虚無の王:2
異界の門が開いたと思われたその次の瞬間、空中の穴から二つの人影が現れた。
一人はまだあどけなさの残る十代の少女といった感じで、もう一人は中性的な顔立ちのせいで性別は解らないが、頭には猫のような耳が、尻からは同じく動物的な尻尾が生えている。
陰鬱な聖堂に似つかわしくない荘厳な衣装を身にまとい、やたらめったら神々しい後光を嫌がらせのように過剰放出する二人は、羽根のような優雅さでふわりと地上に降り立った。
「えっと、あの、姫様これは……」
「そんな! 確かに私は異界の門を開いて――」
「開かれちゃ困るのよねえ」と神々しい少女。
「そうですよ困るんですよ」と神々しい猫耳。
「ブッ、ブハハハハハ!」
魔王が吹き出す。
「それみたことか失敗だ! なんだこれは! こんなちんちくりん共を呼び出して一体なにをしようといぅぼげぇっ」
猫耳にみぞおちを殴られた魔王はその場にうずくまった。
「ちんちくりんって、初対面でいきなり失礼ですよ! 僕にはテト・グロウラー・シャプトゥスって名前があるんです!」
そう言って猫耳は腰に手を当て、憤慨するふりをしてみせた。
少女はため息をついて、
「初対面でいきなりぶん殴るのもどうかと思うわよ、テト。あなた加減ってものがないんだから」
「ええー。これでも手加減してるんだよー?」
予想外の事態に言葉を失っている勇者と姫の前に、少女が歩み出る。
「あなたたちですね? 異世界から――というよりは異世界そのものを召喚しようとしたのは」
勇者は少女の姿をまじまじと見つめ、
「君はいったい……」
「我々は異界管理官です」
「いかいかんりかん?」初めて聞く言葉に戸惑う姫。
「まあ、要するに神様みたいなもんです」と少女が答える。
「神! では、末裔たる私を守護するためにきてくだすったのですね」
と姫は表情を明るくするが、
「ああ、そういうのじゃないです。我々はこの世界のカミサマ云々よりもっと上の存在なんです。あと、あなた方に加勢する気もありません。一応、立場的には中立なので」
そう言って少女は姫君の身体に食い込む宝玉をしばらく見つめて、
「ちょっと失礼しますねー」
その胸に向かって無造作に手を突き入れた。
「――ぁがっ」
身体の内側をかき回された姫が息を詰める。
「キサマぁ!」
勇者は咄嗟に剣を振るおうとしたが、
「ちょっと落ち着いてくださいです」
猫耳が苦もなくその腕を封じる。
「よいしょ、っと」
少女が姫の身体から腕を引き抜いた。その手には宝玉が握られており、それが癒着していたはずの姫の胸には傷ひとつ残されていない。
「ああ、やっぱり」
と少女は眉をひそめて、
「あなたたちねえ、なんでもかんでもほいほい召喚しちゃダメですよ。こういうアイテムは使い方を間違えるとその世界自体を壊しかねないんですから。安易に頼ちゃいけません。没収します」
姫はうろたえながらも抗弁する。
「しかし、いままさに世界は滅びへと向かっています。もはや、これしか方法が無いのです! ああっ、神よ、どうかその宝玉を返してください。私たちの世界を救うために!」
「いや、だからね、私はあなた達の神様じゃないんだって……」
と少女は困った顔で、
「それにね、世界を壊してるのはあなた達なのよ?」
「は?」と勇者が眉根を寄せる。
「お姫様も勇者くんも、いままで色々召喚してたでしょ。魔獣とか精霊とか異形の神とか、梯子とか釣り竿とか簡易トイレとか」
姫と勇者は頷く。
少女は説明を続ける。
「それね、世界にとっては大ダメージなの。
この世界では本来は不可能なはずの異世界召喚を、石の力を使って無理やり穴を開けることで可能にしてるわけ。
だから十分な間をおかずに召喚を重ねるってのは、ふさがりきらない傷口をぐばぁっ、て開かれるようなものなのよ。
そうすると世界がどんどん不安定になって、最後には崩壊しちゃうわけ。
――まあ、勝手に自滅するだけならまだいいのよ、世界が終わるのなんてそれこそ日常茶飯事だし。でも召喚を繰り返したせいで他の世界と境界が癒着しちゃって、他方をも巻き込んで崩壊現象を引き起こしかねないってのはねえ、我々的にはちょっと見逃せないわけよ」
一気にまくしたてた少女はそこで一息ついて、
「この石もあの石も、元々は厳重に封印されてたんでしょう? つまりそういう危険なものだってことなのよ。それをあなたたちは表に持ちだして、さらには召喚術までをも解放しちゃったのが、全ての過ちの始まりってわけ。この石が世界の綻びを繕うための、いわばあて布として作られたものだとしたら、召喚術と言うのはその糸を解いて向こう側に指を突っ込んでいじりまわすようなもんなんですよ」
「そんな……」姫の肩から力が抜け落ちる。「それじゃあ、私たちの行為は魔王に与するものだったと?」
「結果的にはそうなるねえ」と猫耳が肯う。
「じゃあ……」ちょっと心配になるくらい虚ろな表情で勇者が呟く。「勇者として今まで戦ってきた私はいったい……」
「自分で自分の首を絞めたねえ」と猫耳は気の毒そうに頭を振る。
「フハハハハ! 話は聞かせてもらったぞ!」
ようやく回復した魔王は意気揚々として、
「我の計画は完璧だったのだ! フハハハハ! さあ時は満ちた! 今こそこの憎き世界を闇の淵に誘おう! フハハハハハ! アーッハッハッハっごばぁっ!」
「ちょっとあなた! うるさい!」
少女が高くかかげた指を振り下ろすと、それに呼応するように聖堂の天井から建材が崩れ落ち、魔王の頭に落下した。
「いってえなこのクソアマぁ!」
「言葉遣い!」
少女がもういちど指を振り下ろすと、今度は近所の火山から飛来した火山弾が聖堂に飛び込んできた。
「んぼへぇっ」
肩への直撃を受けた魔王はもんどり打って床に転がった。
「あなたもいつまで魔王ごっこをやってるの。もうそんな場合じゃないんだって」
「ごっこなどではない!」
魔王は無事な方の拳を振り上げ、床に叩きつけた。
「神代の昔より続く盟約を破り、世界を我が物にせんと戦を仕掛けたのは奴らではないか! 天地の取り決めを成す場である外套議会に闖入し、我が父の命を奪ったのは貴様ら人族ではないか!」
少女が魔王の指差す先へ視線を送ると、姫は気まずそうに顔を逸らした。
図星らしい。
「もはや神々の時間は遠く過ぎ、中つ国は秩序を失った……」
その巨体に満ちるのは失望であり、傷口から流れる血は怒りそのものであった。
「故に我は魂を削り、魔石の封印を解き、全てを闇に作り替えようと……」
「そっかそっか」
少女はくずおれる魔王に歩み寄り、血と汗にまみれた哀れな獣の頬を撫でてやる。
「あなたの怒りも解るわ……解るけど、でもね? やり方が間違っちゃってるのよ」
「だから、我はただ世界を闇に――」
「作り替えるまえに壊れちゃうの、このままだと。あなたの努力も復讐の機会もお父上の死も、その全てが徒労にすらならない、全くの無に帰すの。この世界のすべてが、最初からなかったことになるの」
「それは――」魔王は顔を上げ、濡れた眼尻を指で拭う。「それは我としても困る。奴らには罰を与えねばならぬのだ。やられっぱなしで終わってしまっては困る」
「分かってくれた!」
少女は朗らかな笑顔を咲かせて、丸太のような魔王の指を両手で包み、握手する。
「じゃあさ、今のところはあの魔石を封印するために協力してくれない? まずは世界そのものを修復しなきゃ。闇に沈めるのはそれからでいいじゃない。あなた根性あるんだから、あんな石に頼らずともきっと宿願は果たせるって」
「しかし、魔石に頼ってすらこの有り様なのに、本当に成せるものなのだろうか。なんというか、我はその……兵法というものが少し苦手でなあ」
弱々しく訴える魔王を、少女は励ます。
「大丈夫だって。できるできる! あっちだって条件は同じになるんだから、むしろ今までよりずっとマトモな戦ができるわよ。私は応援するよ。手は貸せないけど」
その声は仄暗い雲間から差し込む清澄な陽光のように、魔王の心を温めた。
「そ、そうか」
魔王は咳払いをして居住まいを正す。
「貴公が我らの戦に干渉せんのなら、それでよいのだ。我としても、闇に落とす世界そのものが無くなるのは望むところでない。なのでまあ、この場はひとまず貴公に手を貸すのもやぶさかではないぞ」
「よし、それじゃあちゃっちゃとやることやりましょう!」
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