迷宮世界:2

 通路の奥に明かりが見えた。

 そちらの方向に走ると、唐突に視界が開けた。

 渦瑠コールは一瞬、迷宮ダンジョンを抜けたのかと思ったが、よくよく周囲を観察すればここも迷宮の中であることがわかる。

 足元に柔らかい土の感触。鮮やかな緑の草原が遠く地平線の向こうまで続いている。頭上には霞に柔らいだ青空が広がっていたが、目を凝らせばはるか上空にはドーム状の天井が見える。

 久しぶりの開放感に浸っていた渦瑠はふと、青空に小さなが空いている事に気づいた。


 突然、地平線のあたりで光が弾けた。

 地平線の向こうから、巨大な怪物が身体をもたげた。


「テト! テトーッ! 早くどうにかしてよコイツ!」

「それはこっちの科白だよお!」

 四本の腕を持つ牛頭の怪物の足元で、二人の異界管理官いかいかんりかんが右往左往していた。 

 牛頭はその巨躯からは想像もつかない機敏な身のこなしで剣を振り回す。

 物理法則をほとんど無視したような速度で繰り出される斬撃を、猫のような耳と尻尾を生やした管理官がすんでのところで飛び退る――が、途方も無い力によって叩きつけられた剣の放つ衝撃波が周囲の土塊を吹き飛ばし、いまだ宙にいる猫耳は姿勢を崩され、そこへ別の腕が横ざまに撃ち込まれる。

 かろうじて防御姿勢を取った猫耳に迫る岩石のような拳が、不意に逸れた。

 もう一人の管理官――十代の少女のように見える――が携えた銀の杖の先から光の縄が伸び、牛頭の前腕を絡めとっていた。少女は周囲に漂わせた金色の枝で縄を編み、次々に牛頭の巨体に巻きつけてその動きを封じようとする。

 しかし牛頭のデタラメな膂力によって少女は魚のように釣り上げられ、空中に舞った。

「きゃあああああー!」

 悲鳴を上げる少女は集中力を乱し、強度の落ちた縄が引きちぎられる。

「……あの役立たず共はなにを遊んでいるのだ」

 すぐそこまでやって来て様子を見ていた渦瑠は、苛立たしげに口元を歪めた。

じゅん! 逃げて!」

 体勢を立て直す間もない少女を追撃が襲う。地面を蹴った猫耳が少女を抱きとめるが、間に合わない。猫耳はありったけの法力を籠手に込めて衝撃に備える。

 そこで渦瑠は牛頭に掌を向け、見えない綱を手繰り寄せるような動きで、


 くい、


 と手首を返した。

 瞬間、牛頭が消えた。

 ――否、消えたのではない。

 一瞬にして渦瑠の目の前にのだ。

 剣をからぶった牛頭は思わずたたらを踏む。


「闇雲に振り回すだけの能なしなのだ」


 吐き捨てるように言った渦瑠の手には一振りの直剣が握られていた。

 渦瑠が動いた。

 まるで棒立ちのまま滑りだしたような、僅かな重心の揺動すら感じさせない足運び。

 白金のように清廉な光を帯びた刀身が、一切の淀みを纏わずに弧を描く。

 牛頭の足がした。

 渦瑠が振るう白金の剣の太刀筋に沿って、まるで複雑なプリズムを通したように、巨人の脚が変形していく。

 姿勢を崩した牛頭は咄嗟に三本の腕でバランスをとり、残った脚に体軸を通す。大剣のリーチと質量すら利用して、その巨体に残存する力の全てを一つの拳に殺到させる。

 音の壁をも砕いた打撃が、渦瑠に撃ち下ろされる。


 くい、


 爆音とともに冗談みたいなクレーターが草原に穿たれる――がしかし、そこに渦瑠の姿は無い。

 渦瑠は、牛頭が身体の反対側に残した大剣の切っ先に立っていた。

「力の使い方が雑なのだ」

 誰にともなく呟く。

「この図体では詮無きことであろうが、こうも力線がバラけていては、どうぞお入りくださいといっているようなものなのだ。ならば貴様の望むように――」

 渦瑠は深く腰を落とし、剣を構える。


やるのだ」


 白金の光がはしった。

 渦瑠の動きは電撃的でありながらも、そこに力の色は微塵も見えない。まるで風のようにしなやかな動きで、白金の刀身が巨人の身体を這う。

 あっという間に切り分けられていく牛頭の身体は、その全てがし始める。


 〈世界褶曲オリガミ


 それが渦瑠コールの能力だ。

 世界の形を思うままに作り替える強力な時空間干渉能力であり、その原理はまさに折り紙に似ている。遠く離れた二つの地点を一瞬の距離に繋ぐこともできれば、無限に深いを作ることであらゆるものを断絶することもできる。本来はサポート向きの能力だが、戦闘技能に長けた渦瑠はそれを武術に特化させた。〈世界褶曲オリガミ〉を得物として具現化させることで余計な手間をはぶき、彼我の距離の掌握と剣捌きに注力し、圧倒的な主導権を保ったまま敵を無力化する。単純に能力だけならば渦瑠を凌ぐ管理官も少なくないが、渦瑠の持つ戦闘感性はその差を補って余る。


 つまるところ、並の管理官ではまず勝てないほどに渦瑠は強く、剣と拳を振り回すだけのデカブツなどカカシにもならないのであった。

 渦瑠が地面まで駆け下りた時、すでに怪物は原型をとどめていない。

 幾何学的な折れ目に吸い込まれるようにして、ひとつの塊にまとまっていく。

 フン、と鼻から軽く息を抜いて、渦瑠は全身の警戒を解く。軽く手首を返して手中の柄を振るうと、剣は白銀の砂になって宙に掻き消えた。


 胸の前に差し出した手の平に、牛頭が折りたたまれた多面体がぽとりと乗った。

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