彼女たちの流儀

「やってられっかボケェ!」


 やさぐれた叫びとともにドアを蹴り開けて帰還したじゅんは、憤然とした面持ちでソファにどっかり腰を落とす。隣に座っていたテトの腰が僅かに浮くほどの乱暴な着席だったが、

「おかえり」

 テトは目の前を覆い尽くす無数の資料に虚ろな視線を走らせている。その表情はまるで墓の下から無理やり蘇らされた死人のように青ざめて、もはや巡のことを注意する気力すらないようだ。

 巡は巡で、そんなテトの様子などお構いなしに、不満を爆発させる。


「対策部の奴らったら、こっちが飛沫世界係だとわかった途端に態度を変えやがるのよ。人を小間使いかなにかだと思ってるんだわ。なぁーにが『雑音が増えるから余計なことしないでくれる?』よ! テキトーに情報を浚って調査班に丸投げするだけのくせしてさあ。しかも自分たちの仕事が終わったら最低限の処理だけしてさっさと次の世界に飛んでっちゃって、なぁーんで私が一人で奴らの後始末をしてあげなきゃならないのよ! 飛沫世界じゃ点数稼ぎになんないからってあからさますぎでしょ。あいつらいっぺん世界ごとぶっ壊してやろうかしら!」


 ソファにふんぞり返った巡は爆竹のごとき勢いで憤懣を吐き出すが、腹の虫は収まるどころかむしろ自分の言葉を燃料にしてさらに煮え立ち、抑えきれぬ苛立ちが地団駄を踏むように脚を揺さぶる。


「僕もさあ」

 テトはまるで幽霊が囁くような声で、

「対策部に資料を貰いに行ったら物凄い渋られて、さんざん後回しにされた挙句、飛沫世界係向けの情報だとかで渡されたのは子供のお使いレベルのどうでもいいもんばっか……。分析前でいいからもっと情報をくれってせっついたら、こんどは嫌がらせのように雑情報ごと山のように押し付けてきてさあ、世界ごとの情報整理と分析調査の報告を上げろって……。調査班から結果だけ貰おうなんて都合の良いことは言わないけど、それでも情報の共有くらいはしてくれてもいいじゃん。なんかもう完全にナメられてるよねえ僕たち」


 そう言ってテトはテーブルやソファの周囲を乱雑に彩っている宝石のような石を取り上げる。その色石の一つ一つが、それぞれの世界の情報を集約したものだ。テトは色石を宙に浮かべる。弾けるようにして石が割れたかと思うと、花火のように散った破片が文章として復調され、目の前に表示される。膨大かつ無秩序に散らばった情報を指先でかき分けたり突っついたり摘んだり引き伸ばしたりしながら整理していく。その中から意味ありげなものをピックアップし別枠にまとめ、石同士を錬り合わせるようにして再統合する――が、石は突然腹を下したように斑に濁り、砕け散った。ばらばらになった情報の欠片が、テトを嘲笑うかのように目の前を踊る。

 身じろぎもしないまま、焦点の合わない目でそれを見つめていたテトの根気が、とうとう限界を迎えた。

「もうやだよぅ」

 テトは両手で顔を覆ってべそべそと泣き言をこぼしはじめた。

「全然手がかり見つかんないし、対策部の奴らには無能扱いされるし、それでも元観測部かって言われてもコレ調査部がやるような仕事だし、延々とこんな資料ばっか崩したってなんにも得になんないよう」

 普段は楽天家的な言動が目立つテトだが、その一方で人より繊細な部分を持ちあわせてもいる。のほほんとした態度にしても、おおよそは本来の性分そのものとはいえ、ある一面では己の弱い性根を隠すための自衛策として機能しているのだ。

 テトの落ち込みっぷりを目の当たりにして、自分は声を荒げる元気があるだけましだと巡は思い直す。

「ここが踏ん張りどころよ」

 ソファの上を軽く跳ねるようにして、テトの傍らへと寄り添う。

「ここでいい評価を得られるかどうかが、私たちの今後につながるんだから」

「巡の今後にはつながるだろうさ。だって巡には未来しかないもの。だけど僕には過去があるんだ。ここが僕の未来そのもの――終着点なんだよ。本来なら凍結刑は免れないはずなのに、ここに飛ばされるだけで済んだんだ。もうこれ以上の良いことを望むなんて傲慢だよ」

 巡はテトの頭にそっと手を伸ばし、べったりと倒れた耳の辺りを優しく撫でてやる。短く整った毛並みの滑らかな手触りの向こうに、ガラスのように冷たい体温を感じる。

「私にだって、過去の一つや二つくらいあるよ」

 テトと初めて出会った時のことを思い出す。

 教育課程を終えて配属されると同時に、テトとパートナーを組む事になった。当初のテトはそれこそ抜け殻のように無気力で、自身をモノのようにぞんざいに扱っていた。己の腕力でどうにかしようとする癖は今も変わらないが、昔のそれは腕の一本二本をもがれようが、どて腹にいくら穴を開けられようが構わないという、ほとんど自傷行為に近いものだった。自暴的な大立ち回りの末に巡を巻き込んだことも一度や二度では済まず、巡もそんなテトとはかなりの距離を置いていた。

 あれからどのくらい経ったのかは――なにせここでは時間を定量的に扱うことがないので――わからないが、ずいぶんと長いこと一緒に過ごしてきた。

 出会ったばかりの頃と比べたらはるかに明るくなったが、一度失った異界管理官いかいかんりかんとしての誇りはそう簡単には取り戻せない。

「私たちは異界管理官よ。それ以上のものにはなれないし、それ以下のものにもなれない。私たちは私たちのやるべきことをやるだけ――」

 それはテトだけではなく、自身に向けた言葉でもあった。


「――よしっ!」


 気合の声と共に立ち上がった巡は、目の前にある安っぽい合板のテーブルに仁王立ちになり、足元に散らばる石をローファーの横腹でガラガラと蹴飛ばし、頭上に向かって指を突き出す。

 呆気に取られるテトに向かって、まるで歴戦をくぐり抜けた古強者のように、勇壮をみなぎらせた声色で言う。


「過去になにがあろうと、どんな部署にいようと、どんな功績をのこそうと、〈高位虚事象創発定理群こういきょじしょうそうはつていりぐん〉名の下に総ての異界管理官は平等である! 対策部の奴らの言うことなんか聞く必要なんてないし、奴らがチンケなセクショナリズムを振りかざして得意気になってるなら上等! 私らだって私らなりのやり方で行かせてもらいましょう!」


 握りしめた拳をテトに向かって突き出す。


「落ちこぼれの飛沫世界係のやることだもん、不思議じゃない! そうでしょ?」


 そう言い放った巡の不敵な笑みを受け止めたテトは、またもや顔を覆い肩を震わせた。だがその手の平は先程のように嘆きを受け止めるものではなく、溢れる笑いを抑えるためにあった。

「あははっ」

 再び顔を上げたそこには、先程までの陰りなど微塵もない。

「エリート様相手に喧嘩売ろうなんて、ほんとどうかしてるよ」

 テトは濡れた目頭を指で拭って笑う。

「あら? 喧嘩だなんて人聞きの悪い。私はただってものを披露して差し上げようってだけよ?」

「まったく。……巡のほうこそ、結局は腕力で片付けようとするよねいつも」

「そうかもね」

 平然を装って言う巡の口元には同じく笑みが浮かぶ。

 転属やら評価やらプライドやら、もはやそんなことはどうでもよかった。


 自分たちをコケにした奴らの鼻をあかしてやる。


 まったく卑近でセコくてみみっちい、落ちこぼれにはぴったりの目標だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る