彼女の能力
そしてまた、〈無〉の空間に二人は戻ってきた。
みすみす世界を消滅させた二人は、任務が失敗に終わったことを管理官に報告しにいったのだが、聞けば今回の任務の優先度ははなから低く見積もられ、案の定世界の消滅に伴う副次被害はゼロに等しい――言ってしまえば『ありふれた世界崩壊のひとつ』であったらしい。
とはいえ、失敗は失敗である。
監督官はいつものように
そんな日常的な、ある種の慣れ合い的といってもいい説教を、テトは律儀にも反省したようすで聞いている。
その隣に立つ
「――あの、監督官殿」
ふと、巡が口を開いた。
「なんですか?
「あの世界の崩壊は、本当にほかへの影響は無かったのでしょうか」
監督官は首をかしげて、
「観測部によれば単独の世界崩壊以上の自体は観測されておらず、関連する被害は実質的にゼロ……ということになっています。これに関連した任務も今のところ無いようですね。
ですが、こうして我々が派遣されたのですから、やはりなんらかの影響はあると〈
そうですか。と巡は頷いたが、その目は焦点を欠いていて、まったくうわのそらといった様子である。
「どうかしたのですか?」と監督官は巡の表情を訝しむ。
「いえ、別に大したことでは」巡は何かを迷うように、たどたどしく言葉を並べる。「――ただ、あの世界の文明レベルで、あの規模の世界崩壊を、本当に起こせるものでしょうか」
監督官は巡の言葉の意図を察した。
「件の崩壊現象には他の世界の影響があったと?」
「はい」
と巡は首肯し、
「あの世界崩壊が他の世界に影響を与えるのではなく、他の世界の影響によってあの世界崩壊が引き起こされたのだとしたら――」
「たしかに、現状ではそれも最もらしい答えの一つに入るねえ」
得心した様子のテトは尻尾ぷらぷらと振って言った。
「可能性は、あります」
監督官は重々しく頷いた。
「受預議会から我々監督部に任務が回り、そこから現場に振り分けられる過程で、個々の任務の関連性が見落とされてしまうことは、前例にもあることです。しかし、観測結果からみても、あなた方に与えられた任務には他の世界からの干渉はありませんでしたし、必要ならあらためて任務が与えられるだけです」
「……そうですか。ならば、私の思い過ごしかもしれません」
その言葉とは裏腹に、巡は釈然としない表情のままだった。なにかが喉元につかえて、胃の腑に落ちない。なにか決定的なものを見落としている気がするのに、それが具体的な言葉に変換できないもどかしさ。
監督官は我が子に優しく言い聞かせるような口調で言う。
「任務を果たすことこそが、我々の最上の使命なのです。機械になれ、とまでは言いません。ですが、まずは与えられた任務を忠実にこなすことを何よりも優先させるべきなのです。他の仕事は担当の部署にまかせてください」
「迷うな。愚直であれ」
巡が呟く。教育課程で叩きこまれた管理官の心得だ。どのような状況にあっても、任務こそが絶対である。どんなに無慈悲な行いでも、任務を完遂できればそれでいい。状況に流され任務を放棄することは、すなはち異界管理官としての存在理由を否定することに繋がる。
故に、迷ってはならない。
愚直でなければならない。
「その愚直さが、往々にして真実への近道であったりするものです」
監督官が静かに応えた。いつもの説教とは違い、古豪ならではの重みのある言葉だった。
「余計なことを考えました」
巡は頭にかかる霞を振りほどくように首を振り、姿勢を正す。
「以上、事後報告を終わります」
「よろしい。では両管理官は次回の任務に備え、待機を命ずる」そう言って踵を返した監督官は去り際に振り向き、「息抜きならば、ここでするように」と釘を刺した。
巡の表情は晴れるどころかますます曇っていった。
ソファに深く腰を沈め、膝に立てた腕に頭をあずけ、時折神経質に脚や身体を揺すぶりながら、ほとんど焦燥に近い面持ちで自分の股ぐらに意識と思考を籠らせている。
「迷うな。愚直であれ」
隣に座って趣味の〈地図〉を弄っているテトが言う。
「もういいじゃない。終わったことなんだし」
巡は顔を上げる。
「終わった――そう、終わったこと」だが、その目は虚ろだった。「でもなんか納得いかないのよ。なにか大事なものを見落としてる。それを知っているのに、気づいていない」
「あいつに負けたのがそんなにショックなの?」
テトの裏表がなく見通しが良い性格は付き合っていて心地が良いのだが、一方で自分が放つ言葉の意味に無頓着なのが玉に瑕だ。
テトの言うとおり、巡を悩ませているのは先の世界で自分の腕を切り落としたアイツのことだった。
〈
それが異界管理官である巡に与えられた能力である。
言葉の通り世界におけるあらゆるモノとコトの因果を任意に操作できる力であり、それを持ってすれば自然を操り人心を掌握し弾丸を弾丸で撃ち落とし、なんなら背後から撃たれた光線銃を半身を引いてかわすことすら容易い。
全能にも等しい巡の能力であるが、しかしそこには『やろうと思えば』という枕詞が密かに付けられている。要するに能力を使いこなせるかは否かは巡の実力次第ということであるが、悲しいかなそれが足りないばっかりに、こんな
しかし、
「確実に仕留めたはずなのよ」
巡は相手の気配を感じた瞬間に能力を発動させた。敵が動くよりも早く振り向き、初撃を防ぐと同時に懐に入り、的確かつ致命的な一撃で仕留める――はずだった。
「急に襲い掛かられたから、焦って能力の使い方を間違ったんじゃないの?」
とテトは他人ごとのように言って、光の粒を指で弾く。
「それは、ありえない」
巡は断言した。
「私の能力は、物事における〈可能性〉を自由に操作できる。たとえゼロが何十個と並んでいても、その先に1があるなら、それを選び取れる。9がどこまで続こうと、1未満なら確実にそれをゼロにできる……。あの時だってそうしたわよ。絶対に負けるはずはなかった。そういうふうに操作した」
「でも、負けた」
「まさか相手も因果律を操作できるなんて」と巡はソファの背に頭を投げ出した。「油断と言われれば、確かに油断していたわ。あの世界であんなことが出来るなんて、思いもしてなかったもの」
過去に同じようなことがなかったわけではない。因果律に干渉出来る力をもつ相手と正面からやりあったことは何度かあった。因果律操作の対決というのは単純な力比べで決まるものではなく、そこで起こるのはある種の化かし合いである。相手の操作に干渉して潰し、こちらの意図は出来る限り隠して通す。能力の使い方を心得た手練と戦ったこともあるが、そこは巡も異界管理官の端くれである。今まで負けたことなど、一度もなかった。
「最初の一撃をもらっちゃった時、当然読みに入ったわ。……でも、アイツのほうは読んでる様子がないのよ。妙だとは思ったけど、とにかく脅威を排除するのが先だと思って、そのままやり返したんだけど――」
「逃げられた」
「――そう、逃げられたのよ。私は確実にアイツを貫いたはずなのに」
「ええと……」
テトは耳をぴくりと動かして、
「結局、巡はなにがいいたいのさ?」
「さっき言ったでしょ。他の世界の影響があるかもしれない、って。私の能力はその世界における因果を操れる――言い換えるならば、その世界以外の因果は基本的に埒外なのよ。複数の世界の因果を同時に操作するのが無理だとはいわない。……でも、私よりも強力な使い手であっても結構骨が折れる仕事なのよ」
「監督官殿も言ってたでしょ、他から影響を受けた痕跡はないって。それに、観測部だって節穴じゃないんだ。任務の内容にかかわらず、そこで動きがあれば必ず察知する」
「取りこぼしがないとはいえないんじゃない?」
巡がそう言うと、テトはもう付き合っていられないというような顔で、
「巡と一緒にしないでよね。ひとつの世界については多面的な観測を、最低でも二重に行うのが原則なんだから。
「そこは『僕たち』って言ってほしかったな」と巡はテトの膝の上に倒れこむ。「ごめんなさい。そもそも他の部署に文句いえるような立場じゃなかったわ、私」
「あ、いや、僕も言い過ぎたよ。……ごめん」
テトは気まずそうに耳を伏せた。教育課程を終えてすぐに
「観測部の仕事、好きだったの」
「あそこは色んな〈
そう言って、テトは目の前に浮かんだ〈地図〉をくるくると回した。数えきれない光の粒が四次元的な挙動で行きつ戻りつしながら、その一つ一つがプリズムのように鮮やかに輝きだす。
「……きれい」
ふと、そんな言葉が巡の口からこぼれた。
基本的に、異界管理官は娯楽というものを必要としない。己に課された使命を果たすことだけが自己実現に対する唯一のアプローチであるために、それ以外への欲求が希薄なのだ。息抜きや暇潰しにちょっとした遊びをすることはあっても、何か一つの物事に熱中するということは珍しい。とはいえ全く無いわけではなく、そういう気質をもった連中が優先的に配属されるのが研究部や調査部や観測部といったところなのだと、巡は聞いている。
そしてテトも、そんな珍しい連中の一人だった。
左遷されてきたとはいえ、能力的に落ちこぼれであったわけではない。
むしろその逆である。
趣味に熱中するあまり、新しく〈
テトの作る〈地図〉が途方もなく高度な代物であったために、それ自体が世界として自己組織化を始め、爆発的に増殖したあげく他の世界群を次々に飲み込みながら暴走するという、前代未聞の事件を引き起こした。
犠牲になった管理官もいるという噂だ。
結果としてテトは事件の責任を問われ、こんな辺鄙な部署に飛ばされてきたというわけだった。
そんなことがあったにもかかわらず、現在も趣味は続けているテトであるが、さすがに色々な部分で自重しているらしい。
それでも全盛期のテトの〈地図〉を見てみたい、と巡は時々思う。
今でもこんなに綺麗なのだから、以前はもっと凄かったのだろう。
テトの描く〈地図〉の中でなら、自分のいた世界もこのくらい綺麗に輝いてくれるのだろうか。
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