◆石鹸街道封鎖中
「折り入って頼みがある!」
いつもの場所、リーフィの酒場。
唐突に妙な威圧感を背負って彼がやってきたのは、シャーが楽しく飲んでいた時のことだ。
会って即、ジャッキールが妙に圧の強い真面目な顔でそんなことを言う。
ジャッキールは、背が高い。普通に大男の部類だ。顔は例によって整いすぎるほど整った優男。
なのだが、この男は普段から圧が強い。目を閉じて黙ってれば優男なのに、妙な殺気が漂っているし、開いた目は眼光が鋭すぎて妖しい。
(中身がこいつでなければ、役者みたいなイケメンで済むのかな)
外見はいいのに。シャーはそんなことをうっすらと考えたところだった。
まあしかし、ジャッキールの折り入った頼み、もしかしたら、本当に重大なことかもしれない。
色々と困った人だが、ジャッキールは確かに有能な傭兵なのだ。本当に大変な事を持ち込むこともあるので、シャーとしても無視できない。
シャーはリーフィに頼んで酒場の控室を借りると、彼をそこに連れ出して対峙した。
「で、なに? ダンナ。オレに折り入って頼みがあるって」
「実はな」
妙な沈黙。ごくりとシャーが固唾を飲む。
「頼む。西北街道の封鎖を解いてくれ!」
「は?」
いきなり頭を下げてジャッキールがそんなことを言う。
「は? なにゆってんの?」
「あの街道の封鎖が解けないとな! 石鹸が、アレルプの高品質石鹸が流通しないのだーー!」
「ハァ?」
とうとうおかしくなったか、コイツ!
暴言を吐きそうになったが、ギラっと顔を上げたジャッキールの眼光は鋭い。シャーは思わずひっと声を上げてしまう。
がしいっと肩を掴まれる。
「ひょえっ! なに!」
「石鹸がな、この一週間であり得んほど高騰しているのだ!」
「はァ?」
「俺の備えも後少しで終わってしまう! このままではアレルプ石鹸のない生活をしなければならん! 俺には到底耐えられんん!」
「は? 何ダンナ、キモっ! 近い! ウザイから離れろって!」
しかし、それで離すジャッキールではない。
「お前なら、色々権限使ってなんとかなるだろう! なんとかしてくれ!」
「何言ってんの! それ職権濫用じゃん! 普段そんなことすんなってんだろ、アンタ! ちょ、誰か、誰か助けて! ジャキジャキご乱心ー!」
「どうしたの?」
結局、散々騒いでいると、リーフィが来てくれた。
「すまん。つい取り乱してしまった」
リーフィの淹れてくれたお茶を飲みつつ、落ち着いたジャッキールが一息つく。
「なんでそんなんで取り乱すんだよ」
シャーは呆れて肩をすくめた。
「どうしたのジャッキールさん。確かにアレルプの石鹸の流通は最近止まってるけれど」
リーフィが尋ねる。
ザファルバーン西北部の太内海沿岸にあるアレルプは、古来より石鹸の名産地である。
オリーブや月桂樹がよく育ち、実がよく取れるので、それを使った石鹸作りが盛ん。あちらこちらに輸出していて、外貨獲得にも役立っているのだ。
ところが、最近、ザファルバーンに従属的な同盟を結んでいる小さな国との関係が悪くなり、アレルプに向かう陸路である街道が封鎖されてしまった。現在交渉中であり、近々話はまとまりそうなのだが、街道の封鎖は解かれず、海賊の多い海路を抜けてたどり着くアレルプの石鹸は高級品になっていた。
「他の石鹸つかやいーじゃん。大体、そんなになくなるもんなの?」
「俺は使うんだ。それに、品質でアレルプ石鹸に優るものはない」
ジャッキールは断言する。
「あと、石鹸といっても用途は色々だ」
「風呂に入るとき以外にも使うの?」
「まず、手洗い用、風呂で体を洗う用、髪を洗う為の専用石鹸、顔を洗う為の刺激の柔らかい石鹸」
ジャッキールがつらつらと並べ立てる。
「アレルプの石鹸の良いところは、まずきめ細かい泡だ。漁に使う目の細やかな網に入れるとふわっふわの泡ができる! まろやかな泡は、汚れをよくおとし、なによりも肌触りが良く気持ちを穏やかにさせる! 香りは、まあ少し粘土のようなクセのある香りがあるが洗ってしまえば気にならない。それになんといっても、見かけは茶色いが切ってみると中は綺麗なオリーブの緑。この色も良い。実に心が和む」
「オッサン、語るねー」
シャーはもはや真面目に聞いていないが、ジャッキールは一生懸命続ける。
「あとは洗濯用と住居の掃除用。この洗濯用石鹸も重要でな! 汚れを落とし、衣類をいためない石鹸は貴重なんだぞ! アレルプの石鹸はそこにいくとだな……」
「オッサン、なんなの? アレルプの石鹸業者の回しもんなの?」
ジャッキールの長い講釈に、シャーはすっかり引いてしまう。なんなんだ、この情熱。どこから湧いてきているのだ。
ところが。
「その気持ちわかるわ」
「わかるの!」
リーフィが唐突に同調したので、シャーはがばっと起き上がる。
「アレルプの石鹸って、高いだけあって本当品質がいいのよね。最近じゃ偽物も売ってるけど、泡立ちや香りですぐわかる」
「うむ。そうなのだ。俺も今偽物をつかまされてな! 相手を叩き斬ろうかと思ったが、もうそこにはおらず行方も掴めず。それで悔しくて悔しくて、涙を飲むこともできず、つい貴様に直談判しようと!」
(なんだ、コイツ、騙されたんかい!)
それでこんなに必死なのかこの男。しららっと白けた目で見てしまう、石鹸に興味が全くないシャーだ。
「とにかく石鹸の在庫が心配なのだ、俺は。早くなんとかしてもらえんかと思ってな」
「オレに相談されても困るんですケド。つうか、そんなんマジ、どうにもなんないじゃん!」
リーフィがやってきたので、ジャッキールもシャーに職権濫用しろとかなんとかは言わないが、実際、シャーだって言われても困る。
そういうのは、そっち方面の領主達や管轄の将軍の裁量もあるのだ。シャーが権限を活用して命令すると、逆に厄介なことになりかねない。それはジャッキールも本当はよくわかっている。
「冷静になると全くそうだな。すまん。取り乱して」
「なんでそんなことで取り乱すかねー。つうかよ? そこまで言うなら、ダンナが紛争地帯で傭兵に雇われて解決してきたら……」
シャーは冗談でそういったところ、はっとジャッキールが何かに気づいた顔をしてしまう。慌てて言い直す。
「それだ! みたいな顔すんな! 本気にならないで、ダンナ! アンタが関わると、無駄に有能なぶんマジ面倒なんだよ! 拗れるからやめて!」
「そ、そうだろうか」
「そうだよ!」
真面目にその気になりかけるジャッキールを、慌てて止める。
「うーん、それさあ、他ので代用できないの?」
シャーが打開策を提案する。とりあえず、思い詰めないうちになんとかしないと。
「シャー、他の産地の良い石鹸も価格が高騰してるのよ」
「うむ。洗濯石鹸の値上がりなども、俺にはとても痛い。何せ洗濯が好きだからな」
「綺麗好きなのが災いしてるね」
「しかも在庫が欠けると落ち着かない。いつもは種類ごと三角錐の形に積み上げて悦にいっているのだが、頂上周辺がなくなってしまって気になって気になって」
「やめろよ、その管理の仕方。普通に病むだろ」
「それで、ゼダから質の良いものを流してもらっていたのだが、それもきつくなってきていて」
「そこまでやってるの」
ゼダから横流しまでさせているとは、この男、本気だ。いや、横流しなど、普段は好まないはずの頭が硬くて真面目な彼なのである。
「いっそのこと自分で作ったらどうなのさあ?」
ぬっとジャッキールが顔を上げる。シャーは不穏なものを感じつつ、
「い、いやさ、作り方とか材料さえあればそんな難しくないのかなーって」
「試した……」
「うん」
「すでに試したのだ」
「う、うん」
じっとりと睨まれて、シャーは慌てて頷く。
「しかし、なんの配合が間違ったのか、謎の悪臭を発するドロドロしたものが出来上がってしまい……、状況は悲惨であった。俺は二度とあれに手を染めぬことにしたのだ!」
「そ、そう」
石鹸は油脂の塊ときく。何を材料としたのかわからないが、えらいことになっていそうだ。と、黙って聞いていたリーフィが、あ、と声をあげる。
「それはジャッキールさん、多分生石灰や苛性ソーダの配合が足りないんじゃないかしら。油だけでは石鹸にならないわよ」
(おう、リーフィちゃんが変なところに食いついてきた!)
「私なら配合間違わずに作れるし、一緒に作ってあげられるわ。精油抽出専用の道具も持ってるし、多分大丈夫」
(持ってるんだ!)
リーフィは、薬草に詳しかったりするせいか、錬金術師の持つような道具一式を所持している。
しかし、そこ! リーフィは、そこに食いついているのか。
「流石はリーフィさんだ!」
ジャッキールが賞賛の声をあげる。
「これで封鎖が解けるまで、石鹸を自粛しなくて済む。好きなだけ泡立てられる!」
じーんと感動したように目を閉じて、リーフィを崇めかねないジャッキールだ。
相変わらず、変なところで大袈裟な人なのだ。
「気にしないで。私、何かを作るの好きなの。手作り石鹸、なんだか燃えるわ。一緒に頑張りましょうね」
燃えるわとはいうが、リーフィは相変わらずの無表情。しかし、その目は確かにキラキラしている。ジャッキールが深く頷いた。
「うむ! よろしく頼む」
(なんか盛り上がっているけど)
置いていかれ気味のシャーは、やれやれとため息をつく。
(これ、長引かせるとやばそうだな〜)
今のところ、ジャッキールの発作的な強烈な要望もリーフィのおかげで収まりそうではあるけれど。
(そうっと早いこと解決してもらえるように誰かに指示しておこう。ハダートあたり? いや、アイードかな。その辺にお願いしたら、なんとかなるでしょ……)
シャーはこっそり手を回すことにして、とりあえずその場を収めたのだった。
一週間後、ザファルバーン側のアイード=ファザナー将軍の特使の交渉により、紛争問題は急展開を見せ、万事丸く収まることになった。商人が深く介在しており、金銭的なところでも折り合いがついたようだ。
高騰していた石鹸も街道の封鎖が解かれ、価格も安定。ジャッキールの石鹸の在庫も減ることはなくなった。
が、それはそれとして、理想の石鹸作りにハマったリーフィとジャッキールの二人に付き合わされ、シャーとゼダは材料調達やら火の番やら色々手伝わされることになるのだが、それはまた別の話である。
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