1:異界管理官
虚実の狭間
ここからは〈
ある世界では魔王の手による破滅の業火が渦巻き。
また別の世界では蘇った死者によって生者が死に絶え。
となりの世界を見れば恐怖政治の影で心を病みながら生きる兄弟がいて。
振り向けば世界が論理破綻をきたして砕けつつあり。
その影ではどこかの世界からワープしてきた宇宙戦艦が初対面の銀河帝国に追い回されていて。
さらに向こうでは泡のように小さな世界がぽこぽこと生まれはじめていて。
遥か遠くの世界から春を寿ぐ歌が漏れ聞こえ。
それをキャッチした別の世界の巫女が、静かに世界の終りを預言している。
無盡に広がる星々の輝きにも似た世界の群れを眺め、
「ようやく落ち着いたわ」
安っぽい合皮のソファにどっかり腰をおろし、ぐいと背伸びをする彼女はブレザーにスカートという制服姿であった。
ぱっと見ただけなら今まさに帰宅した学生のようだが、視点を引けばそこは天も地も無ければ左右すら無い全くの虚空であり、そこにただぽつねんと、ソファと女子学生だけが浮かんでいるのだった。
「まったく、面倒臭かったねえ」
と、巡の隣にテト・グロウラー・シャプトゥスが腰を下ろす。こちらもまた件の目に悪そうなくらい神々しい衣装などではなく、ジーンズにシャツという何の変哲もない格好だ。
ソファの背にぐったりと頭を預けた巡は焦点の合わない目で、
「やっぱ
テトもすっかり疲れきった様子で耳をぺったりと伏せて応える。
「最初に上手くいっていれば、二五九世界も回らずに済んだのにねえ」
「そんなに回ってたの」と巡は唸るように言った。「道理で疲れるはずだわ。私、修復作業は嫌いじゃないけど、苦手なんだあ」
「丁寧すぎるんだよ巡は」
「テトは大雑把すぎるの」
巡はそう言って、どこからとも無く現れたスツールにローファー履きのまま足を乗せた。
「なにそれ、今回行ってきたところの?」
うん。と答えるテトの目の前の空間に、無数の光の粒が浮かんでいた。それは小さな水晶のようなもので、その一つ一つによく目を凝らせば、硬質に透き通った面の向こう側に、二人が巡った〈
テトは、さまざまな色相に輝くそれらをつまんで矯めつ眇めつし、熱心に浮かべる位置を弄っては全体を色んな角度から眺めて吟味する。それは宝石のコレクションを並べているようであり、立体的なモザイク画を作っているようでもあり、パズルを解いているようにも見える。
「そうやって頑張って〈地図〉を作ったところで、あなたにしか読めないのに」
呆れた、というような口調で巡が呟くと、テトは不満気な一瞥を向けて言う。
「読めなくていいの。これは芸術なんだから。そもそも僕たちには――」
「『地図なんて必要ない』んでしょ」と巡はテトの言葉を継いだ。「位置という概念からして、ここでは無用のもの――とはいえ、あなただけはそれを地図として理解できるのよね。単純なんだか天才なんだか」
「前の部署では結構読める人いたし、そこそこ役に立ってたんだよう」
「観測部か……。でも〈
「それは……」テトはもごもごと言葉を濁らせて、「まあ、そうだけどさ」
そんなふうにだらだらと会話する二人の目の前に、突如として人影が現れた。
無の裂け目からふらりと姿を現したその人を見た途端、二人はバネ仕掛けの玩具のように背筋を正した。
「監督官殿!」
監督官、と呼ばれた人物は立ち上がろうとする二人を手で制した。
「久瀬巡さん、テト・グロウラー・シャプトゥスさん」
ゆったりした口調で、しかし威圧の気配を滲ませて、監督官が言った。
「この度はご苦労様でした。任務は達成できましたか?」
「ええ、はい。全てつつがなく」
「つつがなく」と監督感は巡の言葉尻を捕まえて、「そうであったなら、我々としても喜ばしいのですがね」
「あのう、なにか問題でも」テトは相手の顔色を伺って言った。
「あなたたちの担当する
「ええと、なんのお話でしょうか」とテトはとぼけてみせる。
「正確にいえば、
「うわあ、取りこぼしてた」と苦虫を噛んだような顔で巡が呟く。
監督官は呆れたようなため息をこぼして、
「いくら影響力の低い飛沫世界とはいえ、こうして他に飛び火することもあり得るのですから、しっかりしてもらわないと困ります。これではあなた方を用立てた私の面目がありません」
申し訳ないです。と巡はうなだれる。
「あなたたちも〈
「そりゃもう、この身がはちきれんばかりに実感していますが……」
「だったらなぜ」
監督官は問い詰めを緩めない。
「こんなちゃらんぽらんな仕事の仕方で満足できるのですか。久瀬さんはもはや教育課程を終えたばかりだとは言えないんですからね。テトさん、あなたもですよ。元々観測部にいたとはいえ、それなりに場数は踏んでいるはずでしょう。まったく、あなたたちときたら暇なのを良いことに世界観光だのなんだのと遊んでばかりで、たまに任務を与えられれば今回みたいなミスを連発。私には〈高位虚事象創発定理群〉がなぜあなたたちを異界管理官に選んだのか、理解しかねます」
「そりゃあ〈高位虚事象創発定理群〉は我々の理解が及ばない存在ですからねえ」
のんきに口を挟むテトに、
「そういう話ではありません!」
監督官が一喝する。
それが引き金になった。
完全に説教モードに入った監督官は自分で自分の言葉に血圧を高め、うんざりする巡とテトなどもはや眼中にないといった様子で『異界管理官かくあるべし』という信条をほとんど陶酔的と言っていいまでの饒舌さでもって滔々と語り、他所から呼び出しがかかったところでようやく我に返って、振り回していた刀を鞘に収めた。
「とにかく。もっと自覚と責任をもって仕事に取り組んでください。いいですね」
そう言い放った監督官は燃料を使い果たしてスッキリしたのか、身軽な足取りで二人の前から消えた。
見送った二人はぐったりとソファに身体を沈めて、ため息をつく。
「結局またお決まりのパターンか」と巡が呻く。
「もうトータルで百年くらい怒られてる気がするよ」
そう言ってテトは伸びをし、勢いをつけてソファから立ち上がる。
「気晴らしに談話室にでも行ってこようかな。……巡も行く?」
「ここでだらだらしてるわ」
そっか。と頷いて歩き出したテトもまた空中に溶けるようにして消えた。
そして巡だけが残された。
背もたれからずり落ちるようにしてソファに身体を横たえる。こうやって世界の輝きを眺めていると、まるで宇宙を漂っているような気分になる。だが、星のように見える輝きの一つ一つこそが宇宙そのものであり、そんな数々の宇宙の外側にこそ巡は居るのだった。
どこでもないどこか。
実在と非実在の隙間。
ここは〈場〉という概念すらも成立し得ない、完全な〈無〉である。
それではなぜ巡やテトのような者たちが存在していられるのか、という問いに対しては、未だかつて答えられた者はいない。
しかし“選ばれた”という感覚だけはある。
巡やテトに限らず、ここにいる管理官は全員、それぞれが元々住んでいた世界があった。しかしなんらかの理由によって、こちら側に連れて来られたのだ。
そして連れて来られた者は皆『自分は管理官として選ばれ、その使命を果たさなければならない』のだという漠然とした、しかし絶対の確信を伴った実感が己の中にあることに気づく。それには一人の例外もない。
――だが、それだけでは到底結論たり得ない。
程度や形態の差こそあれ、それぞれが自我と理性を有した個である限り、己が陥った状況に対する問題意識を持つのはごく自然なことである。
自分たちを選んだのは何者なのか。どんな理由があって選ばれたのか。なぜこのような使命を与えられたのか――
そんな問題に関心のある者たちが集まり、議論を重ねた結果、ひとつの存在を想定するに至る。
〈
それが巡たちをこちら側に連れてきたモノの名だ。
全ての世界を超越し、
それらの有り様を司り、
管理官に絶対の力を与え、そして操る。
それは神のようなものか、と教育課程中であった巡が質問すると、
「神であるともいえるし、神ではないともいえる。そしてそのどちらも正しく、どちらもまったく間違っている」
と教導官は答えたのだった。正直なところ、巡には何が何だかさっぱりわからない。というか名を付けた研究部からして決定的な見解を得ているわけではないのであり、とどのつまり「よくわからないけど、とりあえず名前をつけてみた」程度のオハナシでしかないとも言える。
だが、名前をつけて対象を想定することで、わかってくることもあった。
多くの異界管理官は滅びた世界から選出される。それには一定の基準のようなものが存在し、世界そのものに大きな影響を与えられるか、それに匹敵する力を持ったものが管理官として選ばれる場合がほとんどである。
逆説的に言えば、管理官の素質を持つものが居る世界は滅亡の危機を迎えることが多く、実際に自らの手で世界を滅ぼした経験をもつ管理官も少なくない。
〈高位虚事象創発定理群〉はすべての世界と密接な関係を持っている。世界群が不安定になるのは〈高位虚事象創発定理群〉にとっても好ましくなく、そこに綻びを修正しようという意志のようなものが働く。がしかし、〈高位虚事象創発定理群〉自体は積極的かつ具体的に個々の世界に干渉することは難しいらしい。巨人の手で仔猫に首輪をつけるようなものだ。そこで管理官をある種の道具として使役し、個々の世界に介入させ安定を図ろうということらしい。
道具は生まれた時からその身に役割を帯びている。
役割通りに使われる事こそが道具を道具たらしめるアイデンティティであり、至上かつ唯一の使命なのだ。
ようするに、免疫細胞のようなものだ、と巡は理解している。
身体の細胞一つ一つが〈世界〉であり、その不具合を修正するのが免疫細胞たる〈異界管理官〉だ。そして〈高位虚事象創発定理群〉は、生命そのものといったところだろうか。
全能に近い力を与えられ、好き勝手し放題であるにも関わらず、こうして――ゆるくではあるが――組織化し空中分解せずにいられるのは、自らに与えられた使命遂行への根源的欲求によって連帯しているからにほかならない。
故に、その成果をあげられる機会に恵まれた部署は皆の憧れと羨望と尊敬を集めてやまず、逆に自らの活躍の場が乏しい部署――つまるところ巡がいる〈
――のだが、
「どこかにいい癒し世界ないかなー」
巡はこの閑散部署を結構気に入っていた。
仕事が少ないとはいえゼロではないし、暇な時は色々な世界を覗いて楽しめる。そもそも教育課程の成績がそれほど良かったわけではないからこそ、負担の軽い係に配属されたわけなのだし、花型部署は自分には荷が重すぎるのだ。
「お、なにここめっちゃリゾートしてるじゃーん。あ、この水棲ドラゴンかわいー」
と、手で作った望遠鏡で遠くの世界を覗き見していた巡はソファから立ち上がった。
「ちょっとのんびりしてこようかしら」
さっと手を振ると、まるでアパートの玄関口のような鉄製の――ちゃんと郵便受けもある――ドアが目の前に現れた。
「いってきまーす」
カチャン、と閉じられたその背後にはソファもスツールも無く、また振り向けばドアすらもが最初からなかったように、そこには〈無〉だけがぽつねんと佇むのみだった。
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