打開

 大した進展もないまま、しばらく時が過ぎた。


 再びじゅんは現場での捜査、テトは情報の分析という分担に戻ったが、迷宮世界での一件以来、二人は対策部と関わることをできるだけ避けていた。

 巡は独自のルートで現場を飛び回り、テトは例の〈結晶〉の解読にかかりきりだった。もちろん対策部からの要請があれば出向かないわけにはいかないが、それ以外は自分たちの仕事を優先させていた。


「ただいまあ」

 力なくドアを開けて帰ってきた巡は、大儀そうなため息と共にソファへ腰を沈めた。

「おかえりー」

 テーブルとソファの間に寝転がっていたテトは、これまた気力の抜け落ちた様子で尻尾を振る。

「今回はずいぶん長かったねえ。どうだったあ?」

「相変わらずよ。小粒も小粒、大して価値が有るようには思えないもんばっか」

 そう言って巡は制服のポケットから色石を取り出し、テーブルの上に放った。

 テトはのっそりと上体を起こして、ソファの座面に頭をもたれた。

「こっちも大した収穫はナシだよお」

「対策部の調査班が言うには、あれはの一種ってことらしいわ」

「そこは僕も同じ結論だね」

 そう言ってテトが指を鳴らす。

 テーブルの上、ちょうど巡の視線と同じくらいの高さの空中に〈結晶〉が現れた。

 実を言えばここにある結晶がオリジナルであり、対策部に提出したものはテトが作ったコピーである。贋作とはいえほとんど本物といっていい出来栄えなので捜査には支障ないし、エリート様の鑑識眼をもってしても今のところバレていないのだから、まあ良いだろうと巡は思う。

「この回路は世界樹を利用して、他の世界にある“何か”からの信号を増幅しているみたいなんだよねえ」

「その“何か”ってのは一連の不正召喚物じゃないの」

 巡は素朴にそう考えていた。

「僕もそう思って、今までに集めたものを回路にあてはめてみたんだよ。そしたらさ、どうやら不正召喚物は信号のみたいなんだよねえ」

 となると、ますます疑問が湧いてくる。

「それじゃ、もろもろの召喚物は陽動や目眩ましのためのデコイなんかじゃなくて、だったってわけ?」

「断定はできないけどね。でも、何らかの意味があるってことは確かだよ」

 そう言ってテトは顔の前あたりで指をくるくる回す。テーブルの上の結晶がそれに同調するように回転し、複雑に入り組んだ辺と面が劈開へきかいする。次に指を振ると、小さなガラス片のような色石がどこかから現れ、結晶の周囲を衛星のように浮遊しはじめた。テトはさらに操作を続ける。結晶から細い絹糸のようなものが伸び、色石との間を結びつける。

「これほど精緻に、そして明らかに選択的に、それぞれが結びついているからねえ。目的は不明だけど、やはり何らかの役割を担っていることは間違いないよ」

「ようやく報われたって気がしてきたわ」と巡は細いため息をついた。「少なくとも、私たちのやってきたことは徒労じゃなかったってことね」

「それはそうなんだけどねえ」と、テトは相変わらず渋い顔のままで、「まだまだ謎なことだらけだよ。どこの誰がどんなつもりでこんなことをしたのかは、相変わらずわかってないんだから」

 そこで巡はふと、脳裏に浮かんだ言葉をそのまま口にする。


「アウトプットと、それに使われた回路の働きが分かったなら、そこから逆算してインプットを割り出せるんじゃないの」


「理論としては、そうなるけどねえ……」

 もったいつけたような言い方である。

「なによう」

 と唇を尖らせて巡は続きを促した。

「僕もそう考えて試してみたんだ。まず、全体の規模と回路内の特質の違い、利得ゲインの偏りからしておそらく入力は複数――でもそう多くはないはずだ、と睨んだわけだよ。で、特徴のある部分に目星を付けて回路をさかのぼって行ったところ、果たせるかな回路の入力部らしい箇所が見つかったわけ」

「なんだあ、見つけてるんじゃん」

「問題はそこから先なんだよ」

 テトは耳をふにゃりと伏せて、


「回路の始まりがわかっても、そこに『どんな入力があったか』がわかるとは限らない」


「――あ」

 言われてみれば、当たり前のことだ。喩えるなら、電話の回線が『どう繋がったか』を知ったところで、そこで『何を話したか』はわからない、というたぐいの問題である。

「でもでも、そこまでわかってるなら、なおさら出力から巻き戻して復号したらいいじゃない」

「もちろん、それもやってみたさ。でも回路を辿って行くと、途中で不可逆な操作を行う部分がいくつかあってねえ。結局のところ遡れるのはそこまでだったよ」

「はーぁ」

 思わず感嘆の声を漏らして、巡は背もたれに身体を預けた。

「そりゃあ対策部が出張ってくるのも納得だわ。ここまで手の込んだ事件そうそう無いっていうか、飛沫世界群ひまつせかいぐんでこんな規模の事件が起こるって、前代未聞じゃない?」

「少なくとも、僕がここに来てからいちばん大きいヤマだってのは確かだねえ。というか、観測部にいた頃を勘定に入れたって、このレベルの案件はそうそうないよ」


 息の詰まるような沈黙。


 自分たちがとんでもない領域に足を踏み入れてしまっていたことにようやく気付いた二人は、己が背に負わされた重圧をはっきりと意識してしまった。

 なにを今更――とは思いつつも、巡は監督官を恨まずにいられない。こんなことなら断っておけばよかったと心から思う。よくよく思い返してみれば、巡とテトが選ばれたのにしても監督官の親心などではなく、他の管理官がことごとく依頼を辞退した果てにお鉢が回ってきたのだと考えるほうが、はるかに筋が通っている。

 冷静になって考えれば、閑散部署のへっぽこがエリート意識の塊みたいな対策部の連中にどんな対応をされるかくらい予想はできたはずであり、そこで辞退するというのはある種の自衛策として必然の帰着ともいえる。

 そもそも正式な任務でないからこその『推薦』なのだろう。監督部の中でどのような政治力が働いているかなど巡には知る由もないことだが、なんだかダシにされたような気がしてならないし、転属をちらつかされただけでホイホイ乗せられてしまう自分の馬鹿さ加減に悲しくもなる。

 『どうしようもないお人好し』だなどと思っていたが、実はあの監督官、とんでもないかもしれない。


「あーあ、ここにきて手詰まりかぁー」

 放り出すように言って、巡はソファに寝転んだ。

「しょうがないよ。コトがコト、相手が相手だし。僕たちには荷が重すぎたのさ。そう何度も対策部に喧嘩売ってられないし、あとはもう金魚の糞みたいに彼らの後について評価を稼ぐしかないね」

 突き放した言い方をするテトに、巡はちょっと気を損ねる。

「なによぅ、急に覚めたカンジになっちゃって。対策部の奴らに足蹴にされたままでいいっていうの」

「とはいえ一泡吹かせることには成功したからねえ。久しぶりに暴れまわってスッキリしたし、これ以上やったら本当に捜査妨害で問題になっちゃうよ」

「腑抜けー」と巡は野次を入れる。

「巡こそ、なんでそんなにこだわるのさ」

「だってむかつくじゃない」

 と巡は鼻息を荒くする。

「いくら腕が立つとはいえ、相手はどこの馬の骨とも知れない飛沫世界の名無しの権兵衛よ。ソイツにわけのわからないモノをぽこぽこ召喚されたせいで管轄を荒らされ、首突っ込んできた対策部にイビられ、管理官としての私のプライドはもうズタズタよ」

 テトは突然、クスクスと笑い出し、

「ほんと、犯人は大したもんだよねえ。巡の口から『プライド』なんて言葉を引き出すなんて、監督官殿にもできない芸当だよ」

「私はくやしーのー」

 巡は駄々をこねる子供のように手足を振り回した。

「私たちの網に引っかかること無く世界を渡り歩き、更には遠隔で仕掛けを動してたなんて、完全にこっちの負けじゃない」

「まあねえ」

 とテトが頷く。

「これだけの捜査網を突破するのは針の穴をくぐるより難しいはずなのに……まるで幽霊みたいだよ。本当に針の穴をくぐれるほどに小さくて見落としてるのかもしれないし、ひょっとしたら犯人は異界管理官いかいかんりかんだったなんてこともあり得る、というかむしろそのほうがなんぼか救われる気がする」


 ――コツン、と。


 巡の頭の中で小さな球が弾かれた。ゆるゆると転がった球はまた別の球にあたり、思考の球突き台の上でコトコトと静かに、しかし徐々に加速の気配を含みながら、連鎖は拡大していく。

 止まらない思考の衝突がガラガラという大きな騒音を立てる中、そこからまろび出た一つの球が、とあるポケットの縁に引っかかるようにして落ちた。


 ガコン。


「……ねえ、いま、なんて言った?」

 巡は急に真剣な声になる。

「ん? ひょっとしたら犯人は異界管理官かもって――」

「違う、その前」

「針の穴ほど小さい――」

「――でなくて、もひとつ前、ほら、だって」

 そう言って巡はむくりと身体を起こした。

「ええと、うん。どこからともなく現れては、どこへともなく消えていく。まるで幽霊だなあって」

 巡は険しい表情でしばらく考えこんで、

「……

「え?」とテトは呆けた顔。

「テト、〈地図〉出して〈地図〉!」

 いきなり血圧を上げた巡に、テトは戸惑う。

「なになに、いったいどうしたのさ」

「いいからはやく!」

 その勢いにおされたテトは〈地図〉を展開させる。

「これ、私にも分かるようにできる?」

「近似取って投影すれば簡単になるけど、それじゃかなりの情報が欠落して、」

「いいからいいから、やってやって」

 テトの言葉をぶったぎって急かす。

「なんなんだよもう」

 文句を垂れながらも、テトは〈地図〉を操作する。複雑怪奇な法則で明滅していた光が、連続的な運動をする粒子として表示し直される。

「拡大、できる」

「そりゃあ、できるけど……」

 テトが手を動かすと、お化けかぼちゃくらいの範囲に纏められていた地図が、目の前の空間いっぱいに広がった。

「そこに例の〈結晶〉を組み込んで、それを中心にしてもっと寄れる?」

 テトは言うとおりにする。銀河のような光の群れが、テーブルの向こうから急速に接近してくる。きらきらと渦を巻くその中心に、ひときわ明るい点が現れた。

「ここが今回の事件のってわけね」

 テトは首肯する。

「私たちの監視下にある世界域を、分かりやすく表示できる?」

 ここにきてようやく、テトは巡の意図を察した。

「僕たちの監視範囲から外れたところを探そうってのなら、それはもうやったよ」

 異界管理官の監視網は広範囲に及ぶ。それが重大事件対策部じゅうだいじけんたいさくぶの扱う事案ともなればなおのこと、捜査範囲からかなり外れたところにある世界までもが監視の対象に設定される。

 しかし、

「半分はそう思ってるけど、半分は外れ」

「どういうこと?」

 こちらの監視下であることを示す緑色の領域が、水面に垂らしたインクのように広がっていく。ざっと見る限りでは、カバーされてない世界は無い。

 ――が、

「例えばここの隙間」

 と、巡はソファから立ち上がる。

「それにこことここ、あとここも。……このくらいの隙間があれば、簡単な指令くらいはこっそり通すことができる」

 監視は徹底していて、さながら風船を箱に詰めたような様相だったが、巡が指し示したところを見れば、針を通すような僅かな隙間が確かにあった。

「つまり、隙間の構造からあり得る入射方向を割り出して――ってことでしょ?」

 巡の言葉を継いだテトが、紐を引くように手首を返すと、領域外から別の世界が引き寄せられた。二つ、三つ、四つ――と、同じようにしていくつかの世界が連れてこられる。

「それはもう考えたよ。でもってこれらの世界は、たしかに結晶へのアプローチが可能なところにある。だけど、対策部だってそこまで馬鹿ではないわけさ。僕がこれに気付いた時点で、既に調査が完了してたよ」

 テトの言葉通り、ピックアップされた世界もまた緑色で覆われていた。

「それは私も予想はしてたわ。だから、を考えてみたのよ」

 結局なにが言いたいんだコイツ、というような顔を向けるテト。

 巡は話を続ける。

「対策部はその性質上、少数精鋭で組織されている。そしてその運用は、即応性と成果を再優先にした効率重視型。重要だと思われる場所をピンポイントで捜査するのが彼らのやりかたで、現に対策部は経路上に存在する世界をキッチリ押さえてる。でも言い換えればそれは、ということなのよ。つまり、結晶にアプローチできる経路でも、その先になにもないところはまだ捜査の手が及んでいないんじゃないかって思うの。


 ――例えば『崩壊した世界があった場所』とかね」


 テトの尻尾の毛がにわかに逆立つ。

 平手打ちされたかのような勢いで地図に向き直り、過去に一度も見たことのない手際で操作する。

 そしてついに、


「――あった」


 テトは魂を抜かれたような顔で呟いた。


「崩壊した世界につながっている道が、ひとつだけ」


 巡はにやりと笑みを浮かべる。


「どうやら今度は幽霊退治になりそうね」

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