崩壊世界、再会

 〈世界セカイ〉の有り様が千差万別なら、それらの滅び方もまた一様ではない。


 多くの場合、破綻をきたした世界はその形相を保つことができなくなり、湯に落とされた角砂糖のように散々に砕けて〈無〉に溶けていくのだが、もちろんそうでない場合だってある。

 寿命を迎えた世界は死んだ魚の眼のように濁って萎み、結束力の衰えた世界は氷が昇華するように消え、鋼のような世界であっても小さな傷に巣食った〈無〉に侵され、滅ぶ。

 さまざまな理由によって存在を保てなくなった世界は、誰も知らない森の底で倒れた大樹のように音も無く朽ちていく。


 その世界は廃墟だった。


 まるで取り壊しの途中で放り出された現場のように、ばらばらになった世界の残骸だけがそこにあった。

 誰も見ていやしないのに、誰も聞いてはいないのに、それでもじゅんとテトはいつもの荘厳な衣装を身に纏い、威厳と威光を惜しみなく全方位に無料配布しながら、あらゆるものが死に絶えたその地に降り立った。

 巡はぐるりと辺りを見回して、

「……シケた世界だわ」

 チンピラみたいな第一声に、テトは苦笑する。

「おいでませの垂れ幕でもあるかと思った?」

 期待が無かったといえば嘘になる。

 もしかしたら世界の瓦礫の影に秘密のアジトかなにかがあって、異世界征服を企むマッドな召喚術士が自分たちを待ち構えていて、追い詰められたソイツはぼろぼろの外套を無の風にたなびかせて「よくぞこの場所がわかったな」と大胆不敵に高笑いをしてみせるのだ。

 ――と言うと「寝言は寝て言え」と笑われそうだが、それでもそんな妄想に近い願望が巡の心の中の一割、いや二割を占めていたのは事実である。

「ま、今更そう簡単に片付くもんだとは思っちゃいないけどね」

 巡はため息と共に馬鹿げた妄想を吐き捨てて、

「さて……なにか変わったところはある?」

 うーん。とテトは世界の様子を観測する。

「ざっと調べた所、よくある崩壊世界の一つだと思うけどねえ」

 テトの言葉に嘘はない。形而上構造けいじじょうこうぞうが不自然な形で分断されているのを見るに、この世界の内側でなんらかのが働いたのだろう。そのせいで元々強固ではなかった形而上構造けいじじょうこうぞうは引き裂かれ、骨と血管をズタボロにされるようにして世界は死んだ。よくあることだった。

「なにか手がかりの一つでもあればいいんだけど」

 巡はヤドリギの杖を呼び出した。

「これ以上崩壊が進まないようにしておくわ。テトは犯人の痕跡がないか、探してみて」

「了解だよー」


 夜の海を漂うクラゲのような世界の残骸を、二人は丹念に見回って行く。

 手がかりは意外にもあっさり見つかった。


「――法術ルーンだ」

 元は大きな都だったようだ。

 高い城壁に囲まれた広大な領域。その中にところ狭しと立ち並ぶ石造りの建物はことごとくが崩れ落ち、さらに全体の三分の一ほどが地殻ごと引きちぎられるようにして消失している。

 都市の中央に大きな城があった。

 五角形のそれぞれの辺が内側に凹んだ、出来損ないの五芒星のような城壁に囲まれている。城の六割ほどはまだ原型を保っていた。流石にそこら辺の民家とは作りが違うのだろう。

 二人は城門の前に降り立った。

「あの〈結晶〉と同じ形式の法術ルーンが使われた痕跡があるよ」

 テトは耳をピンと張って、興奮気味に言った。

「鬼が出るか蛇が出るか、ってところね」

 余裕たっぷりに巡は応えるが、平静を装う胸の裏側では、逸る鼓動が全身を強く揺さぶっていた。これほどまでに気が高ぶるのは初任務以来だ。

 城内に足を踏み入れる。

 ついさっきまで世界の崩壊から逃げ惑っていた人間がいたような、大声で呼ばわればそのへんの瓦礫の下から誰かがひょっこり顔を出しそうな、そんな雰囲気を残しながらも一切の生気が欠落した異様な空気は、まさに幽霊城と形容するのがふさわしかった。

 法術ルーンの残滓はいたるところにあった。

 二人は手分けをして城内を回り、証拠を収集していった。

 これまでの現場に比べて明らかに異常だと巡は思う。周到を重ねて管理官の裏をかき、慎重すぎるほどにその痕跡を隠蔽してきた犯人が、これほどあからさまな証拠を残すというのはどうも納得がいかない。


 あらかた捜索し終わった二人は、城内にある聖堂に腰を落ち着けた。

 天井は緻密な彫刻と壮大な絵画に飾られていて、一枚岩から削りだした巨大な柱に支えられている。他の建物とは違った真っ白な石で組まれた壁は、崩落した天井の穴から差し込む昏い光を浴びて燐光を放っているようだった。突き当りにはこの国の聖者か何かを象った首のない彫像がそびえ立ち、その台座にはこの国の言葉で『神ハ総テヲ見給フ也』という、なんとも陳腐な文言が刻まれていた。

「やっぱりここから指令を送っていたみたいだねえ」

 集めた法術ルーンの輝石をテーブルの上に山と積み、選別と圧縮の作業をしながらテトが言った。

「まさに秘密のアジトだったようね」

 床に転がっている彫像の頭に腰掛けた巡は、辺りを見回す。

「それにしても、なんか不気味だわ。本当に幽霊が出てきそう」

「なにそれ」

 とテトは笑って、

「今更お化けなんか怖がるタマじゃないでしょ。むしろ嬉々として追いかけ回すほうなくせに」

「繊細でか弱い乙女に向かって失礼なこと言うわねあなた」

 オトメダッテサハハハワラエル。と抑揚のない調子で流すテト。

「まあ冗談はさておき――どう思う?」

 んー。とテトは尻尾を左右に振りながらしばらく考えこんで、

「隠れ蓑ってよりは、と言ったほうが適切かもねえ」

「爆心地……」とテトの言葉をなぞって、「不正召喚物ふせいしょうかんぶつの出所はここだってこと?」

 テトは首肯する。

「崩壊した世界は修復できない。いきおい、崩壊に巻き込まれたモノもまた、形而上構造けいじじょうこうぞうが破壊され、存在できなくなってしまう。そしてをどこかに移す事は、当然できないはずなんだけど――」

 そこでテトは一息ついて、

「そこで犯人は迷宮世界の回路を通すことで情報を砕いて漂白し、世界樹のエネルギを使って欠損部分をた上で再度構築することで、目的のモノを『召喚』していたようだね」

「あー、なるほど」

 巡は大きく頷いた。頭の中で理解の火花がぱちぱち弾ける。

「ようするに、だったわけだ。そもそもが何処の世界にも繋がっていないんだもの、出自を特定できないのは当たり前ってことか。複数の世界同士を結んで回らなくていいぶん召喚にかかるコストも低く抑えられるし、私たちに見つかるリスクも下がる。後始末も法術ルーンの隠蔽だけちゃんとしてればそれでいいものね」

 急に目の前が開けたような感覚に興奮を覚える巡だったが、しかしそれと同時に、脳みその奥に押しやられていた動物的な直感が、何かを察知する。


 ここに至ってもまだ、犯人の目的が見えてこない。


 順調に明かされる犯行の手口とは正反対に、その目的は不自然なほどに不明なままだった。これだけの計画性とそれを実行する力――それこそ管理官並みの能力――を持った手合が、なんの意味も為さないゴミの召喚に血道を上げる理由がわからない。


 違和感がある。


「……でも、肝心の犯人はどこに行ったんだろう」

 巡は素朴な疑問を口にした。

「逃げたんじゃない?」とテトは暢気にのたまう。「対策部が動き出してからは包囲網が一気に狭まったし、そのうえ迷宮世界の回路までもが押収されちゃったんだから、こんなところに長居する理由なんてないでしょ。見つかるのは時間の問題っていうか、実際に僕たちが見つけちゃったわけだしさ」


 なにか大事なことを見逃している。


「それにしても、なんでこんなに大量の証拠を残していったのかしら。いままでの現場では神経質すぎるほどに証拠を隠蔽してきたのに。……なんだかわ」

「らしくない、って」

 テトは耳をへにゃりと動かし、鼻で笑う。

「知り合いでもあるまいし、らしいとからしくないとか、そんなのわかるわけないじゃん。僕たちを恐れて大慌てで逃げたのかもしれないし、もうとっくに目的は達成してて、用済みになったから捨てただけかもしれない」


 意識の底で目を覚ました直感という名の獣が、鼻をひく突かせて違和感の正体を探る。


「大事なのはここからよ。まさか不正召喚物そのものが目的なはずはない、むしろそれを使って、さらにしていたと考えるべきよ」

「それは僕もそう思うけどさ、その『何か』って何なのさ」


 獣が低くうなり始める。それは思考の遥か彼方でぐわんぐわんと共振を起こしながら、徐々に大きくなっていく。


「逃げたにせよ捨てたにせよ、これだけの情報が残っているんだから、犯人の行動を読めてもいいはずじゃない。あの回路をどんなふうに操っていたのか、ここから各世界へ送還されたモノに共通点はないのか……」

 そう言って巡はそぞろな面持ちで聖堂内をうろつき始めた。

 故も知らない焦燥が首筋にべっとり巻き付いている。

 音すらも死に絶えた世界の静寂の中で、自分の鼓動だけがやけに大きく耳に届く。

 捜査は着実に前進しているはずなのに――

 ――なのに、このはなんだ?

「うーん」

 テトは輝石の山に手を突っ込んでジャラジャラと崩し、大雑把な手つきで天板の上に広げる。

「ざっと見て、ここで見つけたものの中にそういう情報は無いみたい。これだけ世界がバラバラになってるからねえ。別の場所も捜索してからじゃないと、なんとも言えないよ」

「そうね……」

 巡は聖堂の入口に立ち、〈無〉の空に蓋をされた世界の景色を眺め、

「もう少し念入りにこの世界を探してみましょう」

 テトの方に振り返って、


 背後に気配。


「――っ!」

 瞬間的にヤドリギの杖を構えて斬撃を受けた。

 あまりにも突然過ぎて体勢の立て直しが効かず、捌き切れない衝撃が巡の身体を突き抜ける。たまらず吹き飛ぶその刹那、鈍色の刃の向こうで獰猛な殺意に塗れた二つの眼と視線が合う。

 叩きつけられた床の硬さを認識する間もなく、追撃の一刀が巡の首を狙っていた。

 ――速すぎる!

 切先の放つ冷気が鼻先に感じられるほどにまで迫ったその時、

 コァン!

 テトの回し蹴りに払われた刀身がまっぷたつに折れて吹き飛んでいく。

 襲撃者はさらに踏み込んだ。剣を弾いたその脚が振り抜けきらぬうちに間合いを殺し、瞬時に抜いた短刀をテトの脇下に潜り込ませてくる。

 テトはその一撃に合わせるようにして、相手の首筋めがけて二本の指を突き入れる。

 そんな度胸試しのようなやりとりから先に降りたのは襲撃者だった。狙いを諦めてテトの腕を受け、攻撃を逸らすと同時に懐へ飛び込み、顔を埋めるように密着し至近からの拳を打ち込もうとした。

 しかしテトのほうが一枚上手である。突き入れた手を引き戻す勢いと振りぬいた脚の勢いとを一つに合わせて、残った脚を爆発的に加速させる。戻りの手は襲撃者を抱くように覆って退路を封じ、情け容赦のない膝蹴りが拳もろとも顎をぶち抜く。

 襲撃者はまるで木の葉のように回転して吹き飛んだ。

 床を転がって距離を取った巡は、姿勢を低く構えたまま事の次第を見守る。

「――チッ」

 耳を伏せたテトが渋い顔で舌打ちする。

 浅い。

 大げさなほどに吹き飛んだのは、膝蹴りを受け流すためだった。比喩や誇張などではなく、常人ならば頭の形が変わるか首が反対に回るかしていたであろうテトの一撃を食らい、それでも意識を失わずにいるというのは、文字通り常軌を逸している。

 襲撃者はややふらつきながらも起き上がった。

 男である。

 年は分からないが、まだ若い。

 よく見ればそれなりの身なりをしているが、こびりついた垢と砂のせいで柄と汚れの区別もつかない。元は豪奢な刺繍が施されていたであろう袖口はぼろぼろに擦り切れ、細身ながらも剛柔の均整がとれた四肢の美しさだけが逆に目立つ。振り乱した前髪の隙間から覗く、飢えた獣のごとき双眸。匂い立つような敵意が全身にみなぎっている。

 罠か。

 巡の胸中にわだかまっていた焦燥と違和感が、ゆるゆると解けていく。

 あからさまに残された法術ルーンは巡たちを誘導するいわば撒き餌であり、同時に奇襲の気配を消すための煙幕でもあったのだろう。

 初撃で巡を討ち損じた男は、息も詰まるような緊張に微動だもしない。

 その一方で、巡の顔には悪魔憑きもかくやという笑みが浮かんでいた。


 以前に巡の右腕を斬り落とした、因果律操作の使い手に間違いなかった。


「まさかアナタが連続不正召喚事件れんぞくふせいしょうかんじけんの犯――」

 瞬間、世界が大きく脈打った。

 巡とテトがそれに気を取られた隙を突いて、男は踵を返して遁走する。

「――ちょっと、人の話は最後まで聞きなさいよ!」

 巡はヤドリギの杖を振る。逃げ出した男めがけて光の縄が飛ぶ。だが男は背中に目でも付いているかのような身のこなしで、そのことごとくをすり抜ける。

「くそ!」

 巡は悪態をついて走りだす。

 城内を縦横無尽に逃げまわる男の後を、二人は必死に追いすがるが、地の利の差はいかんとも埋めがたい。

「巡! こっちだよ!」 

 もうなりふり構っていられなかった。

 拳を振りかぶったテトは次々と石壁に大穴を穿ち、二人は最短距離で男を追った。

 そうこうしているうちに三人は城壁の上の通路にたどり着いた。

 追い詰めた。

 巨大な地割れに飲み込まれるようにして、城壁はすぐそこで途切れていた。

 それでも男は止まらない。一〇〇メートルはゆうにある裂け目へと一直線に走りこむ。


 そして男は裂け目に落ちた。


「――えっ」

 巡は思わず声を漏らした。あまりにも自身満々で突き進むので、てっきり飛翔能力でも持っているのかと思っていたのだが、崖っぷちで踏み切った男は申し訳程度の幅跳びを見せただけで、そのまま重力に引かれていった。

 そこは世界の裂け目だった。行き着く場所は地の底どころか〈無〉の果てであり、そこへ落ちたモノはなんであれ、湧き上がる〈無〉に侵されて掻き消える運命にある。

 まさか、この期に及んで自決は選ぶまい。

 巡とテトも躊躇なくその後に続いて身を投げる。

 無の虚へ落下していく男の向こうに、光の渦が現れた。

異界跳躍いかいちょうやくか!」

 大きな口を開いた異界への通路が、男を飲み込む。

 通路はすぐにその口径を狭めるが、

「逃すもんですかっ!」

 渦を巻く通路の縁にヤドリギの枝を打ち込んで固定する。

「ナビゲートは僕にまかせて!」


 二人は通路に飛び込んだ。


 飛沫世界群ひまつせかいぐんの歴史に残る、大逃走劇が始まった。

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