テトは巡にだけ聞こえる小声で返事をする。「いくよー」

 そして、テトは見た。

「――いた」

 本館の一階、食品売り場周辺。ゆっくりと移動している。

「こっちには気づいてないみたい」

 もしくは、気づいていないふりをしているか。

 どちらにせよ、ここまで来たらもう後には引けない。奴が出てくるまで何時間だって待ってやると巡は覚悟する。


 ――が、実際は三〇分もかからなかった。

「でてきた!」

 ノミの悲鳴のような声でテトが叫んだ。

「どこ?」

 巡はテトを抱きかかえて立ち上がった。

「建物の反対側だよ!」

 テトの言葉に従って、巡はそろそろと歩き出した。心臓が早鐘を打ち、腹の底が冷たくなるような緊張に襲われる。じわりと膏っぽい汗が吹き出て、肌にくっつくテトの毛がうざったい。

「あれあれ、あそこにいる」

 巡は足を止めて、テトを抱き直すふりをする。

「どこ」

「ほら、あの、横断歩道で信号待ってる、買い物袋下げた男」

 その時点で横断歩道の近くには一〇人ほどがいた。そのうち三人は通りすがりで、残りの信号を待っていると思しき者の中で買い物袋を手に持っている者は二人。一人は中年女性で、もう一人が若い男性。


 みつけた。


 一見してどこにでもいるような少年だった。半袖のポロシャツにジーンズ、そしてスニーカーといった特徴のない服装で、背恰好も特にこれといって目を引く所はなく、左手に下げた買い物袋の平凡さも相まってお母さんにお使いを頼まれた少年にしか見えない。

「どうする?」

 テトが巡に囁いた。

「ここで事を構えるのは上手くないわ。跳ぶ前に心して見よ、ってやつ。あちらが気づいていないなら、その間にできるだけ情報を得ておきたい」

「泳がせようってことだね」

 うん。と頷いて巡はテトを地面に下ろす。

 信号が青に変わった。

 少年が横断歩道を渡る。

 巡とテトはゆっくりとその後を追い、信号が点滅し始めた瞬間を見計らって横断歩道を駆け抜けた。巡が無言で広げた腕の中にテトがジャンプで飛びつく。息の合った二人のアクションに、通りすがりのおっさんが「ほぁー」と感嘆の声を上げる。

 巡はテトを抱いたまま建物の影からちらりと様子を伺い、

「テトはこのままあの子の後を、私は反対側。くれぐれも距離を詰め過ぎないように、能力はいざというときまで使わずに」

 素早く耳打ちしてテトを下ろし、ちょうど青になった横断歩道を渡った。


 二人は六車線ごしに目で頷き合い、尾行を開始した。

 少年はそのまま県道を南進していく。巡たちが地図に付けた印を――つまり、来た道をそのまま戻っているようだった。たとえ何かの罠にしても、あまりにも迂闊すぎるルーティングだ。

 本当に買い物に来ただけなのかもしれない、と巡は思う。

 斜め後ろから覗く少年の顔には、警戒の様子は全く無い。何に注目するでもなく、ぼんやりとした顔で街の景色を眺めながらリラックスした足取りで県道沿いを歩いている。

 時刻は昼の盛りを過ぎ、夕暮れの気配が刻一刻と濃くなるにつれて、さっきまでの熱気が嘘みたいに散っていく。

 少年は大きな橋の手前で巡がいる側へ道路を渡り、橋は渡らずに川沿いの道へと入っていく。巡はテトと合流し、十分な距離と遮蔽物を確保してその後に続く。少年は隣の国道に抜け、橋を渡り、そのまま真っ直ぐ南へ向かった。

 しばらく道なりに歩いたところで、少年は脇道にそれ、その先にあった二階建てのアパートメントに姿を消した。

 二人はいったんアパートの前を通り過ぎて、様子を伺う。

 鉄筋コンクリートの建物は比較的新しいものの、外観はのっぺりとして没個性的である。メゾンドなんちゃらとかいう浮ついた名前も相まって、高級車のエンブレムを付けた軽自動車みたいな侘びしさを感じる。

 二人は路地の奥にしゃがみ込み、パントマイムみたいな動きで電柱の陰から顔をのぞかせた。

「やったね巡! ついに拠点をみつけたよ」

「まだまだ、これからだよ――と、いいたい所なんだけども」

 そう言って巡は腕時計に視線を落とした。辺りはすっかり暗くなり、いつの間にか街灯の明かりがついていた。

「今日のところはここまでにしましょ。私そろそろ帰らなきゃだし」

「えーなんだよそれ」

 せっかくのやる気を挫かれたテトが非難の声を上げた。

「テトはここに張り込んで、引き続き情報収集をお願い」

「まあ、仕方ないけどさ」と不満気に耳を伏せる。

「そう言わないで。ほら、ゴハンは支給するから」

 巡はデイパックから袋を取り出した。先日の反省を活かして、匂いの少ないドライフードをチャック付きのビニル袋二つに小分けしてある。袋はタコ糸で連結されており、ちょうど紐付きの手袋のようになっている。それをテトのなで肩にかけてやる。

 その用意周到さにテトは呆れたような声で、

「最初からこういうつもりだったんだね」

「あら、私はこういう事態が起こる“可能性”を考えて準備してただけよ」

 巡は飄々と言ってのけた。

「どうだか」とテトはため息をつく。

「あと私、明日は用事があって遠出はできないと思うから、なにか逼迫したことがあったらウチに直接来て。特に動きがなかったら明後日の午後――四時ころかな、いつものところに集合ってことで。それじゃ、くれぐれも慎重にね。よろしく!」

 有無を言わせない勢いで一方的に言い放って、すくと立ち上がり踵を返した。

 長い髪を夕暮れの風になびかせて颯爽と歩いて行くその後姿を眺めて、テトは疲労感たっぷりにつぶやく。

「やっぱり、相棒の扱いがひどいなあ」

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