迷宮世界:5

 法術ルーンは想像以上に深い階層まで散らばっており、回収には手間がかかると思われたが、その分布にある種の規則性を見出してからは、俄然回収の効率が上がってきた。

 世界樹は水から引き上げられた大魚のようにのたうち、隙あらば光脈を閉じて別の場所に逃げようとしている。それでも渦瑠コールの手は容赦なくその光脈を押さえつけ、引きちぎり、切り開き、すり潰し、刮げ取る。


 作業に没頭する渦瑠の顔は、先程までの不満気な表情と違って真剣そのものだ。

 確かにこれは、今までにあったどうでもいいゴミのような不正召喚物とは、根本的に違うものだ。明らかに、何者かのによって仕掛けられた痕跡がある。一つ一つは大した意味を成さない簡単なモノだが、そこに規則性を持たせて集合的に扱うことで何らかのとして機能させるようなシロモノらしい。

 これこそが今回の事件を紐解く重要な鍵になる。

 指定管理官としての経験に裏打ちされた渦瑠の直感が、そう囁いていた。極めて慎重な手つきで、しかしこの世界のことなどどうでもいいというような強引さで、法術を束ね上げていく。


 すでに時間との戦いだった。

 案の定というべきか、飛沫ひまつ係の二人は敵の掃討にかなり苦戦している様子で、刻一刻と包囲網は狭まっていた。

 もはや復元が困難なほどに世界樹を切り刻んでしまっている以上、ここで作業を止めてしまえば世界はそのまま崩壊してしまうだろう。そうなればせっかく見つけた証拠を不完全なまま持ち帰らねばならず、それだけ事件の解決は遠のくし、渦瑠のプライドと評価にも傷がつく。

 怪物の投擲した槍が、唸りを上げて渦瑠のすぐ側をかすめていく。

 それでも渦瑠は、うっすらと半眼を開いたその睫毛すら揺らすことなく、世界の裏側に広がる光脈と格闘している。落ちこぼれの飛沫係とはいえ〈因果律操作プロフェータ〉の使い手がいるのだ、何が飛んでこようとあたりはすまいと腹をくくる。

 この期に及んで周りの様子を気にしている暇などはなかった。二人の管理官と牛頭たちが拳を交える音がすぐそこまで近づいているのにも、渦瑠は気づかない。


「――あとすこしなのだ」

 法術ルーンは揃った。

 あとはそれを一つにまとめて復号デコードすれば――

「渦瑠さん避けて!」

「できたのだ!」


 じゅんとテトの隙をついて跳躍した牛頭の拳が渦瑠の頭上めがけて振り下ろされるのと、渦瑠が法術ルーンを錬り上げた〈結晶〉を眼前の空間から引きずり出すのは、ほとんど同時だった。


 渦瑠は攻撃を躱そうと〈世界褶曲オリガミ〉を発動させ、


「――っ!」


 折りたためない。


 渦瑠は咄嗟に剣を抜き、身を翻す。

 刀身として編んだ〈世界褶曲オリガミ〉は機能していた。間一髪で拳を躱し、落雷の如き打撃に合わせてその腕を垂直に切り上げる。牛頭は着地と同時に、それこそ化け物じみた身のこなしで地面を這うような打擲を繰り出す。着地の衝撃に多少は体捌きを鈍らされたものの、渦瑠は迫り来る膨大な質量を的確に捌く。更に二体三体と、数にものを言わせる作戦に切り替えた怪物たちが息つくまもなく押し寄せてくる。こうなると少しうざったい。

 渦瑠は適当な地点を選択し、上空に飛ぶ。

 今度はちゃんと使えた。蟻のように群がる敵の群れを見て、もはや相手をする必要もないかと思う。さっさとブツを回収してこの世界からおさらばしよう。

 眼下で小さく輝いている〈結晶〉に掌を向けて、


 くい、


 何も起こらなかった。

「――なんなのだ?」

 渦瑠は困惑しながらも再度〈結晶〉を引き寄せようとした――が、やはりなにも起こらない。

「なぜ経路スジが読めないのだ!」

 〈世界褶曲オリガミ〉はその名の通り、世界を折り曲げるものだ。そのためにはまず原点と終端までの形而上構造けいじじょうこうぞうを読み、経路スジを設定しなければならない。この世界のように最初から読解が困難な場合はともかく、目で確認できる範囲ならば寝ながらでもできるほど簡単なことだ。

 しかし、


「なぜ経路スジを引けないのだ!」


 〈結晶〉に繋げるはずの経路スジはことごとく明後日の方向に逸れ、まるで終端が定まらない。

 一体何が起こっているのか。

 渦瑠は〈結晶〉の周囲の形而上構造けいじじょうこうぞうに全意識を集中させ、

 

 ――いた。


 テトだった。


 群がる牛頭の間を縦横無尽に駆けまわり一心不乱に拳を振るうテトは、まるで強力な磁力線を纏っているかのように、形而上構造を歪ませていた。

「これだから飛沫ひまつ係は足手まといにしかならんのだ!」

 今度こそ集中して、歪みを考慮に入れた経路スジを通そうとするが、


 


「まさか――」

 二度三度と道筋を変えて経路スジを通し、その全てが同じように弾かれたところで、渦瑠の疑念は激しい怒りを伴った確信に変わった。

 テトはわざと渦瑠の能力を妨害していた。

「何の真似だキサマぁ!」

 渦瑠は短距離跳躍を使ってテトの元に飛んで行く。

 この距離なら外しはしない。

 不遜な邪魔者を世界の果てまで吹き飛ばすべく、渦瑠はテトを狙い撃つ。

 しかしその一手はまたもや弾かれ、近くにいた怪物が首を残してその場から消えた。

 涼しい色をした眼が、嘲笑うかのように渦瑠を一瞥した。


 斬り殺そうと思った。


 異界管理官いかいかんりかんとしての己の歴史の中で、これほどの侮辱を受けたのは初めてだった。

 基本的に、異界管理官は不死である。

 切り刻もうが磨り潰そうが燃やし尽くそうが、それはその世界の中だけのことであり、実体は何事も無く〈無〉の空間に戻るだけだ。

 ――だが、それでもこの屈辱には、この場でケリを付けなければならないと渦瑠は思った。

 抜き放った剣に全能力を賭ける。

 空間跳躍は使わない。

 最大深度で解体してやる。

 四肢をもぎ取って怪物の餌にしてやる。

 その巫山戯た脳みそが詰まった頭を相棒の糞穴にぶち込んでやる。

 行く手を塞ぐ牛頭をコマ切れにする。

 テトの足運びを読み、崩れ落ちる牛頭の身体を足場にして飛びかかる。

 稲妻のような剣撃がテトに襲いかかる。

 白金色の刃はテトの肩口から胴、反対側の肘にかけてを正確にとらえ、


 すり抜けた。


 テトは、この世界におけるあらゆる物事を観測できる。

 それは異界管理官の技能――すなはち渦瑠の能力とその手練手管の微細に至るまでを知ることができるということでもある。

 だがテトの能力の真価は別のところにあった。


 観測した対象に“干渉”できる力――故に〈完全観測スペクタトル〉なのだ。


 テトは渦瑠の能力を完全に見切っていた。

 渦瑠の〈世界褶曲オリガミ〉は妨害を想定していない。力を使うにあたって大事なのは『世界の構造を読む』という一点のみであり、そこでは力の強度よりも技の精度が求められる。


 つまるところ、能力それ自体の出力はそれほどでもないのだった。

 それこそテトの腕力にかかれば簡単に捻じ曲げられるほどに。


「びっくりしたなあ」

 白々しい声でテトが言った。

「イキナリだったから、うっかり跳ね返しちゃいましたよお」


 肩口から胴、反対側の肘にかけてを正確に切断され地面に転がった渦瑠は、何が起こったか解らないような顔をしていたが、自分の技が破られたのだと気付た次の瞬間、その表情は激高を通り越して憤死寸前に達する。

 理性もプライドもかなぐり捨てた。

 自分が制御できる限界を超えた量をテトめがけて投射する。

 精度もクソもない、圧倒的な手数で圧し潰そうとした。

 渦瑠を見下ろす黄金の眼が、満月のように妖しい光を放つ。

 まるで透明な壁に弾かれるように、渦瑠の攻撃はことごとく逸れ、二人の周りを囲みつつあった牛頭どもを一瞬で折りたたんでいった。


「すごいなあ」テトはまったくの本心から言った。「これだけの敵を、一瞬で片付けるなんて」

「テトー! 大丈夫ー?」

 ぽっかりと空いた空間に滑りこむように、巡が飛んできた。

「大丈夫だよー」とテトはのんきに返事する。「渦瑠さんが全部片付けてくれたからー」

 手を上げて応えた巡はそのまま〈結晶〉へと向かい、枝で編んだ光の網で〈結晶〉を掬い上げた。

「こっちは無事確保したわよー!」

 渦瑠はテトを睨みつけて、

「貴様、これは対策部の任務に対する重大な妨害行為だ。貴様らの所業はすべて監督部に報告するぞ」

「やだなあ、変なコト言わないでくださいよう。僕もアナタも、少しだけじゃないですか。それに僕らだって同じ目的で任務にあたってるんですから、妨害なんてそんなそんな……」

 慇懃無礼な笑顔。

「そもそも一介の飛沫係風情が、対策部の指定管理官殿を相手になにができるってんです? これはちょっとしたアクシデント――ってやつですよ」

 飛沫係に出し抜かれるなんて、そんなのはたとえ虚妄あっても容認できるものではない。しかしこの有り様では、これ以上は何を言っても己の無様さを晒すことにしかならず、渦瑠はただひたすら奥歯を噛みしめることしかできない。


 そんな渦瑠の怒りを汲み取ったかのように、地面が揺れた。

 タイムリミットが訪れた。


 世界樹という楔石くさびいしを失った迷宮世界は急速に形を失い始めた。ひび割れた時空が次々に崩れ落ち、その向こうにぽっかりと口をあける〈無〉の中に飲み込まれていく。

 無の波間に漂う瓦礫の一つになりつつある渦瑠は、怒りに塗れた頭の隅で妙な違和感を覚えた。

 相性が悪かったとはいえ、これほどの能力の使い手が飛沫世界係にいるものだろうか?

 負け惜しみなどではなく、純粋にそんな疑問をもった。

 正確無比な一撃を退けられる者だってそう多くはないのに、更にはあれほど膨大な量を一挙にぶつけられて捌き切るなんてのは、並大抵のことではない。飛沫係にしては規格外な能力だ。


 〈完全観測スペクタトル〉。


 すべてを見定める黄金の瞳。


 ――まさか、


「まさか貴様……“管理官殺し”のうなり屋グロウラーか?」


 テトは黙して答えない。

 僅かに陰りをみせたその表情に、渦瑠は確信を得る。

「凍結刑を免れたという噂はあったが……そうか飛沫世界係ひまつせかいかかりに流されていたのだな」

 渦瑠は皮肉めいた笑みを口元に浮かべる。

「なるほど、予期せず珍しいものが見れたのだ。まあよい、これはひとつ貸しにしておいてやる。だが、いつか必ず返してもらうのだ」


 そう言ってクツクツと笑う渦瑠コールの声だけが、残響のように無のうろに漂っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る