捜査方針

 あれから――少年に刺されて意識を失ったじゅんがあちら側に戻ってすぐに、二人は追跡を再開した。


 追跡は容易だった。

 少年に打った〈枝〉は、普段つかっているような法力で形成したものではなく、巡自身から削りだした、いわば分身のようなものである。どんなに離れたところにあっても巡は〈枝〉の在処を感じることが出来た。「EPRパラドックスを通信に適用した感じ」と巡は説明するが、案の定テトには通じない。

 ――ともかく、たとえ〈枝〉に気付いたところでその機能を止めるには本体であるところの巡を倒さねばならず、つまるところ欺瞞は不可能ということだった。

 今度こそ犯人を取り押さえてやるぞ、と逸る気持ちに突き動かされた二人は〈枝〉の気配を追いかけた。


 逃走者は飛沫世界群ひまつせかいぐんを抜け、辺縁世界群へんえんせかいぐんに入った。一気に密度を増した世界の泡をくぐり抜けていくと、唐突に、ぽっかりと開けた場所に出た。まるで鬱蒼と茂る草むらの一部にうっかり除草剤をこぼしたような空隙に、忘れられた除草剤のキャップみたいにぽつんと佇む世界が一つあった。


「巡の世界ならそうだって言ってくれればよかったのに」

 そう言ってテトはささみを一切れ咥え、ハクハクと咀嚼する。

「言う余裕がなかったのよ……多分」

「恥ずかしがるのも分かるよ。初めてのボーイフレンドを両親に紹介するようなものだもんね」

 巡は心の中でため息をつく。そんな平和でちっぽけな悩みだったらどれほどよかったことかと思う。テトは忘れているのだろうか。たとえ世界が滅ばずとも、たとえ本来の自分が消えずとも、その人が異界管理官いかいかんりかんとして選ばれるには、が必ずそこにあるのだということを。

「まあ、実際そんなことを言ってられる状況じゃなかったけどね」

 肉を飲み込んだテトは満足気に口の周りを舐め、

「ほとんど閉鎖された世界だった。傍から見ただけじゃどんなところかはわからないし、じっくり調べてる余裕もない。アプローチにも手間は掛かったけど、巡の〈枝〉を通じて入り口を開くことはできた。――たぶん、ロクな準備もせずに飛び込んだせいで世界の構造に飲まれたんだと思う。入った途端に全ての力が制限されて、なんとか形相化けいそうかできたのがこの身体ってわけ」

 巡は紅茶を口に含む。マグカップに入れっぱなしのティーバッグのせいで、ざらついた渋みが舌を覆う。

「私は気づいたらこの身体になってた。もうだいぶ慣れたけど、限界値はとてつもなく低いと思ってちょうだい」

 フウム。とテトは鼻息を吐き出した。何かを考えているような面持ちで、リビングの窓から見える空をじっと眺め、視線を戻す。

「喫緊の問題は、僕らの能力だよね」

「全く使えないの?」

「ほとんどね。……でも、わずかには残ってる」

 鮮やかな真鍮色の瞳が、巡を覗きこむ。

「まさに五里霧中って感じだけど、ごく狭い範囲に限ればそこそこは見えるんだ。昨日だって巡が力を使うのがから追いかけたんだけど――」

 突然、何かを思い出したようにテトの目つきが変わる。

「というか巡はどうなのさ。昨日は僕のこと探してたなんて言ってたけど、どんどん迷走して離れていくばかりだったじゃない」

 氷のようなひらめきが巡の思考に滑りこんできた。

「――あなた今、って言った?」

「そうだよう」

 巡は両手で顔を覆って、

「うわあ―――――――――――――――」

 


「逆さまに読んでたあ―――――――――」


 道理でまったく見つからないわけだ。喩えるなら、の尖ってる方を地面につけ、尻を指で押さえていたような感じだ。つまるところ、巡はずっとテトから逃げていたのだ。

 恥ずかしすぎてテトの顔を見られない。

「フン――ま、この世界でも巡は相変わらず巡だってことで、ある意味安心したよ」

 なんでもないような声で言うテト。一方で巡の目には、その猫ゆえの無表情がとても皮肉的に見えてつらい。

「はぁ……」重いため息をどっと吐き出し、「とにかく、私も使えるのはそのくらい。準備期間があればもっとデカイことをやれると思うけど、すぐに操作できる因果はほんとうに小さなものばかり」

「そっかあー」

 そう言ってテトはテーブルの上にでろんと寝転がる。

「でもさ、不幸中の幸いってやつだよね。巡の〈枝〉を使って地道に棒倒しで追っていけば追跡できるんだし。重要なのは、勝算はゼロじゃないってことだよ。ゼロじゃなければ1にできる。それが巡の〈因果律操作プロフェータ〉でしょ」

「相手が近くにいるならいいけど、これが地球の反対側とかになったら流石に無理だからね? というか、運良く国内であっても場所によっちゃかなり厳しいわ。この世界じゃあ〈現実ゲンジツ〉ってもんが猛威を振るってて、それは主にお財布の中から出てくるの」

 世知辛いね。とテトは呟く。

「たとえ出直すにしても、戻る手段がないからねえ。僕はまだいいとして、問題は巡だよ。本物の自分の身体なんだから、粗末にするわけにはいかないし」

 別にかまわないけどさ、と巡は胸中に独りごちる。粗末というほど大事なわけでもないし、そうでなくともこの世界の久瀬くせじゅんは早晩にだろう。

 まったく馬鹿な女だと、自分のことながらそう思う。

 だけど――

「だけど、この世界から出られないというのは相手も同じでしょう? この際じっくりと腰を据えて、あの少年を追うのもいいかもね。案外、早くに増援が来て問題を解決してくれるかもしれないし、そうならなかったらならなかったで、この世界の住人として生きてみるのも悪くはないかなって思うの。そしたらその時は、私の相手をしてくれる?」

 そう言って巡はテトの顎を掻いてやる。

「出来る限りは付き合うよ。相棒だからね」

 テトは尻尾の先ををぱたぱた振って応えた。

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