SF世界:1

 美しい〈世界セカイ〉だった。

 透き通った海が囁く穏やかな潮騒。組成のせいだろうか、潮風に乗るミントのような香りがほのかに鼻をくすぐり、気分を落ち着かせてくれる。沖を見やれば水棲ドラゴンの群れが、ホバーボートと弄れるように水面を跳ねまわっている。

 見上げればエメラルドグリーンの空。

 そこにかかる半月は餅か洋なしのように少し歪だが、灰色に霞む涼しい輪郭は詩的な情緒すら感じられた。そんな空を横切る環状軌道都市のきらめきは昼間の目にも美しく、夜にもなれば格別の見応えだろうと思われた。

 そんな浜辺で、じゅんは癒しの時間を心ゆくまで満喫していた――

 はずだった。


「まさか惑星ごと吹っ飛ぶとはね……」

 まったくいきなりの事だった。

 銀河の破壊を目論む勢力が、連合宇宙艦隊からの逃亡の果てに惑星のすぐそこにワープアウトしてきたのだ。

 強引なワープの衝撃で惑星の重力場は目茶苦茶になり、巡の余暇は文字通り引きちぎられるようにして消滅した。

 命からがら宇宙港の緊急便に乗り込んだ巡であったが、そこに機内アナウンスがこう告げた。


『えー、お客様各位におかれましては無事に脱出できたことを心よりお祝いもうしあげます。当機はとりあえず連合宇宙軍の保護下に入ります。ご心配なく。――ああ、あと、業務連絡を一つ。お客様の中に異界管理官いかいかんりかんのかたはおられませんかー? 異界管理官のかたー? この世界での正式な任務を与えられたよー。巡ー? いるんでしょー? 久瀬くせじゅんさまぁー?』


「うあー……もう……なんでこう……」

 しばらく座席で頭を抱えた巡は、意を決して備え付けの救難ポッドへと走った。

 航空機を飛び出した巡はそのまま連合側の宇宙艦隊に取り付き、隙を見て最新式のパワードスーツとありったけの装備、そして高速戦闘艇をこっそり拝借。敵側の最終兵器である超巨大要塞に単身殴りこみをかけたのだった。


 そして巡は今、薄暗い回廊を全力で走っている。

「目標まであとどのくらい!」

『直線距離でざっと一五〇キロかな。もう残り時間が少ないよ。まったく、しんどいったらない』

 ヘルメットのモニタに表示されたテトが、電子的な声で答えた。

「それはこっちの科白せりふよ!」と巡が憤慨する。「なんで私だけ、こんなアイアンマンレースのまねごとをしなきゃいけないのよ!」

 混沌を極める宇宙戦の末にほとんど墜落するような形で敵の要塞に突入し、息つく暇もなく襲いかかる敵と防衛線をくぐり抜け、挙句の果てには迷路のごとき要塞内を何十キロも全力疾走。いくらパワードスーツを着ているとはいえ、あまりにも過酷な道のりである。


『僕だって頑張ってるんだよう』

 とテトはいじけた声でいう。

『両軍の戦術ネットワークをハックしてここまで来るのにどれだけのリソースを使ったか……。この要塞のマスターコードを奪取するときなんて、危うく僕自身が消されるところだったんだからね。今だってここのセキュリティを誤魔化しながら巡のナビゲートをしてるんだから。まったく、頭脳労働は疲れるよ。――あ、この先に大型の自律兵器だよ。数は一機だけ』

「じゃあ……っ!」

 テトの言葉通り、回廊の支線から巨大なクモのような自律兵器が現れた。かくん、とタレットの砲がこちらを向く。巡は走る勢いを全く殺さぬまま、胸に抱いていた長大なライフルを瞬時に構え全弾を発砲する。轟音と共にすさまじい発火炎が視界を覆う。人間など文字通り雲散霧消する威力を持った大質量キネティック弾は、その全てが命中。猛烈な火花を散らしてクモの脚部関節が吹き飛び、その影響で砲の射線が僅かにズレ、発射された砲弾は破壊的な衝撃波とともに巡の隣をかすめる。クモが照準に補正をかける一瞬の隙。既にジェットパックを超過駆動オーバーロードしていた巡は、爆発的な加速度でクモの腹下に滑りこむ。

「代わりなっ!」

 装甲の薄い部分を狙い、腕部の刺突兵器パイルバンカーで一撃――

「さいよ!」

 ――二撃めをぶち込み、その貫徹孔から手榴弾グレネードを投げ込む。

 巡がその場から飛び退ると、数瞬の間を置いて鈍い音が響く。

 びくりと震えた自律兵器は、各部のハッチから青白い炎を勢い良く噴き出してその場に崩れた。

『僕だってそうしたかったんだよねえ。そっちのほうが断然楽しそうだしさあ。……でも〈高位虚事象創発定理群こういきょじしょうそうはつていりぐん〉が、この格好で僕を送り込んだんだよ』


 巡やテトのように自我を持つ管理官は、その行動の自由を認められている。

 〈高位虚事象創発定理群〉が具体的な干渉を行えない以上、世界の異変への対処とその判断は、現場の管理官に委ねられる。そうやって任務をこなすうちに、いつの頃からか、管理官たちは自分たちのリソースを効果的に活用するために体系的な組織を作り上げ、様々な部署に別れてそれぞれの能力にあった活動をするようになったのだ。

 『』とは管理官のモットーとでも言うべきものだ。管理官は〈高位虚事象創発定理群〉によって許可されている行為――すなわちやろうとして出来るならばどのようなことでも実現可能であり、それこそが世界をも凌駕する彼らの能力の源でもあった。

 そしてそれは、換言するなら『』ということだ。

 今回のテトは、人の姿としてこの世界に干渉することを許されていないのだった。

「珍しいこともあるものね」

 これが監督官ならば、間違いなく体技に長けたテトをフォワードに据えるのだろうが、そこは〈高位虚事象創発定理群〉なりの理屈があるのだろう、と巡は納得する。


『二キロ先の支線から、トラムのシャフトに入れるよ。目的地までほとんど直行だ』

 テトがマップに示したとおりに支線を進むと、巨大な縦穴に出くわした。トラムのステーションだ。要塞内を移動するためのトラムがここを走っているはずだが、目下戦闘中であるために運航は停止しているようだ。近くにあったボタンをテキトーに押してみるが、当然反応はない。

 ズン、と遠くで地鳴りのような爆発音がした。

「大丈夫なの?」

『僕らがここを引っ掻き回してるお陰で、連合軍もかなり肉薄してきてるみたいだね』

の破壊はもう彼らにまかせたらどうかな?」

『んー』とテトは少し考えこんで、『ダメだね。時間がない。彼らの勢いではこの兵器の起動阻止に間に合わない』

「結局、私たちがやらなきゃダメか」

 乗り降り口の透明なドアをこじ開け、シャフトを覗きこむ。

『そのために派遣されたんだしねえ』

「私は遊びに来てたのよ。緑の空、爽やかな潮風、可愛いドラゴン……」

 ため息混じりに呟いた巡は、底の見えない縦穴に身を投げた。

 そのまましばらく自由落下したかと思うと、


『後ろから敵だよ! 自律型が三――いや、六機!』


 テトが叫ぶと同時にレーダに感。小型の飛行物体。移動速度の遅さからして自律兵器ドローンに間違いない。が、相手はこちらよりも数段速い。

 追いつかれる。巡がジェトパックに点火した瞬間、レーダにスパイク。間髪を入れずに小型マイクロミサイルと銃弾の雨が巡めがけて降り注ぐ。

 巡は欺瞞装置ジャマーを起動させると同時に、すりこぎのような回避機動で銃弾を躱す。

『ミサイルは任せて!』

 背中のランチャから防護システムのパックが射出され、迫り来るミサイルを撃ち落とす。

「無駄弾使いたくないのよね」

 ほとんどきりもみ状態のような、デタラメな機動を取りながら、巡はどんどん加速していく。


 レーダの警告音が響く。

 多数のミサイルが迫る。


『巡!』

「しつこい!」

 マシンガンを構えた巡は瞬間的に反転。

「撃ち漏らしはお願い!」

 点射バーストした弾丸が正確にミサイルを捉える。ほとんどが探索装置シーカを的確に破壊し、そうでない弾は飛翔制御装置フィンに命中。軌道の狂ったミサイルがシャフトの壁面に激突する。

『巡!』

「えへへーん、ざっとこんなもんかな」

 と悦に入った様子で弾倉を交換する巡であったが、

『巡! した! 下を見てー!』

「なにようるさい――わあああっ!」


 トラムの車体がシャフトを塞いでいた。


 咄嗟にテトがミサイルを発射しトラムの上部を破壊。巡は意を決して開口部に飛び込んだ。自律兵器ドローンも同じく巡の後を追うが、入りきれなかった数機が入り口付近で衝突し、爆発した。


『わあああ! だめ! ちょ、あぶっ、あぶなっ! うわあ!』


 貨物用らしいトラムはやたらと長く連なり、ところどころの車両がぐねぐねと折れ曲がるようにしてシャフトに詰まっている。先ほどの爆発音はこれだったのだろう。幸いなことに中はもぬけの殻だったが、それでもスーツの身長くらいの幅しかない部分が多々ある。


「叫んでる暇あったらナビゲートしてよ!」

『やってる! やってるよ! わわわ! うわっ!』


 執拗に背後を狙う敵の銃弾をかろうじて躱し、閉じたままの隔壁や床や連結部を破壊する。パワードスーツから火花を散らしながら、針の穴のようなその隙間に飛び込んでいく。


「あともうすこし!」


 最下端と思われる部位を破壊し、なんとかトラムから抜け出した。巡はすかさず反転してマシンガンを構え、


「もらった!」


 開口部から飛び出してくる自律兵器ドローンを狙い撃った。

「いえーい! どうだみたか!」

 興奮した様子ではしゃぐ巡に、テトが喝采を送る。

『すごいよ巡! カッコイイ! いつもならとっくにオダブツしてるのに!』

 巡は自由落下しながら得意気なようすで、

「私だってやるときゃやるのよ。〈因果律操作プロフェータ〉の力を甘く見ないでほしいわ。私のバカンスを台無しにされたんだもん、こうなったらトコトンやってやるわよ」

『今回の巡は頼もしいねえ』とテトが言う。『ところで巡?』

「なあに?」

『第二波がくるよ』

 テトが表示したレーダに感。三機、六機、八機――まだ増える。

「もうお腹いっぱいだってばー!」


 情けない悲鳴がシャフトにこだまする。

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